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すた☆君のブログ一覧

2013年02月18日 イイね!

勝龍寺城  ~明智光秀の最前線基地~

本能寺の変の直後、明智光秀はこの城を、対秀吉の基地として乗っ取りました。

細川忠興と玉(ガラシャ)が結婚式を挙げた城としても知られています。

忠興と玉の結婚式を再現した行列の祭りもやっているそうです。

井戸


井戸説明


沼田丸



1568年、織田信長は上洛を果たすと、この城に細川幽斉を入れ、彼はこの城を改良した。




沼田丸と天守閣の間の土塁址

ここを1.5メートル掘り下げたら、当時の遺稿がでてきたそうです。



城の周囲に土塁を囲み、水の堀を作り、平城の弱点を克服している。









築城の背景には、信長の援助があったと考えられている。









本能寺の変の直後、明智光秀はこの城を 対秀吉の基地、京都への入口の要として乗っ取った。









光秀は、山崎の合戦で敗れたあと、いったんこの城に逃げ込んだが、闇夜にまぎれて脱出。




城の裏側




城は秀吉軍により落とされ、廃城となった。







天守閣の中の資料館はさほどたいしたことはありませんが、無料はよかったです。









去年に引き続き訪れた、明智光秀の最後の足取りをたどる旅。


綺麗に整備された美しい城でした。
Posted at 2013/02/23 12:39:13 | コメント(1) | トラックバック(0) | 山崎合戦地 | 旅行/地域
2013年02月11日 イイね!

淀城址  山崎合戦前に明智光秀が占領した城

淀城址  山崎合戦前に明智光秀が占領した城明智光秀は、この淀城と勝龍寺城を乗っ取り、西から迫ってくる秀吉軍を迎える為の要の城としました。



位置ですが、地理で言うと、こんな感じです。
↓↓






                                               坂本城
 





 

                              本能寺              




                 
                  淀城
       勝龍寺城


 天王山
      山崎

   
Posted at 2013/02/11 13:06:04 | コメント(0) | トラックバック(0) | 山崎合戦地 | 旅行/地域
2012年05月08日 イイね!

山崎合戦跡地 2   旗立松と展望台

参道の途中に、三重塔がありました。


三重塔


本堂の隣に閻魔堂という建物がありました。

事前調査では、ここに山崎合戦の死者を祭ったお堂があるということで、この建物がそうなのかなあと思いましたが、そういう説明板とかはありませんでしたので、よく分からずに通り過ぎました。

本堂と閻魔堂の間の道を道なりに進むと、山頂への登山道の続きが始ります。



道しるべ



竹林がとても綺麗な道が続きました。

苦しかったですが、気持ちよかったです。



登山道



竹林に沿って、レールがありました。




竹林にレール



『これはどこからどこまでつながっているんだろう?』




『何が走っているんだろう?』






途中、広場がありましたが、その入り口にレールがあったので、またいで入りました。



広場の入り口




『危なくないのかなあ?』



『またいでいる時に、モノレールが走ってこんのかなあ?』



広場にあった絵



秀吉の中国オウム返しの図


絵のアップ








広場からは多少展望ができましたが、少し見えるだけだったので、チラッと見たら先に進むことにしました。




しばらく上ると、目的地の一つに到着できました。



山崎合戦跡の石碑







石碑アップ







石碑











この松に、秀吉が旗を立てたそうです。





灯篭





旗立松と山崎合戦の石碑のある場所のすぐ隣に、展望デッキがありました。



デッキはとても狭いもので、大人一人か二人でちょうどぐらいの広さでした。


先に男性一人が眺めていたので、しばらく待ってから上ることにしました。



この男性は、どこから来たのでしょうか?


戦国に思いをはせていたのでしょうか?





両隊が布陣した場所を一望できました。





説明板と眼下




織田信長を本能寺で殺した明智光秀は、滋賀へ行き、仲間の武将達は遠征しているので今の内にと、近畿辺りを一気に制圧しようとしました。



しかし、羽柴秀吉が、『中国オウム返し』で、電光石火のごとく猛スピードでここまで帰って来、光秀は大いにあせりました。


奈良の筒井順慶に援軍を頼んで、少し南の小山で待っていましたが、一向にくる気配がありません。


結局、光秀は、15000人の軍勢で、秀吉の30000人と、この地で戦う事になりました。


勝敗を決めるのは、この山、天王山を押さえたほうだと、秀吉、光秀は共に確信し、両隊の天王山乗っ取り競争が始りました。


そこで先に山頂を押さえたのが、秀吉隊。


その時に旗を立てたのが、先ほど紹介した写真の旗立て松だと言われております。







布陣図










展望全体





展望真ん中ぐらい



写真左真ん中で、左下~右上に大きな道路が走っており、だいたいそれを境に、左が明智光秀軍、右が羽柴秀吉軍 となっております。


ちょっと、ゴチャゴチャしていてわかりにくかったですが。


建物だらけで、想像していたのと全然違い、かなり都会でした。





展望秀吉側





山崎の合戦というのは、天王山での旗の取り合いの事をさすのではなく、後日の山崎町での戦いの事だそうです。

大河ドラマの内容の影響で、どちらも同じ日に起こったと皆がそう思い込んでいる・・・だとか。





展望 右端







展望 右アップ





たっぷりと展望を楽しんだ後、山頂への道を再び進む事にしました。

山頂に山城址があるので、そこを目指します。




神社入り口





続く
Posted at 2012/05/09 08:53:56 | コメント(2) | トラックバック(0) | 山崎合戦地 | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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