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すた☆君のブログ一覧

2021年03月29日 イイね!

福井県の戦国史跡巡り① 明智神社(明智光秀の屋敷跡)

早朝6時に出発、今回は高速道路を使いました。

「刀根坂の戦い(1573年)」があった刀根Pで休憩。

刀根P

朝倉氏を滅亡へと導いた戦です。
(3/28に訂正しました。)


こちらは「本能寺の変」の後、秀吉と柴田勝家が戦った「賤ヶ岳古戦場」のすぐ横。

賤ヶ岳SA

この辺は、戦国史跡てんこ盛りです。


朝早く、明智神社の駐車場に到着しました。

ドアを大きな音を立てて閉めない様、着いたらすぐにエンジンストップ、すぐ後ろに住宅ありますし、無料で提供して頂いているので、その辺の配慮は欠かせません。

駐車場

丁寧な地図がありました。



集落の中を歩きます。

水が奇麗でした。


集落

静かな田舎道で、歩いていて気持ちがいいです。



神社の入り口を見つけました。

左へ

可愛いハートの苔がありました。



「麒麟がくる」のエンディングで紹介していたのと同じ景色が見えました。

ななめ

境内へ上がりました。

正面

細川ガラシャ生誕の石碑がありました。

石碑

西教寺(明智一族・光秀の妻ひろ子の墓がある 近江坂本)が作ったんですね。

そういう事ね。。

石碑の裏側

5分ぐらいいると、おばあさんが近づいてきました。

どうやら、私が歩いていくのを見て、後から追いかけてきたそうです。



資料館の扉を開けて中の電気をつけて下さり、パンフレットを「ご近所さんの分も」と勧めて下さり、額縁に入った村の祭りの写真を指差し、「あれが私の旦那」と、何度も(4回も。笑)教えてくれました。
(笑)

おばあさんのセリフで「この辺りの歴史の土地は絶対になぶるなって言われてきた。」というのが印象的でした。

明智光秀は、地元の人に愛されているんだなと伝わりました。



1575年 越前は織田信長の一向一揆衆の一掃作戦により、全ての家が焼き払われ、数万人もの人間が虐殺されたそうですが、何故かこの村だけは見逃されたそうです。

そこで、この村は明智光秀が住んでいて親しくしていた場所なので、越前攻めを担当していた柴田勝家に明智光秀が「禁制(柴田勝家が書いた古文書が残っている)」を出すよう頼んでくれたから、この村だけが助かった、だからこの村があるのは明智光秀様のおかげだ ということで、江戸時代にこの祠を作ったそうです。

すた 「この神社は、三軒の家でずっと守ってきたんですよね。」

おばあさんは、深くうなずいていました。


江戸時代の農民は少しでも畑を作るべく、住宅地は山際に建てられていました。

なのに、山から少し離れたこの平地を数百年も残し続けるというのは、村民たちにとってはとても苦しくもあったでしょう。

屋敷跡の土地は決して狭くはありません。

おばあさんに出会えてよかったです。



館内の資料の写真撮影もOKだそうなので、撮りまくりました。

太っ腹ですね。

いっぱい勉強させて頂きます。



明智光秀が愛されているのがよく伝わってきたので、この日のこの時間に来られてよかったです。

ただ、ガラシャに関しては、史実的には、上石津町が細川ガラシャの生誕地(明智光秀は多羅城に家族を置いて旅に出た)とか言っていますし、揖斐川町も明智の親せきがたくさんいて、うちに家族を預けたとか言っていたので、随分と食い違ってきますが、それは置いておきましょう。

後気になったのが、朝倉屋敷から結構離れている(4キロ)なあと思いました。

「麒麟がくる」を見ていたら、なんどもすぐに行っていたので、結構近くかなとか思っていましたが。

どうしてソコだったんでしょうね。


小さいながらも、素敵な史跡でした。

続く。
Posted at 2021/03/27 19:27:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | 明智光秀 | 旅行/地域
2021年02月07日 イイね!

今夜の「麒麟がくる」は、最終回ですね。

去年、たくさん史跡巡りをするきっかけをくれました。

勉強も、ありとあらゆる資料館を訪れ、古文書を読み漁って、載ってた地名を訪れる程の深堀をしていました。

また、今回の史跡巡りのおかげで、ロードスターと付き合う時間も増えました。

最終回、なんだか寂しい気もします。

緊急事態宣言が解除されたら、また県外へ史跡巡り行きたいです。

まずは、福井の朝倉氏関係かな。

Posted at 2021/02/07 00:41:04 | コメント(1) | トラックバック(0) | 明智光秀 | 音楽/映画/テレビ
2020年11月20日 イイね!

若狭国吉城 「麒麟がくるの史跡巡り」 福井③

麒麟がくる 第31話 「逃げよ信長」

国吉城の軍議の間に現れる信長。

これを見上げる家臣たちは、松永久秀、柴田勝家、徳川家康、羽柴秀吉、明智光秀。

信長 「我らはこれより、越前に向かう。」

   「朝倉を打つ!!」


午前中に二つの山城 金ケ崎城と手筒山城を制覇したワタクシ。

三つ目に行く前にとりあえず、家族に土産を。



家族持ちの一人旅は、これ重要。

続いてランチ。

敦賀と言えば、やっぱ刺身。

お気に入りの「海鮮アトム」へ。



腹も満たされ、国吉城へ移動。







まずは、麓の史料館で勉強。



文化の日だったので、入場料が無料だったのがラッキーでした。(100円ですが)

国吉城は朝倉の猛攻撃に耐えてきた難攻不落の城。

信長の越前攻めで金ケ崎城へ進軍する前にこの城に立ち寄り、城主は信長に味方。

その後、あっという間に手筒山城と金ケ崎城を攻め落とし、敦賀を落としたという流れになります。

「麒麟がくる」とは逆の進軍になります。


勉強もしたので、いよいよ城攻めへと向かいます。



手前に屋敷跡がありました。



石垣が残っています。



「麒麟がくる」の看板を見つけました。

明智光秀は、朝倉攻めの時に織田信長に同行してここの城に立ち寄った。

その後に金ケ崎城へ進軍した ということで、光秀の飛躍の地 として 紹介していました。

正直、「なんでも言いようだなあ」 と、思いました。



城の入り口からは急斜面の崖がそそり立っていました。

先の城でひたすら歩いたので、膝がやばくなっていました。

とりあえず、少しづつ登っていきました。

すると、怪しいゲートが。



出入りするとき、必ずここを閉めるようにと、鍵が上下に二か所ついていました。

史料館に入るとき、消毒スプレーに気付かずに中に入ると、受付の人に「ちょっ、消毒した?」ときつく言われてムカついていたので、「そんな言うんだったら、ここにも消毒スプレー置けよ。」と思いました。

思いっきり素手で握るじゃねえか。
建物の中にコロナが入らなければそれでいいのか?
登山者同志の感染はどうでもいいのか?

熊を見たらこちらに連絡をともありました。

ゲートの左右はがら空きだったので、「何の意味があるんだろう?」と疑問に思いました。

急な斜面にジグザグな道が延々と上へ上へと伸びていました。



祝日だったので、山城にしては人はまあまあ、チラホラいました。

熊を警戒していたので、休日を選んで行きました。

少しづつ登っていましたが、膝がやばくなってきたので、カッコ悪いですが、途中で引き返すことにしました。

「止めるも勇気」です。

一日に山城三つは無謀だったなあと思いました。



確かに、難攻不落の城でした。

これで、この日の城攻めは終わりにしました。

この後は、ロードスターのオープンドライブを楽しみ、「三方五湖のレインボーロード」「メタセコイアの並木道」「奥琵琶湖パークウェイ」等、色んな所へ立ち寄りました。

それはまた、続編にて。
Posted at 2020/11/21 03:47:26 | コメント(1) | トラックバック(0) | 明智光秀 | 旅行/地域
2020年11月17日 イイね!

敦賀手筒山城 「麒麟がくる」の史跡巡り 福井②

金ケ崎城から尾根伝いに進んでいくと、途中から舗装された道が無くなり、謎の分岐点に出ました。

右か左か。

冷静に考え、右だと住宅街、左だと崖沿いなので、きっと左に行くと手筒山城だと信じて突き進んでいくと、正解でした。

手筒山 →

突然開けたところに出ました。


天守台かな?



見張り台でした。

見張り台の説明

階段を上ると、「なんだ、ありゃ。」



いきなり近未来的建造物が出てきたので驚きました。

それに、どこから来たのか、老齢の登山者が結構ワラワラいるではないか。

すた

建造物に入ってみると、螺旋階段になっており、ぐるぐる回りながらてっぺんまで登った。

すると、目の前に。

「うわあー。」

山中に池

これは奇麗な景色だ。

敦賀にこんな場所があったなんて、知らなかった。

海と反対側の山中がパカっと開けて、池がたくさんあって、湿地帯になっている。

湿地帯 池

あそこ、興味あるなあ。

また今度、行ってみよう。

敦賀の街並み

敦賀の街並みも、とても奇麗だった。

これは、ここまで頑張ったご褒美なんだろうな。

敦賀のあの辺りに港があって、そこにナチスドイツからの難民を受け入れた船がロシア経由で着岸した。

あの建物が、その記念館。

杉原千畝らが命のビザを発行して、数千人の命を救った。



ナチスから逃れてきた難民たちには、敦賀の港が天国に見えた。

ようやくたどり着いた安心できる場所。

敦賀についた難民たちは、一つのリンゴをみんなで回して食べたり、持っていた大切な腕時計を身振り手振りで敦賀の町民に渡して、物をもらったりした。

その時の腕時計は、今でも敦賀に残って展示されている。

敦賀は戦国だけではない。

第二次世界大戦中にも、感動的な人間ドラマがあった。

赤レンガ倉庫

この倉庫の中の、少し高いレストランに入ったことがある。

よく分からないメニューを注文して、「これなんだろう」と食べたのを思い出した。

松並木の海岸

この海岸に子供を連れてきて、波打ち際で遊んだこともある。

透明感が素晴らしい。


ロードスターを望遠で探した。



あったあった。

随分歩いた。

展望台を降りると、おばあさんが「やっほー」と叫んでいた。

のどかでいいなあと思った。

手筒山からの登山道は車が登れるほどに舗装されていて、それまでの道中が信じられないぐらいに大勢の人たちとすれ違った。

みなさんと「おはようございます」とか「こんにちは」とか挨拶するのがとても楽しい。

他のおじいさんグループの後ろにくっついて、一緒に下山してきた。

見上げると、二つの山城がよく見えた。

左の矢印が「金ケ崎城」、右の矢印が「手筒山城」

下山 矢印二つ

山の麓の廃線になった線路に沿って歩くと、結構早く元の場所についた。

金ケ崎城 全体

2時間ぐらいの登山を終えて、ロードスターまで帰ってきた。



さっきの山頂の展望台を探したが、よく分からなかった。

手筒山城


駐車場のバス停が面白かった。



「なぜ、銀河鉄道999?」


次は、若狭国吉城へ行きます。

ここも、「麒麟がくる」に出てたんで。

てか、一日に山城3つ、大丈夫か!?


続く♪
Posted at 2020/11/19 19:11:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | 明智光秀 | 旅行/地域
2020年11月16日 イイね!

敦賀金ケ崎城 「麒麟がくる」の史跡巡り 越前①

ほぼリアルタイムで「麒麟がくる」の史跡巡りをしています。

最初は、第31話「逃げよ信長」で出てきた敦賀金ケ崎城です。

ドラマの地図に美濃と敦賀の境に「刀根坂」という地名が書かれていたので調べてみると、「刀根坂の戦い」という朝倉氏と信長の戦いで3000人の戦死者が出る程の大戦があったと分かったので、行ってみようかと思いましたが、人里離れた山中の古道で一人では熊が出たらやばそうな場所だったので、やめました。

ロド P 越前の手前

敦賀は何回も来ていて、金ケ崎城も15年ぐらい前に一度少しだけ登ったことがあり、坂道が急で大変だった思い出があったのでもうそれ以来いかなかったのですが、最近、足を鍛えていて、だいぶん強くなった気がしたのと、ちょうど「麒麟がくる」でもやっているので、晴天を見計らって行きました。


石碑 最初 家紋沢山

有名な名前がたくさんありますね。

織田信長、羽柴秀吉、徳川家康、明智光秀。

戦国オールスターズという感じですね。

麒麟 金ケ崎の退き口

金ケ崎城は、北側先端が海に面しており、東側は断崖絶壁。

東側からは攻めにくく、北側の海は船で攻めるしかない。

攻めるならば、西側の平地か南の手筒山城の山中から尾根伝いになりますので、西側の平地の逃げる方向から敵が来るので、そこを突っ切る という感じになります。

地図 でかい

金ケ崎城から手筒山まで2キロぐらい離れているので、さすがに山城二つはきついかなと思いましたが、もうなんというか、勢いで、二つとも登ってぐるりと一周してしまいました。

やればできるもんだなあと思いました。

歩いたルート

登山ルートは金ケ崎城に関しては、ずっと舗装されていて階段も整備されていたので、歩きやすかったです。

ただ、尾根のアップダウンが凄くて、先が見えないので、帰りが大丈夫かと不安になりましたが、好奇心から突っ切りました。

登り口 階段

第31話「逃げよ信長」では、東から朝倉が、南から浅井が挙兵して、挟み撃ちにされているのを知った信長。

信長 「逃げる事など、できぬ。」

光秀 「織田信長は、死んではならんのです!!」



軍議をしている時、信長のケダモノの様な叫び声が聞こえてきました。



光秀が「私が見て参ります。」と言うと静かになり、信長が軍議の場に現れました。

城址石碑

信長 「近江より、急ぎの知らせが参った。近江より、浅井長政が兵を挙げた。狙いは、この信長。朝倉と示し合わせ、我らを挟み撃ちにするつもりであろう。」

騒ぐ重臣たち。

信長 「静まれ!! 引き戦は、明智、その方らに任せる。」

光秀 「はっ!」

信長 「わしは・・・、逃げる。」


・・・まあ、実際はどうだったか知りませんが。
(笑)




金ケ崎城を散策していると、「月見御殿」を見つけました。



月見御殿 説明

もしかしたら、信長、光秀、家康、秀吉らも、ここから月を見たかもしれませんね。

月見御殿の柵

柵の真下は断崖絶壁で、なにやら怖い注意書きを見つけました。

怖い注意書き

最近ここでがけ崩れがあったとのこと。

これは、熊より怖い!!

月見御殿 絶景

山の真下の火力発電所からの巨大な機械音とか工場の音とかが聞こえてきたので、これは大丈夫だろうなと思いました。

下から吹き上げる海風が恐ろしく強かったのが印象的でした。

尾根の縦堀

尾根伝いに、いくつかの急な傾斜の縦堀があり、なかなかの見応えがありました。

もしかしたら、これらの縦堀を乗り越えながら、浅井・朝倉軍が攻めてきたのでしょうね。

兵糧庫の説明を見ると、金ヶ崎の戦いで焼けたので、焼けたコメが見つかった と書かれていました。

兵糧庫の説明

この文章から、戦の時に火が放たれてお城が燃えた というのが分かります。

縦堀

時々見かける「クマ出没注意」が怖かったです。

鈴を二つ鳴らして、不安ながらも突き進みました。

行ったのは朝9時ぐらいで早すぎたのか、たまにスポーツしている人が運動で歩いていてすれ違うぐらいで、殆ど人はいませんでした。

道は続く

引き返すのも怖くなりながらも、慎重に進んでいると、その先には素敵な景色が待っていました。

続く。
Posted at 2020/11/18 20:32:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | 明智光秀 | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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