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すた☆君のブログ一覧

2020年11月06日 イイね!

びわ湖大津 光秀大博覧会④ 最終回~大津市歴史博物館「明智光秀陣太鼓」

西教寺を出て、最後の目的地「大津市歴史博物館」へ向かいました。

腹が減っては戦はできぬ。

とりあえず、ランチを。



駐車場のすぐ横が琵琶湖なので、景色が奇麗でした。



明智塚を探して散歩したら、何故かここに来た。



久しぶりに来た。

明智塚はまた今度探しに来よう。



やっと到着、大津市歴史博物館

入口看板

ちょうど 企画展「聖衆来迎寺と盛安寺 ー 明智光秀ゆかりの下阪本の社寺ー」もやっていたので、それも見ることにした。

結論から言うと、明智光秀、関係ないよね。

ただ、明智光秀がいたお城の近くにあるお寺ってだけで。

明智光秀、つけなくていいんじゃね??



「国宝 六道絵」が全部そろう とか、仏像も凄いんだから、それを全面的に出した方が良かったのに って思いました。

明智光秀だけが好きな人が行ったら、騙された感がありますよ。

料金高いんだから。



常設展は「明智光秀と坂本城」をやっていて、こちらは坂本城跡の発掘調査の紹介や、明智光秀陣太鼓 などあり、正直こちらだけで十分楽しめました。

博物館 横から

大津や坂本は、明智光秀の史跡に関しては、ボリュームがあるので、もっと勉強して、また訪れたいと思いました。

博物館の前には市街地が広がり、そのすぐ向こうに琵琶湖が見えました。



博物館の数百メートル東にある三井寺は、関ケ原合戦の大津城攻めの時に、砲台があった場所なので、

こんな風に大砲を飛ばして攻撃したんだな と イメージしました。

三井寺の大砲の軌道

こう見てみると、関ケ原合戦当時の大砲って、そうとう飛んだんですね。

だとすると、関ケ原の徳川家康の小早川秀秋への催促の鉄砲、もしこれと同じ大砲だったら、秀秋の近くまで余裕で届きそうですね。


三井寺ですが、大きなお寺なので、また改めて訪れたいです。

夕方になったので、足早に大津を離れることにしました。

琵琶湖大橋とロド 1

最後に、ロードスターの写真を撮りたいなと場所を探したら、やっぱりここかなと。



帰りは、琵琶湖沿いの道を 行きと逆にひたすら北に走り、帰宅したころにはすでに真っ暗になっていました。

これで、今回の 明智光秀の史跡巡り を 終了とさせて頂きます。


ここまで読んで下さった皆様、ありがとうございました。
Posted at 2020/11/06 08:09:41 | コメント(1) | トラックバック(0) | 明智光秀 | 旅行/地域
2020年11月03日 イイね!

びわ湖大津 光秀大博覧会③~禅明坊光秀館(西教寺)「明智光秀の本物の甲冑」

三つ目の会場の「禅明坊光秀館」は、西教寺の参道の途中にありました。

こちらも大河ドラマ館みたいですが、先に訪れた三か所よりもずっと小さな可愛らしい所でした。

光秀館 

ここは、ひろこさんのお墓があるので、ひろこさんの映像と撮影小道具が中心でした。

光秀衣装

ひろこさん役の女優さんのインタビュー映像が流れていて 「ふわふわした感じで演じて下さい と 指示があった」 との言葉が、最も印象的でした。

ひろこさん衣装

だから、ふわふわ しているんですね。

私、あの ふわふわ感、大好きですよ。


温石

大河ドラマの展示物の次は、琵琶湖の周囲のお城の説明があり、とても興味深かったです。



最後にガラス越しの甲冑があり、なんだろうとみてみたら 伝 明智光秀公の甲冑(個人蔵) と書かれていたので、驚きました。

伝 というと、一昨年だったでしょうか、岡山の 伝 兜の緒 というのを見てきましたが、それは、そこの幕末の殿様が蔵から出してきて 「これが島左近の甲冑だ」 から来ているそうなので、殿様が間違っていればそこまで。

これも、 どういう経緯か知りませんが、伝 なので、本当に光秀の甲冑かどうかは疑問ですが、それでも、明智光秀の本物と伝わる甲冑は見たことが無いので、そうなのかなあと、マジマジとみたりしました。


大河ドラマ館を出たら、参道沿いのお寺の一つへ立ち寄りました。

唐門

とても立派な唐門で、門の向こうに琵琶湖の奇麗な景色が見えました。



参道へ戻ると、前方のおばさんが 「関ケ原に行ったら」 とか話していたので、耳を傾けてみました。

おばさん 「お墓は嫌やね。この前 関ケ原に行った時に写真撮ったら、光がぴゃーっって映っとるの。もう、気持ち悪いん。」

このおばさんがいった 関ケ原のお墓 って、恐らく、決戦地の石碑か笹尾山の石田三成陣跡の石碑だと思うんですね。

それらをお墓と勘違いする人、たまーにいるんですよ。

書かれている説明や石碑の文字を読まない人が。

だから、今ここでハッキリと言わさせてもらいます。


おばさん、それ、あなたの撮影ミスですよ。

お墓じゃありません。 

勘違いです。

斬り!! 


こういう人が帰って関ケ原の変な噂を流すんだなと、目の当たりにしました。


それはそうと、穴太衆の石垣、立派ですよ。



地震で崩落した熊本城の石垣も、現代の穴太衆たちが修復したそうですよね。


たくあん和尚さんがここに来たという説明文と石碑がありました。



この石碑、流暢すぎて、さすがに読めへん。
(爆)



一通りみたので、ロドへ戻りました。

ロド 石垣

さあ、次は四つ目の会場 「大津市歴史博物館」 へ 行きますよ~。

^^

続く♪
Posted at 2020/11/02 19:20:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | 明智光秀 | 旅行/地域
2020年10月30日 イイね!

びわ湖大津 光秀大博覧会②~西教寺「ひろこ△の墓」「左馬之助が湖水渡りで馬につけてた遺品」等

お待たせしました、明智光秀の史跡巡りシリーズ 続きです。

滋賀院門跡を出て、西教寺へ移動しました。

ロド

これでもかと旗が立っていました。

山門横

ここ、初めてなんですよね。



ゆるい坂道を登っていくと、正面に西教寺が見えてきます。

緩い坂道

振り返ると、琵琶湖が見えて、とても奇麗です。

左の方に、近江富士がみえますね。



西教寺を建てたのは、なんと 聖徳太子。

聖徳太子

本堂のすぐ横の分かりやすい所に、明智一族のお墓があります。

看板

明智光秀の妻、ひろこさんのお墓です。

ひろこさんのお墓

明智城落城の少し前に、病気で他界されたそうです。

戦国時代は、武将の妻が先立つと、葬式には出席しない習わしだそうですが、明智光秀は出席した ということで、妻思いの夫だった と言われています。




すぐ右隣には、明智光秀一族の墓がありました。

明智光秀一族の墓

明智一族 じゃなくて、明智光秀一族 と 光秀 の文字を加えているところは、「他の明智一族とは違うんだぞ」と強くアピールしているようで、違和感がありました。

本堂の中は大変広い空間で、仏教の世界を演出しており、その雰囲気に圧倒されました。

これは京都レベルで、滋賀にこんなに素晴らしい歴史的建造物があるのかと、驚かされました。

時間が経つのを忘れて、建物の作りとか、見入っていました。

本堂

本堂の中にさわり仏があって、興味深そうに見ていると、通りすがりのご住職さんが「今はコロナだから触らない方がいいかも。」と言って下さったのには、ほっこり笑えました。

西教寺の会場は、本堂の裏の大本坊にありますが、これは滋賀県内にある昭和の最も大きな建造物だそうです。

大本坊



玄関を入ると正面に、明智光秀夫婦がお出迎えしてくれました。

玄関

せっかくなので、記念写真を。w

パネル

日本庭園から見る本堂は、圧巻でした。

日常生活を忘れてしまいそうです。

庭から本堂

ここには「明智光秀公資料室」というのがあり、どこにあるのかと探していると、大本坊から屋根の通路が本堂の裏に伸びていて、その奥の奥に、小さな小さな資料室 がありました。

とても小さな資料室なんですが、精鋭ぞろいと言いますが、あるものに圧巻されました。

屋根の通路

①部屋の中央に、「明智光秀が、戦で死んだ家来全員の弔いの為に、お米を出した書状」があり、その中には名字を持たない下級武士もあり、通常はこのような下級武士にはお米は出さないそうですが、光秀は出したということで、

身分の違いとか分け隔てなく、部下を大切にした 思いやりのある武将 と紹介されていました。


②「大本坊の建物の一部を解体した時に、坂本城から移築されたと思われる丸太が出てきて、そこに「天正 明智光秀」と文字が彫られた丸太」 が展示されていました。

驚くべきことは、450年 も前なのに、その漢字が今とほとんど変わらず、現代人、誰が読んでもはっきりと 天正 明智光秀 と分かる その筆記体でした。

書状などの古文書は、勉強しなければ殆ど読むことはできませんが、これははっきりとわかりました。

③湖水渡りの名将 明智左馬之助が琵琶湖を渡った時、馬につけていた道具 椅子 (私あんまり馬具は詳しくないんで) とか ありました。

鮫の皮を使って作ったそうで、戦国時代にそんな材料を使った技術があったことに感動しました。
もちろん、左馬之助の遺品がある事にも感動しました。

西教寺は、明智光秀の史跡巡りをしてきた私にとっては、ご褒美だらけの、感動しっぱなしの史跡となりました。


ここまで読んで下さって、ありがとうございました。

まだまだ続きますよ。

^^
Posted at 2020/10/30 07:33:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | 明智光秀 | 旅行/地域
2020年10月18日 イイね!

明智光秀の長男が入ったお寺 美濃加茂 正眼寺 明智光秀の史跡巡り最終回。

可児市を離れる時、気になる看板を発見。



八百津町の「杉原千畝記念館 人道の丘」

数千人のユダヤ難民を救った英雄。

みん友さんとコロナが収束したら一緒に行く約束をしているので、次回のお楽しみに。


美濃加茂市 正眼寺

今回の史跡巡りの最後の場所になります。



明智光秀の長男(山岸)晴光が入ったお寺です。

明智光秀は家系図がたくさんあるので、それによって随分違ってきますが、これは大垣市が出している進士山岸家嫡流の明智光秀の家系図からになります。

私が今年の初夏に没頭していた上石津町多羅城の一族です。

山間の静かな場所でした。



もしかしたら、ここで心穏やかに過ごしたのかもしれません。

晩年は、妙心寺に入ったそうです。


夕暮れ近くなり、お昼も食べていないので、かなりの空腹でした。

美濃加茂市の中心部に入ると、たまたま大好きな「ブロンコビリー」を前方に発見。



即、入店しました。



割引券を使って、1000円で栄養満点、お腹満腹。

するとこのタイミングで、徳島の友人からのメールの返事が。

「久々利城は地元の人が奇麗に整備していて、お手本のような山城」だとのこと。

ワタクシ、つい2時間程前にいましたよ、あそこの麓に。

そんなに良かったのか。

また今度行こうと思いました。



ひたすら下道を走って、無事に帰宅できました。

これで、今回の明智光秀の史跡巡りを終了とさせて頂きます。

長らくお付き合いして下さった皆様、ここまで読んで下さってありがとうございました。
Posted at 2020/10/18 18:19:08 | コメント(0) | トラックバック(0) | 明智光秀 | 旅行/地域
2020年10月15日 イイね!

明智城(可児市) ~明智光秀の史跡巡り~ 

花フェスタの大河ドラマ館の観光案内所で、明智城までの地図を頂き道も教えて頂き、いざ出陣。

歩き始めた時、「麒麟がくる」で一番人気なはずなのに、誰も歩いていない事に違和感を覚えた。

後から分かったのだが、何故か城の裏側(反対側)から入る、遠回りの道を教えてくれていた。
(なんでやねん!? みんなすぐ正面から入っとるやろ!?)

15分で着くと言うけど、歩けど歩けど、なかなか城の入り口に着かない。

ひたすら住宅密集地の中の坂道を、延々と歩く。

流石にくじけそうになったが、「ここだけは外せない!」と自分を奮い立たせて、30分後になんとか到着。
(正面からだと10分で着くぞ!?)

後から分かったのだが、城の裏側ルートは、花フェスタから離れたところに駐車場があるから、そこから歩いていく人の為のものだ。

教えてくれたじいさんは、よほどの健脚家なのだろう。

お城の旗

とりあえず、無事到着。

大河ドラマ館で買った 明智光秀ウォーターで喉を潤す。
(こういうのに弱い てか、岐阜城の大河ドラマ館でも買った)



なんだ、結構人がいるじゃないか。

ってか、みんな城の中の坂道をあっちの方から登ってきているぞ。

あの道はどこから?
(正常ルート)



奇麗に整備されていて、見やすかった。

七ツ塚

本丸のすぐ下に、七ツ塚がある。



明智城が落城した時に活躍した武将ちのお墓だ。

七ツ塚 横へ

後ろに明智光秀の像があり、その前に石垣に囲まれた丸いお墓が横一列に並んでいて、その先には明智庄が見える。

馬防柵

七ツ塚の横には、馬防柵があった。

いい雰囲気しているねぇ。



この木、よく分からない。

本丸 遠景

本丸には、明智光秀の新しい像があった。

光秀像

おおー、カッコイイねぇ。

てか、地面から浮いているように見えるけど、設置は大丈夫?

像のアップ

明智光秀、明智庄を見つめていますね。

石碑 説明

この石碑、新しいですね。

明智城址 石碑

こちらの石碑は、貫禄がありますね。

展望台

奇麗な展望台がありました。

説明

明智庄がよく見渡せます。

明智の庄 遠景

急な階段の名前、十兵衛坂って言うんだって。
(笑)

十兵衛坂

どんどん降りて行って、曲輪とか見て、また登ったら、木々の中に社がありました。



社の中には石塔があり、昭和48年に土の中から発掘され、歴代の明智城主一門の慰霊の為にあるそうです。

社の方からそのまま降りて行って、大手門まで行くと、まあ、人人人。

みんな、大手門の写真を撮っている。

テントとかあって、ここが正規の入り口だと初めて気が付きました。
(涙)

明智城 大手門 手前

ここに来て、思い出した。

なんか、見たことがある。

そうだ、ここに来たことがあるぞ。

大手門

7年ぐらい前、可児才蔵の史跡巡りで可児市に来た時、大手門の隣に明智光秀の巨大なご位牌があるということでお寺へ行き、その時にこの景色、見たわ。

忘れていた。

あの時は時間も遅かったから、お城へ登らなかった。

お寺、大手門のすぐ横にあったんだ。


今はコロナだから、お寺のご位牌も見られないだろう。

あの時は、ご住職さんが本堂の中へ案内してくれて、色々説明してくれて、とてもよかった。

いい時期に行っていたんだな。 と 思った。

明智城 説明

明智光秀の生誕地って、しっかり書いてある。

それにしても、どこが本当の生誕地なんだろうね。

生まれ育ったと生誕地は違うからね。


まあ、それはともかく、見るものすべて見て回り、なかなか堪能できました。

お勧めのスポットです。

^^


ここまで読んで下さって、ありがとうございました。w
Posted at 2020/10/16 06:28:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | 明智光秀 | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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