• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

すた☆君のブログ一覧

2011年08月19日 イイね!

富山旅行記 ③ 信長の分骨の墓の謎

富山旅行記 ③ 信長の分骨の墓の謎高岡に織田信長の分骨のお墓があると聞いて、とあるお寺(前田利長の菩提寺)へ行ってきました。

お寺自体は大変立派だったのですが、そのお墓とやらは、お寺のガイドの人に聞いてみると、織田信長の骨は納骨されておらず、父親や愛人の骨を入れて、織田信長の分骨としているとの事でした。


正直、ガッカリしました。


他人の骨を入れて分骨とかいえるんですねー。

初めて知りましたよ。

だったら、信長の分骨とか言うなって。

まあ、信長の骨があるはずも無いんですけどね。

ちょっと期待して行った私がバカだったのかもしれませんが。

(苦笑)

Posted at 2011/08/20 13:51:45 | コメント(1) | トラックバック(0) | 織田信長 | 旅行/地域
2011年05月16日 イイね!

清洲城

先日、清州城へ行ってきました。
幾度と無く歴史の表舞台に出てくるお城です。
信長亡き後、秀吉と勝家が後継者争いで話し合った『清州会議』、『関ヶ原合戦』前に東軍の一時的な待機場所になったり(家康からの伝言により、ここから西軍へ向け発進した。)、『小牧・長久手の戦い』で家康が滞在したり。

関ヶ原合戦前に滞在したのは、福島正則・池田輝政ら・・・多分あってると思う。笑。


清州城は名古屋の北部にあります。

お城へは電車で行きました。
JR清州駅で下車し、線路に沿って15分ぐらい南に歩いた所にあります。



天守閣


このお城は1989年に建てられ、まだとても新しいです。

天守上部


天守閣からは名古屋駅のツインタワービル(名古屋を代表する高層ビル)がよくみえます。
この日は霧がかかっていて、ちょっと見えにくかったですが。

清州城は城下町と共に名古屋へと移動しました。
その時このお城は解体され、天守閣の一部は名古屋城に使われました。

これを、『清州越し』といいます。

当時の清州城は、外堀・中堀・内堀とあり、名古屋城をしのぐほどの大変大きなものだったそうです。
お城は平城だったそうです。


天守の庭

天守入り口前には、岩の庭園がありました。
直進できないので横から迂回して入り口へと向かいます。


信長堀

信長が戦勝祈願で熱田神宮にお参りした後、戦に勝ったので、これを褒美に造らせたそうです。
(レプリカです。)



信長銅像

城から少し離れた所に、信長の銅像の公園がありました。
歩道が鉄橋の真下を通るので、怖かったです。
空が透けて見えるので、電車の底が見えます。



清州城跡の石碑

清州城の前に川があり、その対岸に石碑があります。
本当の清州城は、ここにあったそうです。


絵に描くとこんな感じでしょうか。

本当の城の位置

一部JRの線路の真上にあったと思われます。
電車で通りかかった人は、
『今、清洲城の中を走っている』
と想像してください。
^^


近代的でなかなか立派なお城でした。w
Posted at 2011/05/16 12:19:32 | コメント(5) | トラックバック(0) | 織田信長 | 旅行/地域
2011年04月06日 イイね!

長島一向一揆で中心になった寺

日本の歴史上、最大の宗教戦争、長島一向一揆。

約10万人の宗徒が戦国武将と戦いました。

ここはその戦いで中心になったお寺で、悲劇的な物語があります。



門の両側には、二種類の家紋がありました。

日本で一番目と二番目に由緒のある家紋です。

豊臣の家紋(二番目)


これらの家紋が使われているのは、やはりここの寺の壮絶な歴史に天皇家が考慮をしての事でしょうか。

大変な門です。

めったに目にしないものを見ました。


天皇家紋(一番目)



寺の中に、長島一向一揆で亡くなった方々の慰霊碑がありました。


石碑


長島一向一揆で、最後まで寺に残ったのは、約2万人。

信長は、彼らを逃がさないように何重もの柵で囲い込み、火を放ち、焼き殺しました。

想像を絶する恐ろしい出来事です。



そんな出来事が起こったとは想像もできない、とても静かなお寺でした。
Posted at 2011/04/06 23:11:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | 織田信長 | 旅行/地域
2011年03月15日 イイね!

信長の館跡② 

信長の館跡② 現在、発掘調査が行われており、3月上旬まで一般公開されておりました。

僕が行った時も、なにやら測定を行っておりました。


信長の旗


ここのすぐ近くのお寺の近くで、斎藤道三の城下町の跡が発見されました。

僕がココに訪れた数日後だったので、ガッカリしました。

ちなみにそのお寺は、先日紹介した、斎藤家ゆかりのお寺の辺りです。


案内所


余談ですが、そのお寺の斜め前にあるお寺には、昔、竹中半兵衛の屋敷があったそうです。

どちらもココを訪れた後に知った情報だったので、ガクリとしました。


石段右から


一部、土地を掘り起こした状態で残されています。


石段左から


この中に、戦国時代に焼かれた地層と、石段が見られます。


後ろの2段になっている石垣ですが、戦国時代にはさらにこの上に高さ20メートルぐらいの城壁があっただろうと書かれていました。

下の一部分だけが残っているとの事でした。


説明


焼かれた跡探したんですが、正直よくわかりませんでした。

石段


先に進むと、石の山がありました。



石の山


発掘調査中に出てきたどうでもいい石を積んだだけらしいのですが、こんなにたくさん出てくるもんなんでしょうか。

どこかに使われていた石じゃないのか?



岐阜城の旗



金華山ロープウェイは、新しく取替え中でお休みでした。

交換は19年ぶりだそうです。

最近戦国ブームですから、儲かっているんでしょうね。

^^


天下布武



滝がありました。




山之内一豊とちよの碑がありました。

二人はここで挙式したそうです。

ちよは、郡上八幡城で生まれたそうです。

岐阜より数十キロ北にある、綺麗な城です。

^^


いろいろなゆかりがある公園です。
Posted at 2011/03/15 10:00:29 | コメント(2) | トラックバック(0) | 織田信長 | 旅行/地域
2011年03月14日 イイね!

信長の館跡 金華山

金華山周辺の散歩をしました。

麓に板垣退助の銅像があります。

板垣退助が暴漢に刺されて重傷をおったのは、ここ岐阜市でした。
『板垣死すとも自由は死せず』との名言はここで生まれました。
まあ、明治時代あまり良く知らないんですけどね。



織田信長の館跡があります。
とても保存状態がいいそうですよ。

信長の館門 (入り口です)

このすぐ横に信長の銅像があるらしいのですが、見落としました。
不覚です。



地図


去年、大垣市にある『曾根城跡公園』へ行った時、城跡の石垣が地中にありました。

そこは、美濃三人衆・稲葉一徹の城跡なんですが、そこの看板に、ここよりももっと凄いのが『信長の舘跡』と書かれていたので、興味を持って今回やってきました。




そう言えば、美濃三人衆は、四人衆とも呼ばれていて、不破光治が四人目になるそうですね。

ちょうど彼の城跡を探しに行った後だったので、驚きました。




稲葉一徹といえば、こんな言葉を残しているそうですね。

『我年老いたり、たとい敵に死せずとも、それよく久しからんや。我死なば必ず勝つべし、と言いて、陣を整えて待てり。徳川勢すなわち引きのけり』






住居のすぐ右には、長良川。

真後ろには、金華山。

左にも山が続きます。

敵が来たら排水の陣という感じもしますが、城まで登ったら大丈夫だったのでしょうか。





家の周りは巨石に囲まれていたんですね。

この時代の人たちは、巨石好きですね。
Posted at 2011/03/14 13:26:07 | コメント(1) | トラックバック(0) | 織田信長 | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/6 >>

1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     

ブログカテゴリー

リンク・クリップ

霧の中の決戦地 
カテゴリ:関ヶ原合戦の史跡
2010/12/24 11:25:35
 
関ヶ原町の史跡 『十九女池・六部地蔵・七つ井戸・与市の墓』 
カテゴリ:岐阜県の史跡(関ヶ原合戦以外)
2010/12/20 12:40:04
 
関ヶ原町 『常盤御前の墓・鶯の滝』 
カテゴリ:岐阜県の史跡(関ヶ原合戦以外)
2010/12/20 12:36:11
 

愛車一覧

トヨタ ノア ハイブリッド トヨタ ノア ハイブリッド
ノアハイブリッド
マツダ ロードスター マツダ ロードスター
2代目の戦国ロードスターです。 出陣時は関ケ原バージョンになります。
日産 ラフェスタ 日産 ラフェスタ
中古で買って、5年間乗りました。 4WDです。 買って半年後に底から大きな「ブーン」と ...
マツダ ロードスター すた号 (マツダ ロードスター)
マイナス2℃で、オーポン走行しました。 冬でも幌をあけるオーポン漢を目指しています。
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation