• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

すた☆君のブログ一覧

2012年02月24日 イイね!

京都戦国史跡巡り ②細川忠興・ガラシャの墓、本能寺・織田信長・森蘭丸らの墓

京都戦国史跡巡り ②細川忠興・ガラシャの墓、本能寺・織田信長・森蘭丸らの墓大徳寺⇒石田三成の菩提寺⇒と移動し、寺の密集する大きな公園のような敷地内を、時計の反対回りにあるきました。



車の喧騒から離れた、静かな道。


心が和みます。

ここには、有名な武将達のお墓がたくさんあると聞いていました。


しかし、実際には・・・。



お寺の門を、かたっぱしから見ていったけど、殆どが ≪面会謝絶≫ 。

≪謝絶≫  とは・・・。


・・・謝って、絶つ。

つまり、・・・申し訳ないけど、お断り。。。



・・・ほんとうにそうか!?

対応がめんどくさいだけじゃないのか!?

十分もうかっているから、観光客を入れる必要ないとかじゃないのか!?


(また裏を読む筆者)


三成の寺のちょうど反対側でしょうか、入場を許しているお寺を発見しました。

殆どのお寺が面会謝絶の中、心の広いお寺だなあと、嬉しくなりました。

塀と塀に挟まれた道の先にある、小さいながらも立派な門。

この先に何があるんだろうと、綺麗に整備された迷路のような小道を、奥へ奥へと進んでいくと、受付とお寺の説明が。。。

ななな、なんとココに、細川忠興とガラシャのお墓があるというではありませんかっ!?


・・・感動しました。

あの有名な二人のお墓を参拝させていただけるなんて。。。

(お金取られますが)








細川 建物


大体の人は、ガラシャは知っていますが、戦国時代に興味がある人以外は、忠興についてはあまり知られていません。

細川忠興(ほそかわただおき)は、関ヶ原合戦で東軍で戦いました。

ガラシャは忠興の妻で、絶世の美女。

ヤキモチ焼きで冷酷な忠興は、ガラシャに見とれた人間を殺したり残酷な事をしました。

関ヶ原合戦の直前、石田三成が東軍の武将の妻達を拉致しようとしたが、ガラシャはこれを断固拒否。

キリシタンであるがゆえに自害できず、家来に自分の胸を槍で突かせて、壮絶な死を遂げた・・・というのは、大河ドラマなどでもよく見る有名なシーンです。




縁側からスリッパを履いて、庭におりました。



あの門の向こうに、細川夫妻のお墓があります。


墓手前の庭



門の向こうに、ちらっとお墓が見えました。


墓の門




門の両側の扉には、何故か豊臣家の家紋が彫られていました。


忠興は東軍なのに、徳川家の葵のご紋でないのでしょうか?



門に豊臣の家紋





墓説明



このお墓は、千利休の遺品だそうですね。

だから、豊臣家の家紋なのでしょうか。

これはまた、貴重な・・・。

近くに大徳寺がありますが、何かつながりがあるのでしょうか。。。




細川忠興・ガラシャ夫妻の墓




二人で同じ墓に入っていました。


辺りは静寂で、とても静かでした。


かの有名なガラシャが(忠興も)、ここに眠っているんだなぁあと、これまた身近に思い、

しばし、感動。。。




墓石の豊臣






墓石の細川






細川の家紋の瓦




さて、ここでも、お寺の塀の線の本数に注目。


線3本



源光庵は線5本でしたね。

確か、線が多いほど位が高いのですから、こちらが格式が2段階下だという事でしょうか。。。

ガラシャ夫妻のお墓を堪能し、大徳寺を散策した後、南下して、3つ目の目的地、本能寺へと向かいました。



本能寺の門





ここでも線の数を・・・

(笑)


本能寺 線5本



・・・んんん? おやおやおやぁ? 

こちらは、線が5本。

最初に行った源光庵と同じ位という事ですね。

^^;



それはさておき、中に入る事にしました。

本能寺は、新京極(だったと思う)という名前の商店街のアーケード街の中にあります。

周りには、多くのお店があり、歩いているとその中に突然お寺が現れます。



初めて本能寺に来たのは、小学校の修学旅行のときでした。

夕暮れ時に新京極のアーケード街をプラプラ歩いていると、店店の隣に突然、怪しいお寺の門が現れました。

その頃はまだ子供だったせいもあってか、お寺の門は重厚でとても大きくて、異様な威圧感を感じました。

夕暮れ時だったので、門の向こうが夕焼けで赤く暗く、薄気味悪い雰囲気が漂っていたのを、子供心に感じ取りました。

一緒に行動をしていた同級生の誰かが 『なんか、異様やなぁ』 とつぶやき、子供数人でわらわらと門の表札に近寄ってお寺の名前を見てみると、


本能寺


と書かれていたのを、はっきりと覚えています。

子供の誰か   『本能寺・・・。これって・・・。』

あのときの異様な空の色は、今でも脳裏に鮮明に焼きついていて、忘れられません。

遠い遠い子供の頃の、不思議な体験です。




信長の霊廟



これも、言ってしまえば形だけ。

信長は本能寺の変で行方不明になったので、当然遺骨は入っていません。

関ヶ原にある大谷吉継のお墓と同じですね。

でも、大事にされていたら、本物と同じでしょうね。



織田信長の墓



信長の墓のすぐそばに、共に本能寺の変で亡くなった人たちの共同のお墓もありました。


森蘭丸らの墓



森蘭丸といえば、去年の春に長久手へ行った時、森可成のお墓に行ったような。

私の行くところには、森一族のゆかりの地もよく目にします。


墓説明







続く。

Posted at 2012/02/24 21:19:19 | コメント(1) | トラックバック(0) | 細川忠興・ガラシャ | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/6 >>

1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     

ブログカテゴリー

リンク・クリップ

霧の中の決戦地 
カテゴリ:関ヶ原合戦の史跡
2010/12/24 11:25:35
 
関ヶ原町の史跡 『十九女池・六部地蔵・七つ井戸・与市の墓』 
カテゴリ:岐阜県の史跡(関ヶ原合戦以外)
2010/12/20 12:40:04
 
関ヶ原町 『常盤御前の墓・鶯の滝』 
カテゴリ:岐阜県の史跡(関ヶ原合戦以外)
2010/12/20 12:36:11
 

愛車一覧

トヨタ ノア ハイブリッド トヨタ ノア ハイブリッド
ノアハイブリッド
マツダ ロードスター マツダ ロードスター
2代目の戦国ロードスターです。 出陣時は関ケ原バージョンになります。
日産 ラフェスタ 日産 ラフェスタ
中古で買って、5年間乗りました。 4WDです。 買って半年後に底から大きな「ブーン」と ...
マツダ ロードスター すた号 (マツダ ロードスター)
マイナス2℃で、オーポン走行しました。 冬でも幌をあけるオーポン漢を目指しています。
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation