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すた☆君のブログ一覧

2013年04月04日 イイね!

曽根城と桜のトンネル

お花見に曽根城跡公園へ行ってきました。

この公園の横には、千本桜という桜のトンネルがあります。





下の写真で、右にあるのが稲葉一鉄の居城の曽根城の天守址のお寺で、稲葉一鉄のお母さんの菩提寺になります。

写真の左にあるのが、桜のトンネルです。

ちなみに写真には写っていませんが、菩提寺のちょっと右に、斎藤利三の住居跡があります。

春日局のお父さんです。

曽根城



桜並木の土手の中腹のベンチで、友人達とお花見弁当を食べました。

近所のホットモットで買ってきたからあげ弁当です。


花見弁当

桜吹雪が綺麗でした。




弁当を食べたら、トンネル内を散歩。

はるか東の方に、金華山が見えました。

てっぺんにモコッと飛び出ているのが、岐阜城です。


岐阜城




最近曽根城、まとわりついてきます。

関ヶ原クイズバトルの決勝に出てきたあたりから。

(爆)



春日局


ここには、斎藤利三の住居跡があるので、その娘の春日局の生誕地ではないか?と言われています。

斎藤利三は、最初は稲葉一鉄に仕えていましたが、その後明智光秀に仕えました。

しかし、本能寺の変、山崎の合戦で敗れ、この世を去りました。

娘の春日局(お福)は、徳川家の大奥のリーダー的人物で、三代将軍徳川家光を育てた事で知られています。

ここ数年は、映画やドラマなどで有名になりました。
Posted at 2013/04/06 16:39:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | 稲葉一鉄 | 旅行/地域
2013年03月27日 イイね!

清水城址 ~稲葉一鉄が晩年を過ごした城~

清水小学校の東側にある校門の左手には、清水城(きよみずじょう)本丸東面の石垣が残っている。


石垣


校門の右側にも低い石垣らしきものが見えるが、こちらは最近つけた違うもののように思われる。

右側

1356年、林七郎左衛門通兼がここにあった山に城を築いたのが始まりと言われている。



その約200年後、稲葉一鉄がこの城を攻め落とした。


1565年、曽根城主の稲葉一鉄がここのすぐ北にあった山城(一鉄のお墓のある山の東の端っこ部分が、旧清水城跡になる)を壊し、その材料をここに運んで、新しい平城の清水城を築いた。

1579年、一鉄は曽根城を嫡子の貞通に譲り、清水城を居城とした。

1588年、一鉄はここ清水城にて、この世を去った。

享年74歳。




城 平面図



城跡だが、地籍図上には約80メートル四方の主郭跡と、学校の北東から東側にかけて水路を廻らせた城下町の跡が見られる。




校舎


一鉄が亡くなった後の清水城についてだが、嫡子重通が城主となり、その次の城主通重が京都で狼藉を起こし改易となり、廃城となった。


木の杭にある『春日の局ゆかり』の意味だが、一鉄はおふく(春日の局)の養祖父だったので、

もしかしたら 『春日の局は、ここで育てられた』 という意味なのかもしれない。


清水城 説明




岐阜県いびがわ町・・・、稲葉一鉄の史跡がたくさんあり、興味のある人にはお勧めの町でした。
Posted at 2013/03/27 23:52:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | 稲葉一鉄 | 旅行/地域
2013年03月27日 イイね!

稲葉一鉄の墓  ~月桂院~

稲葉一鉄の墓所 月桂院を訪れた。

山の中腹の際に沿って、せせり立つ様にあるこのお寺。

入口の急斜面は結構細く、『もしもこの先、駐車場が無かったら・・・』 という不安感を払いのけ、突き進むと幸運にも広い駐車場が。

無事、たどり着く事ができました。





ここは、稲葉一鉄が亡くなった城 清水城のすぐ北にあります。



石碑




戦国史にて名だたる武将だったので、きっと寺の奥の奥だろうと思って足を踏み込んでみると、意外にもすぐ手前にありました。




年表



・・・一鉄の年表、字が薄くて読む気になれませんでした。



『姉川の戦いで、徳川家康が迷わず稲葉一鉄を指名した』 など、彼のかっこいいエピソードが書かれていたら、サイコーなんですけど。。。









数々の戦で活躍した武将は、ここで静かに眠っています。。。



墓 説明



・・・ここに息子のお墓は無いんですね。


どうしてでしょう・・・。








この真下に遺体が埋められているんですね。。。



墓アップ



多くの新規のお墓たちに囲まれた、静かな場所でした。
Posted at 2013/03/27 12:41:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | 稲葉一鉄 | 旅行/地域
2013年03月27日 イイね!

稲葉一鉄の甲冑・揖斐城

稲葉一鉄の甲冑・揖斐城いび川町歴史民俗資料館:岐阜県いび川町上南方901番地5、いびがわアリーナの隣


ここの資料館に、稲葉一鉄の甲冑を見に行ってきました。

いろいろ調べていると、偶然見つけ、これは是非いかねばと、足を運びました。

一鉄が戦い中にずっと着ていた甲冑が、そこで静かに眠っていました。

肩を覆う部分が異様に大きかったのが印象的でした。




資料館の前には、揖斐城の山があります。

1343年、土岐氏がこの城を築いて、揖斐氏を名乗るようになりました。

1547年、斎藤道三によって落とされ廃城となった。

その後、堀池氏が入ったが、1583年に稲葉一鉄の攻撃を受けて退却し、その後一鉄の子の貞通が揖斐城付近を治めるようになった。



低そうな山なんで、いつかチャレンジしたいです。
Posted at 2013/03/27 12:17:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | 稲葉一鉄 | 旅行/地域
2013年03月27日 イイね!

本郷城跡  ~稲葉一鉄の生誕地・関ヶ原合戦で焼失~

岐阜県池田町本郷字北瀬古



城の入口と道幅は1メートルほどしかないので、向かいの空きスペースに駐車をお勧め。


本郷城跡 全体


2回さまよって、3回目にしてようやくたどり着く事ができました。


ここは、稲葉一鉄の生誕地です。


説明板

土岐頼忠が築城し、その後半世紀の空白期間をこえ、豪族国枝氏がやってきました。



一鉄の母が国枝家の娘だったので、一鉄はここで生誕したといわれています。









関ヶ原合戦の時、城主の国枝政盛は、織田秀信(三法師)に仕えていたため、東軍に焼き払われてしまいまい、廃城となりました。





ここで、最近行った 『米野の戦い』の史跡と、つながりました。






石碑 由来



ココに来て、土岐氏の名前をよく耳にします。




石垣?



土岐氏といえば、明智光秀の名前が思い出されます。





馬乗り石




今度はもう少し時代を遡って、土岐氏を調べてみようと思います。
Posted at 2013/03/27 11:29:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | 稲葉一鉄 | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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