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すた☆君のブログ一覧

2012年11月21日 イイね!

鳥取旅行記④ 鳥取城址

鳥取砂丘を出発したあと、ご当地ソフトを食べて、鳥取城址へと向かいました。

城跡に近づくにつれて、暗雲が立ち込めてきて怪しげな天候に。

つい今のさっきまでの暖かい気候の晴天が、嘘のようでした。

その薄暗い天候は、鳥取城の凄惨な歴史を醸し出しているようで、不気味に思われました。

まずは麓にある歴史資料館へ。



やまびこ館

ここで鳥取城の歴史を詳しく勉強する事ができました。

入り口の音が地下鉄の駅のような感じでした。




たっぷり勉強した後、ちょっと引き返して鳥取城へ。


城山遠景


山頂に天守閣址のようなものが見えました。


天守址アップ

山の麓に来た時、どうしても駐車場が見つからず、手前を2往復ぐらいしました。

あとから堀の前の路上駐車しかないということが分かり、難義しました。

城の入り口を探している時、お堀の橋の向こうに石垣が見えました。

ここがお城の駐車場かと入っていくと、引き返せない道の細さが右にカーブし、高校の入り口の駐車場へと続いていました。

バックで引き返すこともできないので、しかたなく、高校の入り口で車を切り返してUターンしていると、学校の先生らしきおっさんが、腕組みして仁王立ちをし、こちらをにらんでいました。

・・・ちょっと考えたら、観光客が迷い込んだって分かるだろうに。

車のナンバープレートとかさぁ。

もっと、ソフトな対応できんのか?

正直、気分が悪くなりました。

入り口にもっと分かりやすく、高校入り口って書いておけよな。

高校の手前の石垣


予め、この近くに吉川氏の銅像があると分かっていてその前を通りかかりましたが、とにかく駐車場が無く、通りすがりに写真撮影。

鳥取城の英雄です。

吉川経家の銅像


そんなこんなで、何とか鳥取城址へ到着できました。



石碑




お堀には鯉がいっぱいいました。

持っていたパンくずを投げると、気持ち悪いぐらいいっぱい集まってきました。

おなかすかせとんかなぁ。。。



城の入り口に、鳥取県立博物館があったので、立ち寄りました。

鳥取砂丘のしくみがよくわかって、おもしろかったです。






お堀の鯉








ここ鳥取城には、悲惨な歴史があります。

1580年、羽柴秀吉が中国地方を攻めていた時、ここ鳥取城へとやってきました。

その時、城の応援として、優れた武将の吉川経家が、鳥取城主としてこの城にやってきました。

秀吉は城を攻める際、『兵糧攻め』という、もっとも残酷な手段で城を落とす事にしました。

それは、あらかじめ商人に城の兵糧を買わせておく、毛利の船舶での食糧輸送なども叩いておくなど、徹底したものでした。

城の周りは、ねずみ一匹はい出でる事がないぐらいに取り囲まれました。

しかし実際には、米俵に隠れて川から脱出に成功した農民もいたそうです。



ここからはうる覚えですが、

城には、兵士数百人分の食料しかなかったのに、それよりもさらに多い麓の村人たちがこの城山へと逃げ込み、兵糧は3週間ほどで無くなったといいます。

秀吉による兵糧攻めは、3ヶ月間続きました。

人達は、山麓に仮の小屋を造り、山に生えている木のつるなどを食べ、飢えをしのぎました。

しかし、いよいよ本当に食べるものがなくなったとき、人々は狂乱と化し、餓死した馬や人の肉を食らったそうです。

それはまさに、飢餓地獄でした。

城主の吉川経家は、自分の命と引き換えに開城し、切腹をしてこの世を去りました。

秀吉は、経家ほどの優秀な武人を殺すのはもったいないと考えていたそうですが。



そういう凄惨な事をやって、秀吉は天下人となることができました。

なのでいつも思うのが、大阪とかだと、秀吉の事を親しみをこめて『秀吉さん』って、さん呼びしてたりしている人たちがおりますが、聞いていてすごく気色悪いです。

また、家康が天下を取らなかったら、関ヶ原で負けていたら福島とか加藤とかが力をつけて、もっと戦国時代が長く続いていただろうから、それでよかったとかいう人たちもいますが、本当にそうでしょうか? 

散々残酷に人殺しまくっといて、なにゆうとんねんって 

平和的解決のつもりか?

って、

・・・もちろん、ガイドでは言いませんが。

笑顔で 『そうですね。^^』って、答えています。

(爆)






地図


城門の前に行くと、ちょうど下山してきたおじさんと出会いました。



おじさん  『登ってみなはれ。砂丘がようみえるでよ。^^』


      『・・・あんたらだと、40分ぐらいかなぁ。^^』




解説



砂丘で足がガタガタになっていて、今日中に岐阜に帰らなければならないのでスタミナを温存せねばという事情もあったので、




すた    『そうですね。^^』


と答え、階段を登るそぶりを見せながら、後でおじさんが完全に去るのを見計らって、とっとと下山して帰ることにしました。


(--;)





城門と石垣



あと簡単に鳥取の歴史を言いますと、池田輝政の弟が入ったそうですよ。


城門をくぐった後の階段と石垣




続く
Posted at 2012/11/23 13:41:18 | コメント(2) | トラックバック(0) | 鳥取城址 | 旅行/地域
2012年11月19日 イイね!

鳥取旅行記②  河原城

鳥取旅行記②  河原城高速道路を走っていたら、たまたま左に見えました。

よってはいませんが、帰ってから調べる事に。

ここは、豊臣秀吉が鳥取城を攻める時に陣を構えた丸山という出城があったそうです。

天守閣は最近になって新しく作られ、城の名前は町の名前にちなんでつけられたものでしょう。

鳥取旅行記ですが、ワタクシご承知のとおり、戦国時代に興味がありますので、当然のごとく、鳥取城にも行ってきました。

ここは、秀吉の兵糧攻めで飢餓地獄と化した事で有名です。

しかし実際行ってみると、とても綺麗に整備されていて、当時の面影は全くありませんでした。


最近あんまり時間が無いので、長いレポを避けてきましたが、またボチボチと書いていきたいと思っています。

Posted at 2012/11/21 00:55:34 | コメント(2) | トラックバック(0) | 鳥取城址 | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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