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すた☆君のブログ一覧

2017年08月24日 イイね!

戸川家記念館 『島左近の兜の緒』の謎に迫る。

備中高松城址を離れ、今夜のお宿へ。

倉敷美観地区の真横にある。


倉敷ロイヤルアートホテル


ここは、アートをモチーフにしたホテルで、面白かった。

ちょっといいホテルで、たまには贅沢。


うぐいすパン


ご当地スーパーで見つけた面白いパン

緑色のこしあんが入っていて、けっこうおいしい。

でも、なんで うぐいす で 緑 なんだろう。




このホテルは、チェックアウトのお昼まで駐車してもいいというのがとても嬉しい。


倉敷美観地区



ここは危ない。

財布の紐が緩む誘惑がいっぱいだ。

とてもよかったので、ホテル共にまた来年も来たい。

^^


美観地区を満喫したあと、今回の目玉の一つである『戸川家記念館』へ。

ホテルからそう遠くない。



ここに来た目的は、そう。

『島左近の兜の緒』 が展示されているからだ。



百聞は一見にしかず。

自分で確認するのが一番だ。


島左近の死の謎は、関ケ原合戦の大きな謎の一つだ。




ついに ここまで やってきた。


ついてみると・・・


13時



まさかの閉館。。。

調べてきたのにそれはない。

張り紙してあるが、貼りっぱなしも考えられる。

役場に確認の電話をしてみると、お昼休みが終わったら開けるとのこと。

ほっとした。


駐車場で休憩してたら、誰か来た。




いってみると開いていた。

入るとすぐにわかった。

『島左近の兜の緒』


第一印象は、兜の緒に見えなかった。

ちょっと言い方が悪いかもしれないが、フカフカの布きれがとぐろを捲いているように見えた。


自分は本物の侍甲冑を持っているが、比べると、全く違う。

数百年たっても、もっと紐らしくしっかりしている。

紐は紐のまま固まり、弱い紐は触ると粉々にくずれていく。


どうしてこれが『島左近の兜の緒』なのだろうか?



ガイドさんにさっそく聞いてみた。


これは、戸川家15代が出してきたもの とのこと。

ここで図録を買ったのだが、早島戸川家13代目は1855年~1924年(大正13年) を生きた方 らしい。


関ケ原合戦に徳川家康と一緒に東軍として戦った 戸川達安(みちやす)は、島左近を倒した功績として、2万9千200石を与えられ、大名に取り立てられた。

戸川氏は宇喜多秀家の家老で、宇喜多騒動で宇喜多家を離れ、家康の下へ行った。

戸川家はみちやす亡くなった後、二つのお家に別れている。




関ケ原合戦図屏風には、戸川達安が細川や竹中と一緒に戦っているのが描かれている。



記念館 駐車場から




ここでもっと掘り下げると、島左近の兜は久能山東照宮に奉納されている。

私はそれを 大関ヶ原展 で見た。

第一印象は、  『左近の兜って、小さいなぁ。』  だった。

この紐と比較してみると、大きさが合わない。

フカフカにしても、紐が太すぎる。



あと戸川家13代が大正13年(1924年)に亡くなられたのだったら、15代目は昭和の人になる。

左近の兜が久能山東照宮に奉納されたのは、日清日露戦争の時だから、1905年前後か。

この時期に久能さんに奉納すると言う意味は、おそらく島左近は軍神だから縁起がいい というニュアンスからだろう。


とすると、昭和になってから、戸川家15代が蔵かどこかから 『島左近の兜の緒』 を出してきた という事になる。

どうしてこの時期に出してきたのだろうか。

昭和初期となると、これまた戦争の時期になる。



それと、これが島左近の兜の緒を表すという証拠の古文書がない。



最後に気になったのが、戸川達安が大名になった功績が『島左近を討ち取った事』なのに、そんな重大な写真が、記念館の資料 図録 には 掲載されていない。

他はたくさん写真が載っているのに。



あと、以前他の方から聞いた、甲冑は戦争で焼けたから無いとのこと。

そして最大の疑問は、では、島左近のご遺体はどこへ行ったのか?

これは全くの謎である。



それと、戦国当時は、甲冑は今みたいに大切なものとしては扱われなかったらしい。



戸川家記念館 入り口






結論

以上の事から考えると、私はこれを本物だとは思えない。



ただし、これはあくまでも、私の個人的な考えによるものと捉えて頂きたい。

歴史は想像するのが面白いので、信じる信じないは、皆さんのご自由です。






石橋



記念館は屋敷跡に建てられていて、この石橋は当時の200年ほど前のものらしいです。

昭和になってダンプが通った時に石橋が割れて、そこからこの時代の年号を示すものが出てきたとか。




最後に、

長時間ガイドをして下さった管理人さん、ありがとうございました。

岡山はまだまだ知らない事が多いので、もっと勉強したらまたやってきたいです。

Posted at 2017/08/24 17:00:36 | コメント(0) | トラックバック(0) | 島左近 | 日記
2016年05月09日 イイね!

島左近の居城 椿井城  ~奈良県平群(へぐり)~

奈良県平群にある 島左近の居城を訪れました。

奈良の大仏さんから、南西に20~30キロぐらいのところにあります。


まず、スタートは道の駅から。

ここに停車して歩きます。

道の駅


お城は道の駅の向かいで近そうですが、往復で1時間半~2時間はかかります。


椿井城(つばいじょう)遠景


入り口

薄暗いしあまり整備されていないしで、正直女性は怖いだろうなあと思いました。


忘れ物
カメラのキャップがありました。


のぼり道
落ち葉が凄かったです。

滑るので怖かったです。


途中、道の横の竹林の中でなにやら怪しいおっさんを発見しました。

ちょうど日陰になっていたので休憩していると、おっさんは作業をやめて不穏な動きを始めました。

勝手にたけのこを取っているのかと思いましたが、かかわって犯罪に巻き込まれるのも怖いので、無視して先に進みました。



春先と言うこともあり、くまんばちの縄張り争いに巻き込まれて、行く手をくまんばちにさえぎられにらまれ、しばらく先に進めなくなったりもしましたが、なんとか走り抜けて脱出、無事に天守跡に到着しました。


展望
矢印の下が道の駅です。


城跡は北側と南側があり、南側を登りました。

北側は道がもっと酷いそうです。


堀切


なかなかりっぱな掘りきりでした。



掘りきりを下る

片手でロープをつかんで、それはまるでアスレチックのようでした。




渡った先に、左近が居ました。


左近アップ



ピノキオのような左近さんでした。



せっかくお会いできたので、お手合わせ願いました。



勝負




物凄い気迫が伝わってきました。

さすが、伝説の猛将、島左近。


鬼左近と呼ばれるだけの事はあります。




追い詰め


しかし、私も関ヶ原の赤備え。

負けはしません。



やられ

一瞬の隙を突いてやられました。


^^;


やっぱり島左近は強かったです。

(笑)




下山して道の駅でランチして、道の駅の裏の山へ。

ここには、お城が北と南に二つありました。

今はスポーツ公園になっています。

南のお城跡は古墳跡と重なっていて、島左近のお母さんのご位牌のあるお寺がすぐ横にあると知りました。

古墳と島左近の説明


嶋左近のお母さんのご位牌のあるお寺


お寺の横が公園になっていて、長い滑り台があったんで、下りました。



下る

(*大人は滑ってはいけないという注意書きはありませんでした。きっと幼児と共に降りるためだと思われます)

下る2
(*大人は滑ってはいけないという注意書きはありませんでした。きっと幼児と共に降りるためだと思われます)




島左近の椿井城の左斜め向かいには、松永弾正久秀の居城 信貴山城があります。

次回、信貴山城 編。

続く♪
Posted at 2016/05/09 20:58:45 | コメント(0) | 島左近 | 旅行/地域
2013年07月09日 イイね!

島左近の陣旗と馬防柵

島左近の陣旗と馬防柵やっぱ、剛の者って、かっこいいっすよね。

自分自身が戦って強いやつら。

戦の神様・島左近、単純明快、豪傑の福島正則とばんだんえもん、戦国最強の本多忠勝、首を取りすぎて背中に挿した笹をちぎって首の口にほおりこむ槍の達人可児才蔵、強いのに首を差し出した湯浅五助、2メートルの巨体の藤堂高虎。

大将自ら一番に敵につっこんでよく怒られたという井伊直政のエピソードも好き。

彼らの戦いっぷり、タイムスリップして生で見てみたい。

(笑)

Posted at 2013/07/09 01:20:57 | コメント(1) | トラックバック(0) | 島左近 | 旅行/地域
2013年04月13日 イイね!

瀬田の唐橋~明智佐馬助 湖水渡りの地を求めて・・・

明智左馬助 湖水渡りの地を求めて、大津へ行った。

結論から言うと、今気がついたのだが、何を勘違いしたのか、瀬田の唐橋を湖水渡りの地と思い込んでいた。

実際は、打出浜で、下の写真のこの場所からだった。



県立びわ湖文化館の右側



なんか変なお城がある! と、写真を撮っておいてよかった。

(爆)


きちんと石碑もあるようなので、また次回、リベンジしたい。





さて、ここから少し移動した所に、瀬田唐橋というのがある。

前回この付近に来た時時間が無かったので、ようやく来られたと、嬉しく思った。

アスファルトの道路に 瀬田唐橋↑ とペイントされていて、これは凄いなあと思った。

観光地で道路にペイントされているのは、私の知る限りでは、USJとハウステンボスぐらいだ(他は知らないだけ・忘れているだけかもしれない)。





唐橋 ずっと手前の桜から琵琶湖と反対方向


桜が綺麗で、唐橋もなかなか綺麗で整備もされていて、とてもよかった。

最近リメイクされたばかりなのだろうか(私が近眼で綺麗に見えただけなのかもしれない)。







地図



瀬田の唐橋は、琵琶湖の南の端っこにかかっている橋で、昔から交通の要所とされている。






桜と唐橋



川の中央に中州があって、そこからまた唐橋が架かっていた。



なので、唐橋は2つあるということになる。





説明




私が見た唐橋は短い方で、この左手には、もっと長い唐橋がある。


ずっと果てまで歩いて渡って行きたかったが、路肩に停車して妻を運転席に置きっ放しにして、携帯も財布も何もかも車に置いてきたので、



もしも警察が来て車の移動をさせられたら、私は無事に車に戻る事はできるのか・・・?



などと不安が頭をよぎったので、ぶらっと散策して早々に立ち去る事にした。





唐橋斜め下から




『へうげもの』で古田織部が橋の欄干にしがみついて顔をすりすりしていたのも、この橋だ。







唐橋下から





織部が『何個目の欄干がいい』とか言っていたので、それを見てみたかったがそれを覚えていなかったのがとても悔しい。



瀬田唐橋の角 ひらがな





ざっと見て、200メートルぐらいあるように思えた。


戦国時代にこんな長い橋を駆けるのは大変なことだろう。

なので、戦乱でも度々壊された。


島左近が、『この橋を壊したら一般の人たちに大変な迷惑をかけるから、壊してはいけない』と反論して、壊さなかったという出来事もあったらしい。




唐橋正面



橋の中央から琵琶湖方面を眺めた。





唐橋の真ん中から、琵琶湖方面を見る


『ここから、明智左馬助が琵琶湖を馬で坂本城まで渡ったんだなぁ。。。』

『・・・それにしても、めちゃくちゃ遠いなあ。。。』



・・・次回、石碑にリベンジだ。

(爆

唐橋角 漢字





帰りに湖岸から坂本城方面を眺めた。

後には、比叡山延暦寺もあるだろうが、詳しい場所はよく分からない。



坂本城方向


なにはともあれ、唐橋なかなかよかったです。

^^
Posted at 2013/04/15 09:56:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | 島左近 | 旅行/地域
2011年02月16日 イイね!

島左近の史跡を巡る② ≪清涼寺≫ at 彦根 

佐和山会館を出て、清涼寺へと向かいました。
線路に沿って北に100メートルぐらい行った右側にあります。

『井伊家菩提寺 清涼寺』


このお寺の場所に、島左近(しま さこん)の住居があったと言われています。


関ヶ原合戦の後、この城は家康に落とされ、井伊直政が城主になりました。
その後井伊家は彦根城へ移りました。

三成の城ということで、徹底的に破壊されたそうです。



このお寺には、怪談めいた七不思議の伝説があります。


血の池伝説
日暮れ頃になると血で真っ赤に染まる。
佐和山城を落とされたとき、多くの女性たちが凄惨な死を迎えました。
彼女らの血がにじみ出ているとされています。
今はこの池は埋め立てられ、お墓になっているそうです。





お寺はとてもきれいで大きくて新しく、昭和のお寺という感じがしました。


お寺の境内には、左近の頃からあったという木があるとか聞きましたが、もしかしたらこれかも。


Posted at 2011/02/18 08:57:47 | コメント(4) | トラックバック(0) | 島左近 | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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