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すた☆君のブログ一覧

2011年01月21日 イイね!

怒涛の戦国史跡巡り 初日 『竹中半兵衛・平塚為広etc』

早速史跡めぐりにでかけました。




正面に見える山は、相川(あいかわ)山といって、関ヶ原合戦のとき、村民たちがここに非難していたそうです。
黒田隊・竹中隊の陣跡の丸山のすぐ東隣(後ろ)にあります。



まず最初に、竹中半兵衛によって黒田長政が匿われていた場所にある神社を探しました。

エピソード:黒田長政の父・黒田官兵衛(如水)が、寝返りをした仲間の説得に行った時、捕まり牢屋に入れられてしまった。
帰ってこないので官兵衛も裏切ったと勘違いした織田信長は、人質である子供の松寿丸(後の長政)を殺せと秀吉に命令した。
困惑した秀吉は竹中半兵衛に相談した。
半兵衛は、彼は寝返りなどする人物ではないと信じ、松寿丸(長政)を自分のところで約1年半預かり育てる事にした。
その後無事、官兵衛は脱出することが出来、松寿丸も無事に帰宅する事が出来た。

その時の場所がこの神社で、松寿丸が無事に帰れると決まった時に、記念にと植えた木がここにある。

・・・というわけで、いってみました。

五明稲荷神社



・・・が、雪が深くて、今回は断念。
横からチラッと見ただけ。
また次回行く事にしました。
(涙)



続いて、同じく垂井町の、『垂井城跡』を探す事にしました。
平塚為広の居城です。


石碑があるはずなのですが、見つからず・・・。
(汗)

かわりにこんなところを見つけました。

『垂井の泉』


後から得た情報によると、この泉のすぐ隣にお寺があって、そこが怪しい。。。

また次回行ってみよう。
(笑)



続いてやってきました、タルイピアセンター。
ここには、無料の歴史博物館があって、竹中半兵衛のコーナーもあります。

タルイピアセンター


建物に入って正面に、竹中半兵衛の銅像がありました。w
右に図書館、左に歴史博物館が。
垂井町は古墳がとても多く、出土品が多く展示されていました。
垂井宿という宿場もあり(江戸から58番目)、興味ある人にはお勧め。

竹中半兵衛のコーナーには、ビデオがあり、秀吉がアニメ(紙芝居みたいな)でしゃべっていて面白かった。


今回はこんなところでした。

また行きます。

^^
Posted at 2011/01/23 18:59:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | 竹中半兵衛 | 旅行/地域
2010年03月19日 イイね!

竹中半兵衛重治公 (屋敷跡と墓所)

岐阜県不破郡垂井町は、竹中半兵衛重治公の育った町です。


竹中半兵衛重治公は、羽柴(豊臣)秀吉の名参謀で、彼の右腕のような人物で、大変な戦略家でした。


難攻不落の因幡山城(岐阜城)を頭脳戦で内部から落としたり、秀吉の活躍の横には、必ず彼がいたと伝えられています。

しかし、彼は病気により、30代という若さでこの世を去ってしまいました。


彼には、こんな名言が残されています。

『身分不相応な高い馬は買い求めるべきではない。よき馬ゆえにかえって名を失うこともある。』

これを現代風に言うと、『自分の収入に見合わない高価な車を買うべきではない。それゆえに、破産することもある。』

というところでしょうか。

大変いい言葉ですね。

がまんできずに、すぐに借金してローンを組んで高級車を買い、親孝行もしないアホ若者たちに聞かせてやりたいものですね。


それはさておき、

ここに、彼の資料館と陣屋跡があるので、ちょっと行ってきました。

地図も無しで直感で行ったのが失敗で、資料館はどこにあるのか分かりませんでした。

でも、陣屋跡は、無事発見できたので、ぶらりと立ち寄ってみました。



銅像



ここは、半兵衛の孫が作ったそうです。
約、430年ぐらい前になるのでしょうか。。。

陣屋跡正面右側の石垣


右側の石垣に比べて、左側の石垣はきれいで新しい印象を受けました。
作られた時代が違うように思われました。

全体


お堀


陣屋跡の正面門をくぐった真正面。に、幼稚園がありました。

そしてそのすぐ後ろに、小学校がありました。

正面門の裏側





陣屋跡を出た後、彼の資料館を探して、前の道をふらふらと適当に、北へ北へと突き進んでいきました。

すると、正面が山でとても細い道になり、これはやばいと思い、今のうちに引き返そうと少し広くなったところでふと横を見てみると、何か説明書きのようなものを見つけて、通りすがりにちらりと見てみました。

するとそこには、『竹中半兵衛重治公墓所のお寺』と書かれているではありませんか。

偶然の発見に、驚きました。

『まさか、こんなところに彼のお墓があるとは。。。』

せっかくなので、行ってみることにしました。



竹中半兵衛重治公のお墓があるお寺




小さなお寺で、本道のわきに、彼のお墓はこちらと矢印がかかれた看板を見つけたので、そちらに歩いていきました。

そこは、普通の墓地で、この地域の人々が眠っていると言った感じでした。

奥に奥にと進んでいくと、山際に彼のお墓を見つけることができました。

有名な武将なのに、こんなに小さいのかと思うぐらいに、普通の小さなお墓でした。


あたりはとても静かで、まるでここだけ時間が止まっているかのような錯覚を覚えました。

こんなところに、400年以上もずっとずっと、眠っていたんですね。

なまじ彼の生涯を知っているだけに、なんだか、せつなくなってきました。



竹中半兵衛重治公のお墓





時代が違うと言えばそこまでですが、今の人たちとなんら変わりなくこの世に生まれてきて、いったいどうしてこの時代の人たちは、今からでは想像もつかないような残酷な時代を生きていかなければならなかったのでしょうか。

もしも半兵衛が今生まれていたら、普通にエリートサラリーマンか実業家をやっていたかもしれません。

先人たちが命をかけて戦って生き抜いてきたおかげで、今の私たちの生活がある。

平和がある。

みんなもっと、歴史を知る必要があると思いました。





・・・次こそは、資料館行ってみせます。

(笑)
Posted at 2010/03/19 17:52:36 | コメント(4) | トラックバック(0) | 竹中半兵衛 | 日記

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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