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すた☆君のブログ一覧

2021年10月07日 イイね!

彦根城とその周辺の戦国史跡巡り ⑤宗安寺(後編)「木村重成の首塚と血染めのススキ」

本堂左側にあるお堂の前には、「血染めのススキ」という、恐ろし気なネーミングのススキが生えています。

このススキは、なんと、あの大坂の陣で豊臣方として戦った若き(23歳)勇将、「木村重成の首をくるんだススキ」だそうです。

お堂

木村重成は色白のイケメンで身長も高く、大坂城下一の美女青柳は、一目見ただけで恋の病に落ちた程でした。

父親は豊臣秀次の家老で、秀次事件の時に連座して自害してしまい、母は豊臣秀頼の乳母でした。

その為、幼き頃より秀頼に仕え、豊臣家に忠誠を誓っていました。

墓所入り口

大坂冬の陣では、佐竹義宣の軍勢へ先頭に立って戦いを挑み、徳川方から称賛されました。

冬の陣後、豊臣方を代表して家康と直談判し、「血判が薄い」と、もう一度家康に押し直させたそうです。

墓所内案内

大坂夏の陣では、藤堂高虎と戦い、これを撃退しました。

首塚

しかし、その後、井伊直孝(直政の次男)と戦い、命を落としました。

説明

本堂左側のお堂前にある血染めのススキは、この時に木村重成の首をくるんだススキの子孫になります。

血染めのススキ

首実験で家康の前に供えられた彼の首からは、とてもよい香りがしたそうで、これは 木村重成が出陣の際に、兜の中に名香をたきこめたから とされ、みな、彼の嗜みに、感嘆した と言われています。

説明

宗安寺、とても魅力的な戦国史跡でした。
Posted at 2021/10/07 05:55:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | 木村重成 | 旅行/地域
2021年10月06日 イイね!

彦根城とその周辺の戦国史跡巡り ④宗安寺(前編)「淀殿の念持仏」「石田三成の念持仏と佐和山城門」「長浜城御殿」

ホテルで自転車を借りて、お父さんの一人旅、戦国史跡巡りの開始です。w

ホテル前 自転車

自転車、気持ち良かったです。

途中で、思わぬ史跡を発見。

彦根城の外堀は、商店街になっているんですね。w

外堀跡

まず、最初の目的地「宗安寺」に着きました。

赤門

この門は、石田三成の佐和山城門(城主は他にもいる) だとのことなので、三成が大改修した時に造らせた門ということでしょうか。

ということは、島左近もこの門をくぐっていたんでしょうね。

歴史のロマンを感じます。

赤門説明

井伊直政の正室東梅院が両親の菩提の為に再興した寺ですが、旦那の井伊直政の転勤に合わせて、箕輪⇒高崎⇒彦根と移転してきました。

宗安寺は、元々は安国寺と名乗っていましたが、関ケ原合戦後に安国寺恵瓊と同名であることを嫌い、東梅院の両親の戒名から一文字ずつチョイスし、宗安寺 と改名したそうです。

本堂 説明

本堂の中心にある阿弥陀如来像は、なんと、大坂の陣で大坂城から持ち帰った仏像で、淀君が祈っていた仏像だそうです。

正直、皆殺しにした敵の城から持ち出した仏像を、自分の親の菩提寺のメインに置く神経が、全く理解できません。 

政治的に言えば、「未来永劫、うちの家は凄いんだぞーアピール」みたいなもんでしょうか。

説明2

石田三成の佐和山城を攻め落とした後に、麓のお寺から持ち出した仏像もあり、こちらも石田三成が祈っていた仏像だとか。

こっちは、小さな部屋の壁際に置いてあり、扱いが低いなあと思いました。

井伊直政は、関ケ原合戦で島津隊の銃撃で深手を負って佐和山城攻めに参加できなかったから、「まあ、とりあえず、もらっておこうか。」みたいなもんでしょうか。

お宝の説明

家康の位牌も置いてあるそうですが、特に興味もなかったので、探しませんでした。

本堂

お堂の中は静寂で、心地よい空間でした。

私一人の為に、説明テレビと電気をつけて下さって、ありがとうございました。

本堂内の説明

まあ、拝観料200円払いましたけどね。

電気代とパンフ代?

(笑)
Posted at 2021/10/06 06:01:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | 木村重成 | 旅行/地域
2013年03月24日 イイね!

和泉城跡 ~木村重成の父・常陸介の城~

和泉城跡 ~木村重成の父・常陸介の城~西保北方城跡から1キロぐらい南南東にあります。

所在地:岐阜県安八郡神戸町和泉(ごうどちょういずみ)

秀吉の頃、木村常陸介の居城だった。

標高13メートル、遺構は薮のみ。



木村常陸介 は、『しずが岳の戦』『小牧・長久手の戦』の活躍により、1585年に越前国府中12万石の領主となり、1592年『文禄の役』では兵3500人と共に朝鮮へ渡海した。

1595年8月20日、『秀次事件』にて、秀次を弁護した罪により、秀次と共に死を命じられ、摂津国茨城の大門寺にて自害し、この世を去った。




また、彼の息子 重成 は、母が秀頼の乳母で、ほとんど唯一の秀頼の幼馴染。

重成は、『大坂冬の陣』の『今福砦攻防戦』にて徳川勢と戦い、その名を轟かせた。

『真田丸の戦い』にも参加した。

重成は、井伊隊に討ち取られ、家康の所に運ばれた彼の髪からはお香のにおいがした。

出陣前に重成は、自分が死んで首になった後の事も考えていた・・・という。。。





親子共に悲運の人生。






全く分からずに、ただ近くにあるから行ってみよう ぐらいの気持ちで訪れたお城でしたが、調べてみると意外に興味深い事実がたくさん出てきて驚きました。


ただ、城跡という石碑はおろか、なんの説明板も無いのが非常に残念でした。
Posted at 2013/03/26 23:23:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | 木村重成 | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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