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すた☆君のブログ一覧

2015年01月07日 イイね!

糸姫の墓所 黒田長政・最初の正室

帰省日記も一通り終わったんで、今回の帰省で廻った史跡の詳細を書いていきたいと思います。


~ 糸姫の墓所 ~


糸姫に関しては、先日のブログでも紹介しましたので、簡単に書きますね。

場所は、徳島県徳島市南佐古1番町 「有名なとくしまラーメン店 いのたに」のすぐ裏山(ちょっと北西)辺りになります。



臨江寺(りんこうじ)



私も今回帰省するまで、糸姫のお墓がここにあることは知りませんでした。


知ったときは『ええっ、まさかこんな所に!』

と、驚きを隠せませんでした。



境内の正面の掲示板の絵




しょっちゅう通っていたよく知っている道沿いだったんで。


^^;





案内




糸姫は、黒田長政の最初の正室。


10歳と12歳の結婚だったと思います(記憶薄いんでまた確認しときます。)

後に娘が産まれ、強制的に離婚させられ、糸姫は故郷へ帰ります。

20代後半だったと思います。



ドラマ見てても気が付きませんでした。


そうなんです、蜂須賀は阿波、つまり徳島県なんです。

蜂須賀のお城は徳島城、徳島市なんです。



蜂須賀小六のお墓は、この山 眉山の山頂にあります。

蜂須賀の墓所は 眉山の万年山 佐古山の麓から頂にかけてありますが、糸姫の墓所は何故か1キロぐらい横のこのお寺にありました。





案内とお墓







境内の絵を参考に探すとすぐに見つかりました。

『小さいなあ。』 と思いました。








すぐ隣に、糸姫のお母さんのお墓もありました。

側室だったそうですね。

ここに来てはじめて知りました。



側室の子供だから、お墓はこんなに小さいのでしょうか。



お墓の石の周りに綺麗に苔が生えていて、それはとても綺麗でしたよ。


苔のお墓



糸姫の娘は、黒田如水の家老の井上九郎衛門の息子と結婚した と思います(コレも確認しときます)。


ということは、糸姫は娘と会うことは一生無かったのでしょうか。



20代後半で離婚して里に帰り、80歳ぐらいで亡くなった長寿だったと思います(また確認しときます)。


里帰りした後は、どんな人生を送ったのでしょうか。

次回の帰省では、またその辺を調べたいなあと思いました。



糸姫の母の墓




それにしても、こんな寂しい所で・・・と、なんだか切なく思ってしまいました。
Posted at 2015/01/07 10:45:43 | コメント(1) | トラックバック(0) | 黒田長政 | 旅行/地域
2014年11月29日 イイね!

黒田長政と糸姫 

私は戦国ノートというのを、10冊ほど持っています。

疑問に思って調べた事や、講習会で学んだ事、史跡巡りの地図やら、教えてもらった事とかを書き溜めて、たまに読み返しては、記憶を呼び起こしています。

そんな中、ちょうど大河ドラマに関するページを見つけたんで、ここに書いてみようと思います。


≪黒田長政と糸姫≫
二人は夫婦。

黒田長政の父は官兵衛で、糸姫の父は蜂須賀小六。

彼らは共に秀吉の家臣で、自分の子供同士を結婚させた。

そして、二人の間に娘が生まれた。


しかし、黒田父子が家康の養女を娶りたい為に、一方的に関ヶ原合戦前に離縁させた。

その後130年間、蜂須賀家は怒り続け、江戸城で同席大名だったが、挨拶もしない『不通』を続けた。



大河では、先週糸姫が黒田家を出て行きましたよね。

糸姫が、『男子を生めない』、『熊の介(長政の弟)が出て行くときに引き止めなかった(自分のせいで死んだ)』などを気にして寝込むようになり、黒田家にいるのがストレスとなって、里帰りを申し出た(離婚した) と描かれていましたが、史実はこの様です。

ドラマは小説を書いた作家さんの世界なんで、アレンジされてて当たり前。

でも、三成の描かれ方があまりにも酷いので、一つ一つ信実を知っていく必要があるなあと、改めて思いました。



久しぶりの歴史ネタでした。

^^;
Posted at 2014/11/29 07:08:19 | コメント(3) | トラックバック(0) | 黒田長政 | 音楽/映画/テレビ
2011年01月23日 イイね!

怒涛の戦国史跡巡り 3日目 『五明神社再び』

今日も仕事の帰り、あちこち史跡によってみました。

まず、 ⑦の不和光治の城・西保北方城跡(神戸町)を探しに、ナビを頼りに行きました。

すると、前方に怪しき竹林が・・・




多分これだろうなあと写真を撮りました。

どこかに石碑があるそうなので、今度じっくりさがしてみたいです。
(笑)


続いて、稲葉一族(池田町)のお墓を探しに数キロ北上。

目印にしていた北池野駅にやって来ました。

ここに観光地図があり、見てみると・・・

池田町の地図



池田親子のお墓というのがあり、調べてみると『池田輝政の父と兄』のお墓だそうで、これらも探してみましたが、見つけられませんでした。

やはり、駐車場が難しかった。

いつも思うのですが、石碑などを探すのって、駐車場の確保が大変で、最初っからよっぽど調べていかないと要領よく見つけられないものなんですよね。

ちなみに池田輝政は、姫路城を今の形にした大大名です。

結局、稲葉一族のお墓も見つけることはできませんでした。
住宅地のお墓って見つけるのは難しいです。

また次回、挑戦してみます。
(笑)



一昨日に続いて再び『五明神社』へやってきました。

今回は、前回の二の轍を踏むまいと、雪用の長靴を持参して来ました。

これは最強、とても頼もしいアイテムです。

(笑)

看板


すぐ近くにこんなばしょがあります。

直売店



五明稲荷の看板


昨日、竹中半兵衛の資料館に言った時におじさんが教えてくれたのですが、神社には大木が二本あるけど、松寿丸(のちの黒田長政)が植えた木って、一本らしいです。

どちらかは偽者だそうです。

しかし神社に行ってみると、どちらがその木だとは書かれていません。

これではどちらがその木なのか、分かりません。





どちらなんだろうと、『うーん・・・。』と眺めていたら、


W鳥居


『まあ多分、右の方かなあ・・・。』と思えてきました。

木が二本


木は過去に枯れかかって大変な目になったそうです。

根っこと鳥居


それにしてもこの場所、なかなかな町の中。
山肌とか山中などではありません。

よくこんな場所で匿っていて、よくもまあ、誰にもばれなかったものだなあと思いました。

もしかしたら昔の人たちって、近所にどんな人が住んでいるとか、今の人みたいに気にならないのかな?


Posted at 2011/01/23 20:54:53 | コメント(3) | トラックバック(0) | 黒田長政 | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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