午前10時
待ち合わせ場所の笹尾山へ行くと偶然名車がずらり。
名車
今日は関ケ原合戦の前日。
今頃だれそれはどうしている? とか、臨場感を味わう事ができた。
スタート
山を登ろうとしたら『近江タクシー』の営業さんが、名刺を出してきた。
どうやらロードスターを見て、関係者と思ったようだ。
・・・そら思うわな。
(ーー;)
『近江戦国ツアーを企画するから宜しく』との事。
でも、どう企画していいのかよくわからないとのことで、りぼんさんと色々アイデアを提案した。
①陣羽織を着る
②発進するときほら貝を鳴らす
③車内は「真田丸」のオープニング曲をかける。
④戦国握り飯。
⑤ガイド中に甲冑を着る。
せっかくいっぱいお話したんだから、採用してね。
^^
笹尾山山頂にて。
今日はオフで甲冑も着ていないんで、静かに観光客に溶け込んでいようと物静かにベンチに腰掛けていたが、なかなかそうはさせてくれない。
なんだろう、地元慣れした雰囲気をかもしだしているのだろうか。
(--;)
するとツアーのおっさんがいきなり人のYシャツの乳首の辺りをつまんだ。
(
そこつまむな。○態か。)
『Yシャツどこで買った?』
大一大万大吉のロゴが刺繍されていた。
ワラワラと集まってくる観光客。
てか、ガイドさんのガイド聞けよ!!
めんどくさくなりそうでイヤだなあと思ったけれど、正直に答えた。
『数年前に、役場で買いました。』
ガイドが終わってガイドさんもこっちにきた。
おっさんがガイドさんに尋ねた。
『このYシャツ、役場で買ったんやって。わしも欲しい。』
ガイドさんの『あんた何者や?』と言わんばかりの、不思議そうな顔。
仕方がないから、正体をばらした。
・・・だからイヤだったんや。
オフぐらい静かにさせて。
(ーー;)
先日もこんなことがあった。
家族で来ていたら カメラマンに
『この展望台はいつ新しくなったんですか?』 と、いきなり聞かれた。
じんべえを着ていたからだろうか、それともなんとなく地元っぽい話をしていたからだろうか。
どうあがいても、よく来ている人に見えるらしい。
ここ数年、一人で笹尾山に登って誰とも話しせずに降りた事がない。
笹尾山でりぼんさんとお話しして、下山したらランチを買いにローソンへ。
ローソンは遠くなったので、前みたいに甲冑で買いに行けなくなったねとがっかり。
丸山
でも、ローソンを出たら正面に 黒田竹中陣跡の丸山がある。
あそこに 黒田長政がいたし、東軍がのろしを上げた場所でもある。
w
ランチ
平日でちょうど人も居なかったんで、贅沢なポジションでランチタイム。
今日の今頃、あそこに小早川の軍団がいたんだなあと。
しばらく二人でくつろいでいたが、ツアーが来たんで急いで撤退。
大谷隊陣跡を出て、裏側へ廻った。
あまり一般には知られていないが、大谷吉継の陣跡はただの山ではない。
山中城という山城があって、そのあとに大谷吉継が陣地を作り直した。
だから、全くのゼロからの陣地作りではない。
とすると、大谷吉継はお城を使って戦っていた事になる。
お城は一つで兵1万人とかいうから、藤堂京極と戦ってもなお小早川と戦えたのはこういった背景があったからなのはまず間違いない。
山中城

この写真は、大谷隊陣跡の西側になる。
ここからみるとよくわかる。真ん中に切り立った斜面の堀切らしき谷間が下から上へと大きくつながっている。
これは、大谷墓所~陣跡への林道の東側にも見られる。
意識してみると、そこは山城だと言う事がよくわかる。
関ヶ原古戦場の史跡の整備を今現在、町と県とが協力して行っている。
かっこいいイラストの看板を設置するのもそれはそれでメディア栄えしていいが、そんな真新しいのばかりでなく、せっかくこんないい史跡が残っているのだから、これをもっと全面的に整備して出して欲しい。
史跡で一番いいのは、ダイナミックな跡地だ。
合戦当時の姿がダイナミックに今も残っているのは、誰しも心を引かれる。
黒血川
これはもともとは 山中川と呼ばれていたけど、壬申の乱で黒血川と呼ばれるようになった。
672年に壬申の乱がここで起こった。
大海人皇子 後の天武天皇は、桃配り山で桃を配った人物だ。
この戦で彼が勝たなかったら、伊勢神宮は今のように栄えてはなかっただろう。
伊勢神宮と関ケ原は歴史的につながっている。
この場所は、大谷隊と小早川隊が戦った場所でもある。
900年もたった後にもここで天下を二分する大いくさが起こっている。
この町の、戦った場所も同じだ。
立地と地形がそうさせるのだろうか。
不思議なものを感じた。
「黒血川」
名前からしても、なんだか気持ちが悪い川である。
静かな中、どこかから「カコーン」と断続的な音が聞こえてきた。
川の西に神社があることがわかった。
どうしてこんなところに神社があるのだろうか?
関ケ原もまだまだ知らないところがいっぱいある。
メナードランド
昔のアイススケートと遊園地の跡地だ。
この不自然な建物は、玉の火薬庫である。
コンクリートの建物を土でカモフラージュして、山のように見せかけている。
火薬庫とは、近代戦争の時、日本中の火薬を保管していた場所だ。
武器庫は兵庫県にあった。
今から110年ぐらい前~戦後まで 、ずっと秘密を隠し通した。
アメリカ軍がこの基地を見つけたとき、かなり驚いたらしい。
見張り小屋
普通に気持ち悪い。
火薬庫
玉の火薬庫。
正式名称は 名古屋陸軍補給しょう関ケ原分しょう だ (読み方を丸暗記しているだけなので、漢字は覚えていない)
これは魔法瓶のように、二重構造になっている。
今の若者、魔法瓶、わかるか?
昔は子供の遠足で魔法瓶にお茶を入れたんだが、あれは中のガラスが割れるんだぞ。
信じられないだろう?
そういう時代があったんだ。
龍雲
龍のような雲を見つけた。
冷水
関ケ原鍾乳洞の前にある、名水。
あまりにも冷たいので驚いた。
ここにも伝説がある。
日本武尊伝説
やまとたけるのみこと のことである。
伊吹の荒神と戦った やまとたけるのみこと は、毒の雨を降らされ、毒に犯され傷ついた体をおこしてなんとかこの泉までやってきて、体を浄化して、回復したら南の空 亀山のほうへと 白鳥になって飛んでいった。
関ケ原は、神話の時代の古戦場でもある。
東首塚~笹尾山へと戻った。
締めは笹尾やまだ。
車上ガイド
たまにこうやって、ロドの上に地図を広げてガイドするときがある。
足が不自由な人もいるだろ。
不自由でなくても、弱っていて山を登れない人も居る。
そんなときはこうやって麓で地図を広げてガイドすると、とても喜ばれる。
せっかくここまできてくれたんだから、一人でも多くの人に関ケ原の魅力を知ってもらいたい。
以前、麓でこうやって地図を広げてガイドしたら、その時のお礼にと、お孫さんが京都のわらび餅を持って来てくれたことがあった。
あれは嬉しかったなぁ。
そんなこんなで、ガイド終了。
8時間ぐらいたっていたね。
(笑)
ロド
レスト伊吹で真っ暗になるまでディナー。
夕食
今頃は西軍が大垣城を出たころだろうな とか 考えた。
楽しかった。
遠方からありがとうね。
また来てね。
^^