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すた☆君のブログ一覧

2022年04月09日 イイね!

湖北戦国ロード

子供を遊びに連れて行く途中の景色を楽しみました。

まず、1570年に浅井・朝倉と織田・徳川と激突した「姉川古戦場」を通過すると、浅井長政の小谷城跡が見えてきました。

左側には「浅井三姉妹」が住んでいたお寺の看板も見えました。



右手に脇坂安治生誕地、左手に国友鉄砲の国があり、続いて見えてきましたのは、七本槍や柴田勝家で有名な「賤ヶ岳古戦場(の裏側)」古戦場は余呉湖周辺



戦国史跡ツーリングで行きましたねぇ。

懐かしい。


そして最後に、織田信長が命からがら逃げる時に通った「朽木越え」の朽木のある高島市で、ゴール。



朽木の戦国史跡巡りもいずれまたしてみたいなぁ。

行きたいところ、いくらでもある。
2021年05月31日 イイね!

八神城跡 岐阜県海津市

ナビを見ていたら、たまたま見つけました。

鰻屋「魚勝」のすぐ近くです。

八神毛利氏の城で、築城は鎌倉時代。

中国地方の毛利氏とは関係なく、河内源氏の末裔。

1558年~1570年、毛利掃部頭広雅は織田信長と内通していた為、斎藤氏に討たれました。

その後、子の広盛は織田信長に仕え、1589年秀吉により3056石を安堵されました。

土岐氏、斎藤氏、織田信長、秀吉、尾張徳川ら、時の天下らに仕え、お城は明治元年までありました。

石高は3056石あったそうです。

「魚勝」辺りは、武家屋敷があったかもしれませんね。

・・・久しぶりに、戦国史跡のレポ書いた。
(笑)

Posted at 2021/05/31 17:56:10 | コメント(0) | トラックバック(0) | あの史跡なんだろう?シリーズ | 旅行/地域
2020年09月10日 イイね!

日本武尊の史跡を探して「小簾紅園と呂久渡船場跡」 ~瑞穂市史跡~

日本武尊の史跡を探していたら、瑞穂市の「白鳥神社」を見つけた。

その近辺の史跡を調べていると、「皇女和宮ゆかりの庭園」と「渡船場跡」も見つけた。

いつもと違う道で「モレラ岐阜」へ向かう途中、これらがあるのに気が付いたので、ちょっと寄ってみた。


「呂久渡船場跡」
江戸時代の地図

昔の揖斐川の流れはまるで違っていて、今は真っすぐ美しい。

数キロ上流に登れば、竹中半兵衛が生まれた城が揖斐川の川底にあった。

現代地図

「呂久渡船跡」の石碑が「小簾紅園」にあった。

「小簾紅園」へは柳原の交差点を南に曲がると行きやすい。

柳原 交差点

少し話がそれるが、この交差点に「桂林」という高級中華料理店がある。

十数年前に友人の就職祝いで、ここで中華料理をご馳走した。

しかし、就職が長続きしない友人はまたすぐに辞めてしまい、虚しくなった。

今でもこの交差点を通る度に思い出す。

桂林

「小簾紅園」



皇女和宮が和歌を詠んだことが有名。

由来

大きくはないですが、奇麗な庭園だなと思いました。

庭園

肝心の日本武尊の史跡「白鳥神社」ですが、よく調べていなかったので分からず、偶然すぐ近くまで行っていたことに後から気が付きました。

また訪れたく思います。
Posted at 2020/09/10 09:37:07 | コメント(0) | トラックバック(0) | あの史跡なんだろう?シリーズ | 旅行/地域
2020年09月07日 イイね!

熊坂長範 隠馬屋 ~垂井町史跡巡り~

昨日のブログに登場した 平安時代の伝説の大盗賊 熊坂長範 の史跡が垂井町にあります。

ここに馬を隠していたそうです。

この辺に住み付いていた様ですね。

すぐ隣には、美濃国分寺(七重の塔)跡があります。

役所の隣に馬かくして、いい度胸してますよね。

灯台下暗しでしょうか。

堅田古墳
Posted at 2020/09/08 17:50:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | あの史跡なんだろう?シリーズ | 旅行/地域
2015年04月02日 イイね!

垂井町 『春王丸、安王丸の墓』 ~あの史跡なんだろう?シリーズ~

国道21号線を垂井⇒関ケ原へと進むと、関ケ原町に入るちょっと手前の左側(南側)に 『春王丸・安王丸の墓』 と書かれた、白い大きな杭がよく目に付きます(ナブテスコの手前)。

あれ、なんだろう?

と思っている人たち、結構居ると思います。

なので、この場で簡単に説明を。
^^;



あそこにあるのは、≪室町時代に将軍に反抗した人物の二人の子供たちのお墓≫ です。


彼らの父は、足利持氏といい、第4代鎌倉公方 でした。

その時の将軍は、六代将軍足利義教(よしのり)。

彼は、弟たち4人の中からくじ引きで選ばれたので、『くじ引き将軍』と言われています。


足利持氏と戦ったのが、関東管領(鎌倉公方の補佐役)の上杉憲実。


しかし、足利持氏は負けてしまいました。

これを、永享の乱(えいきょうのらん・1438年) といいます。


その後、彼の子供たち(13歳と10歳)は、関東から京へと連行される途中、垂井町のお寺(垂井駅南口の少し西)で暗殺されてしまい、この世を去りました。


しかし、足利義教(くじ引き将軍)もまたその3年後、戦(結城合戦)の勝利の宴中に赤松氏に暗殺されて、この世を去りました(嘉吉の乱)。


殺し殺されの恐ろしい時代です。



春王丸・安王丸のお墓の隣には、関ヶ原合戦での池田輝政の陣跡の石碑もありますので、興味のある方は、合わせて訪れてみられてはいかがでしょうか?


悲しい歴史の眠った場所です。。。
Posted at 2015/04/04 07:05:47 | コメント(0) | トラックバック(0) | あの史跡なんだろう?シリーズ | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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