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すた☆君のブログ一覧

2020年10月17日 イイね!

可児郷土歴史館 戦国山城ミュージアム

可児才蔵生誕地の他にも、可児市の気になる場所をいくつか訪れた。

「可児郷土歴史館」



戦国の展示は殆どなかったが、久々利氏が気になった。

歴史館の前に久々利城があり、気になったが、明智城攻略で疲れていたので行くのをやめた。

しかし、ほんの少し後に、大変よい山城だと知った。


「戦国山城ミュージアム」

行ったことがある資料館と同じ場所にあり、やめようかなと思ったけど、名前が全然違うし、建物も違うので、全く新しい山城の博物館ができたと思って、再び行ってみた。



行ってみると、鉄筋コンクリートの建物が隣の古い建物に変わっただけで中身が一緒だったので、正直騙されたと思った。

地元の歴史と山城を少し紹介しているだけ。

ミュージアムは言い過ぎ。

もう行かない。



この明智光秀、どこかで見たと思ったら、北斗の拳のユダだ。

南斗のレイと対決したユダだ。

やっぱり、きもい。
Posted at 2020/10/18 17:34:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 東濃の山城 | 旅行/地域
2015年09月09日 イイね!

苗木城  ~今まで行ったお城の中で一番感動しました。~

岩村城を下りたら、再びカステラを買いに行きました。

このカステラは、長崎やオランダにもない、とても珍しいカステラ本来の原型のカステラだそうです。

なので、味は素朴でいまいちかと思いきや、これがナカナカ美味しい。

かすてら

長崎県に行った時に買った、老舗の名店のカステラもかなり美味しかったんですが、感動したのはこれが初めてでした。


次の目的地は苗木城。


岩村城から下道で約30分。



天気が悪くて、雨も降っているし、止むかどうかわからないのでもう帰ろうかなとも思いましたが、せっかく来たのでと、とりあえず城の麓の史料館へ行ってから決めようと思いました。





苗木遠山史料館



山頂までどれぐらいかと尋ねてみると、25分とのこと。

微妙だなあと思いつつ、地図をもらって、傘と杖を握り締めて登山開始。



苗木城パンフ




苗木城というとやっぱり、奇妙奇天烈な奇岩城のイメージが強烈だと思います。


史料館で買った本をみると、

こんなのや、





イラスト1



こんなのが





イラスト2



載っていました。






岩山を利用した姿がなんとも奇妙で魅力的、とてもひかれます。





蒸し暑い雨上がりと言うのもあってか、蚊がぷんぷんと飛んでいて、虫除けスプレーしてきたらよかったなあと後悔しつつも、そのまま突っ切って登山を開始。






石畳



少し登ると石畳の道があり、なかなか凝った造り。












風吹門




この辺から、巨大な岩が目に付き始めます。





15分ぐらい登ったところで、左右が分からなくなり、天守と逆方向の左へと行ってしまいました。

延々と歩くと、一般道の公園へと出てしまい、これは違うぞとUターン。

蚊がぷんぷん飛んでいる中でそうそう立ち止まって地図など見ていられません。

結構しんどかったです。

分岐点にもっと分かりやすい表示板を設置していただきたいです。


もうあきらめて下山しようかなと思いましたが、ふと右前方を見てみると、ちょっと開けたところが。

とりあえずという気持ちで行ってみると・・・。







苗木城石碑



あった。





よかった。






目の前を見ると、なんとも奇天烈な奇岩城が姿を現しました。








大門跡





巨大な岩と石垣が合体しています。


よくこんなところにお城を造ったものです。



大門跡の大岩




遠山城の歴史ですが、13世紀頃~遠山一族が住んでいて、織田信長の死によってお城を追い出されてしまいます。







台所門





その後、秀吉の時代になってからは、森一族らが入りますが、






最初のカーブ




遠山一族は、関が原合戦の時に東軍、徳川家康について、お城を奪還するために立ち上がりました。












遠山友政は、


昔の領主という立場を活かし、村人たちに 『自分が殿になったら、税金を軽くしてやるぞ。』

と、兵力を増やし、

2000人ほどでお城へと攻め上りました。

しかしお城はもぬけの殻。

戦わずして、遠山一族は18年ぶりにわが城、苗木城を取り戻す事ができました。





千石井戸


この井戸は、今でも水が出てくるそうですが、こんな突出した山のどこに水脈が流れているのかと考えると、とても不思議に思いました。




その後、江戸時代に苗木藩 (約1万石) ができ、この城はなんと、幕末まで使われていたそうです。





本丸口門




「てっぺんはどうなっているんだろう?」





好奇心に駆られてどんどん登っていくと・・・。










霧の向こうに橋





まだ途中なのにこの景色。



雨上がりなので霧がかかってとてもきれい。



でも、まだまだ登ります。











大矢倉





おおー、これはなかなか立派。

・・・あれ?

これってもしや、分岐点の後ろにあった??













武器蔵








あれも面白い、これも面白いと、お城のつくりを見ながら、どんどんと上へと登っていきました。






玄関口門








展望台につきました。

巨大な岩の上に櫓を組んでいました。

もともとここに天守があったので、

昔の穴を再利用して展望台を組んでいるそうです。






展望台の真下



驚くべきところは、岩の穴ですが、雨が降って水がたまると土台の木が腐るので、岩の穴の横に溝を掘って、雨水が下へと流れ落ちる工夫をしているところでした。










展望台の階段




階段を上ってみると・・・・。






展望1









うっわあー!!









展望西







すっげえー!!








展望北






展望台の周りにはさえぎるものが何も無いので、360度の大パノラマが広がっていました。



しかも、山や川や遠くの山の景色がとても綺麗。





東北





私はお城めぐりがすきで、日本の名城100のうち、半分は訪れまして、天守からの展望は、犬山城が一番綺麗だと思っていました。


真下に川が流れて山があり、濃尾平野が広がっていて、夕方は夕日が大地を照らして、最高に綺麗だった。


九鬼水軍、九鬼嘉隆のお城、鳥羽の水族館の前の鳥羽城だったかな からみえる海の景色もきれいだった。

日の出で海がオレンジ色になったら、最高だろう。




だが・・・。













・・・息を呑む絶景。。。








橋のアップ





展望台は私ひとりと言うのがよかった。




あまりにも綺麗だったので、「すごいなあ。 すごいなあ。」とつぶやいていた。







南西






しばらく景色に見とれていたが、麓で家族が待っているので、下山する事にした。




昨今、日本のマチュピチュとかで、竹田城が人気がありすぎ、猫も杓子も行く状態。



この素晴らしい景色を、この素晴らしいお城を多くの人たちに知られたら、竹田城みたいに観光客が増えすぎて行きにくくなるのが嫌なので、あんまり宣伝したくないのだが、


この感動を伝えたくて、レポってみた。









下山して、元の道を戻りながら、苗木城の真下の川の写真を撮ってみた。





・・・苗木城って、これかなあ。





天守遠景





とても素晴らしいお城でした。


感動しました。


苗木城、あまりにもよかったので、また行きたいです。


岩村城も下から歩いて登りたいです。

Posted at 2015/09/10 18:49:43 | コメント(1) | トラックバック(0) | 東濃の山城 | 旅行/地域
2015年08月30日 イイね!

岩村城  ~ 日本三大山城・悲劇の女城主の城 ~ 

徳島に帰省した時に友人が 『岩村城が凄かった。』 と言っていたので、早速行ってきました。
(笑)

ここは岐阜県恵那市 ・ 東濃地区。

関ケ原~高速道路使って2時間かかります。


高速降りて下道を岩村まで走ってて思ったんですが、川とか山とかの何気ない景色が凄く綺麗でした。

これだけでも来た価値があると思ったほどでした。




まずは腹ごしらえ。



なぜか岩村に本格派讃岐うどん専門店。

とても対応のいいお店でした。

お客さんもいい人たちで暖かいシーンがありました。

讃岐うどん


うどん食べたら、有名なカステラ専門店へ。




岩村歴史資料館の麓で、できたてを食べるとあまりにも美味しく。

帰りに再び買い増しに行きました。

^^;












藩主邸


ここはお城の麓にあって、この写真の反対側に、岩村歴史資料館があります。

松平乗寿が大坂の陣で着用した 血染めの甲冑 が とてもインパクトがありました。







藩主邸の門から外を見る



岩村城は海抜717メートルで、全国の山城の中で最も高いところにあり、日本三大山城の一つです。

1185年に源頼朝の重臣により築城され、明治維新まで存続したそうです。


下から上ると結構時間がかかりそうだったので、山頂まで車で行きました。

・・・まだ旅の先があったので。

^^;





山頂の駐車場は、出丸にありました。

正面には、巨大な本丸の石垣が見えました。

あまりにも大きかったので、とても驚きました。

本丸石垣(六段壁の反対側)



人が歩いて戻ってくるのが見えました。

私もその方向へ歩いて行くことにしました。





この日は雨上がりで、霧が掛かっていました。




本丸の正面には、とても急で巨大な谷間がありました。



天守正面の深い谷




本丸に登って、反対側へと行きました。

そこは、岩村城のもっとも有名な見所 六段壁の真上でした。

六段壁を上から下へと降りていきました。





六段壁







岩村城の写真と言うと、だいたいがこの写真が載っています。







これは、斜面が崩れるので、前に前にとどんどん補強していったら、こうなったそうです。




六段壁 左斜め前から




岩村に来ると、『女城主』という看板をたくさん見ました。

それはお酒のメーカーなんですが、この岩村城にはその女城主の悲劇の物語がありました。




戦国時代、織田信長の叔母の おつやの方 という女性が、岩村城主 遠山 景任(とおやま かげとう)に嫁いでいました。

大変美しい女性だったそうです。

武田二十四騎の 秋山信友 が攻めて来て戦となり、その時の傷が原因で、先に旦那の遠山景任 が亡くなり、おつやの方が城主になりました。

その時に、秋山信友が、

『自分の妻になるなら、みんな助けてやる』と条件を出し、おつやの方はみんなの命を助けるために、しかたなく妻になりました。

しかし信長はそれを裏切りとし、激怒しました。


長篠の戦のあと、信長は真っ先にターゲットを岩村城にして、猛攻撃を開始しました。

しかしお城は半年たっても落とせませんでした。

ちょうど兵糧もつきかけてきたそのタイミングで信長は『今降伏したら、おつやの方や秋山信友も含めてみんな助けてやる』と、嘘をつきました。

城を開けると信長の兵士たちがなだれ込み、城兵は皆殺しにされ、おつやの方と秋山信友は金華山(岐阜城)の麓に連行され、逆さ磔の刑という、もっとも残忍な死ぬまで苦しみが続く方法で二人を処刑しました。

おつやの方は信長に対し

『こんな非道、天が許さない!! 因果はいつか廻ってくるもの!!』 と、呪いの言葉を叫びながら、この世を去りました。




六段壁 左側石垣



この物語を思い出して、切ない気持ちになりながら、六段壁を降りてぐるっと右に回って、駐車場へと戻りました。








岩村城を下山して、またカステラを買って、次の目的地へと向かう事にしました。

次の目的地、それは 苗木城(なえぎじょう)。

奇妙キテレツで有名な、あの奇岩城です。 


再び、結構雨が降ってきたので、もう今回は行くのやめて帰ろうかなとも思いましたが、

次行くって、いったいいつ? 

とも思うし、

また雨が止む事もありえるだろうし、

距離的にも結構近かったので、

とりあえず苗木城の麓にある 苗木遠山史料館へと行って、その時に登るかどうしようか判断する事にしました。




・・・しかし、この時の判断は正しかった。


この時は、全く知る由もありませんでした。

このあと、我がお城巡り史上、最大の感動に出会える事になろうとは。。。


続く。
Posted at 2015/08/30 22:20:02 | コメント(2) | トラックバック(0) | 東濃の山城 | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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