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すた☆君のブログ一覧

2012年04月08日 イイね!

蜂須賀小六の生誕地、菩提寺、蜂須賀城址

関ヶ原から南東へ約40キロ。

11時に出発して、12時半ごろ近くのコンビニコ コストアに到着、戦前の腹ごしらえをしました。

^^


戦前の飯


左下の海苔のテリヤキパンが美味しかったです。
^^



まずはじめに、あま市美和歴史民族資料館へ行きました。

あまりたいしたことなかったんですが、数キロ南下したところに 前田利家の妻の まつ の生誕地があることが判明。

次回行ってみようと思いました。

^^




蜂須賀小六の生誕地へ無事到着。


美和歴史民族資料館から西へ1キロぐらいのところにありました。


桜が綺麗でした。



^^








蜂須賀小六は、もとは野武士の棟梁でした。


村のゴロツキのお頭みたいな。


その後、若かりし頃の秀吉に仕えます。




蜂須賀 説明





小六は秀吉に、墨俣一夜城の協力を依頼され、それを見事に成功させ、秀吉の出世を大きく助けました。



(私のご先祖様を殺したニックキ)ちょうそかべもとちかを滅ぼして四国を制覇した秀吉は、阿波藩17万石を小六に与えようとしましたが彼はそれを拒み、息子の家政にゆずりました。


彼こそが、阿波藩徳島城の初代城主、蜂須賀家政公です。


蜂須賀の殿様は、江戸時代に阿波踊りを作りました。


江戸時代、徳島市中心の新町橋付近で突然町の者達が踊り始めて、蜂須賀公がそれを毎年お盆に躍らせるようにしました。


阿波踊りの歌の中にも、『阿波の蜂須賀~』 と歌われています。






手前



阿波藩を息子に譲った小六は、最後まで秀吉の側でサポートしていたそうです。





蜂須賀城址 石碑



蜂須賀は、この辺の町の名前になっています。



石碑




想像していたよりもはるかに巨大でした。


僕の背丈の3倍ぐらいありました。


造られたのは昭和9年だそうですが、そんな時代によくこんな巨大な岩を立てたなあと感心させられました。



石碑アップ



蜂須賀 と書かれているのが分かります。




門前




ここに、蜂須賀小六が眠っているんだなあ・・・。



本堂




中には入りませんでしたが、古くていい味の出ている立派な本堂でした。


蜂須賀氏は、ここから徳島へとやって来て、阿波踊りを作ったんですね~。


毎年お盆に楽しませてもらっている故郷の行事に感謝。


歴史のつながり、人のつながり、面白いです。


^^
Posted at 2012/04/08 11:00:26 | コメント(1) | トラックバック(0) | 蜂須賀小六 | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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