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すた☆君のブログ一覧

2013年01月10日 イイね!

本吉屋 うなぎのセイロ蒸し   柳川 

田中吉政のお墓を出た後ここらでちょっと腹ごしらえと、うなぎを食べに行った。

ここでは、うなぎのセイロ蒸しが名物です。


建物





わらぶきと木造の建物が合体していて、とても風情がある。

ラッキーな事に、入り口横に駐車できた。

中に入ってみて驚いた。

結構、若い人たちで賑わっているではないか。

うなぎ結構高いのに、最近の若者は金持ちだなあと思った。

私が彼らの年代ならば、ぜったいにここには来ない。



若者達に 『あと10年我慢しろ。』

と言いたい。


(おっさんかっ!! 自分でつっこみ)





本吉屋 うなぎのセイロ蒸し




コメをはしですくうと、木の香ばしい熱気がムンと伝わり、上品な味がした。

ただ、わかっていたが、高い。

1人前、3600円。



味は・・・ 普通に うまい・・・の・・・かな? という感じだった。

名店・・・? ふうん、 ぐらい。



まあ、店も庭もきれいだったので、場所代も半分ぐらいあるのだろう。



しかしながら私には、土用の丑の日に食べるスーパーの高級うなぎ 一匹1600円で上等だ。

私には贅沢すぎた。


おそらくもう当分、定年退職するぐらいまで、うなぎ屋へはいかないだろう。






茶柱 



沈んでいるが、妻のコップの中の茶柱が立っていた。

これは、幸先いいに違いない と思った。


続いてまた、立花家への史跡めぐりに戻ります。
Posted at 2013/01/10 12:58:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | グルメ/料理
2013年01月10日 イイね!

田中吉政 菩提寺 (関ヶ原合戦後、石田三成を捕えた男) 柳川市

関ヶ原合戦で負けた立花宗茂が浪人になった後に柳川城に入った殿様が、田中吉政です。

しかし、田中家は長くは続かず、約20年後に宗茂が再び柳川城主に返り咲きました。

宗茂は恥もプライドも捨て、徳川家康に仕官して、大坂の陣などで努力をし、その実力を認められました。

関ヶ原合戦後に再び領主に返り咲いたのは宗茂だけで、奇跡の蘇り と言われています。



田中吉政 は、愛知県の農民の生まれで、戦国大名にまでなるという、大出世をなしとげました。

秀吉ににていますよね。



お寺手前 


関ヶ原合戦では、東軍につき、合戦の2日後に小早川秀秋らとともに佐和山城攻めに参加し、その1週間ほどあと、逃亡中の石田三成を捕えました。

その功績で、柳川城を与えられました。




写真 



お寺の場所はちょっと分かりにくく、どこから入っていいのかがよく分かりませんでした。

どこかに写真のようなお墓があるという前情報があったので、お堂の横にあるお住まいのインターホンへ行って、ピンポンを押しました。


どちらさんですか?   『旅のものです。』

(笑)

お願いすると、中から女性が出てきて、まずお堂でおがんでくださいとのことでした。

お堂は結構大きく、大変りっぱなつくりでした。

拝み終わって部屋を眺めていると、その女性がこちらへと言うのでそれについていくと、本堂の下に通じる高さと幅が1メートルほどの地下トンネルの入り口に案内して下さりました。

トンネルは石でできていました。

50センチの石を二段に重ねて、その上も石で覆っていて、殆ど真っ暗でした。

中へ進むとお墓があるというので、腰をかがめて10メートルぐらい進んでいくと、明るいところに写真と同じお墓がありました。

面白いなあと思いました。

年末の忙しい中、対応ありがたく思いました。

ただ、関ヶ原からと話しかけましたが、そっけなく交わされたので、冷た~い嫌な感じがしましたよ。

正直、ちょっとへこみました。

でもまあ、感謝です。



石碑

入り口の横に顕彰会の石碑がありました。

顕彰会ってあっちこっちにいっぱいありますね。

この団体は、いったいなんなんでしょうね。

史跡の支援団体のことでしょうか。

では、立花史跡へまた戻ります。

気分を新たに、再出発です。
Posted at 2013/01/10 11:58:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | 田中吉政 | 旅行/地域
2013年01月10日 イイね!

三柱神社 (立花道雪・宗茂・誾千代を神とする神社) 柳川市

宗茂像アップ(御花で撮影)



福岡県柳川市へ、立花宗茂ゆかりの地を訪れました。

今回ここへ行くにあたり、 『小説 立花宗茂 八尋舜右 著』 を図書館から借りて、読みました。

400ページほどある分厚い本でしたが、頑張って読みました(4分の3ほど)。

家族の戦も詳しく書いてあったんで、とてもよかったです。




立花宗茂は、豊臣秀吉に、≪西国一のツワモノ≫ と言わせた、大変戦上手なつわもの、戦の天才、戦の神のような人物です。

≪東の本多忠勝、西の立花宗茂≫ などと言われています。


そして、彼は若い時から凄かった。

特に、朝鮮出兵での活躍が凄まじい。

2000人そこそこで、10万人とも20万人とも言われる敵を撃退。

また、その生き方も大変かっこよく、

関ヶ原合戦で西軍につき、大坂から船で九州に帰るとき、父のかたきの島津隊と同じ船になったが、手負いの人物を殺してもしかたないと言い、別れ際義弘から島津にこないかと誘われたが断り、単身東軍に囲まれる自分の小さな城に帰るなど。。。

知れば知るほど魅力的な人物です。


そして、宗茂だけではなく、その家族もこれまた物凄い・・・。

大友宗麟を支えた彼の二人の父親。

そして、男勝りで強い女性の妻、誾千代。

そんな魅力的な立花一族の史跡巡りを今回実行致しました。





ビジュアル系ポスター(御花で撮影)



・・・それにしても、この顔の違いはなんなんでしょう。

バサラの三成を思い出しますが、私個人的には、先の勇ましい像の方が好きです。

汗臭そうな、男くさそうな (女性受けしなさそうな) マスクがいいです。 

本物がどちらに近かったのかは、知りませんが。

(笑)








≪三柱神社≫

境内横の庭園


きれいな庭園がありました。

京都とかのように、それほど大きな神社ではありません。

境内の手前に駐車して、参拝させていただく事にしました。





説明





お堂




三人が神ということで、鐘の紐が三本ありました。


普通一本なんで、珍しく思いました。



紐三本



どの紐が誰のかわかりませんが、とりあえずお賽銭をほおりこみ、





賽銭箱





三つともガラガラとならしました。

(笑)



すた紐




おみくじは良心的な値段の50円。

今まで100円か200円しかみた事なかったので、安いなあと思いました。


おみくじ


立花家は、サービスいいですねぇ。

きっと、家来達や領民達にも、好かれていた事でしょう。

(笑)






おみくじはなんと、大吉。

(ちなみに妻は吉)



『ご自由にお取り下さい』と書かれた箱に入っていたカレンダーを頂き、勝利のポーズ。

やったあ




本堂の横に、こんな神社もありました。



太郎神社



中へは入らず、この辺で撤退。



太郎神社説明




柳川の行きたい史跡はたくさんあり、先は長いのでささっときりあげ、次へと移動して行きました。

^^;

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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