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すた☆君のブログ一覧

2013年09月22日 イイね!

湯浅五助と藤堂仁衛門の物語(確認の為、復習^^;)

思い出しながら、いっきに書きます。
^^;





まず始めに、大谷吉継の説明から始めます。

ちなみにこの絵は、私が描きました。

では始めますね。

この人、大谷よしつぐは、福井県敦賀城の城主、5万7千石の大名で、石田三成と親友でした。

実は彼は、ハンセン病、またはライ病という病気を持っていまして、顔の皮膚がみにくくただれていたんですね。

それで彼はその顔を隠すために、頭の天辺からこのように真っ白な頭巾を被っていました。

そして、目が見えない(9月25日に追加)、足もあまり動けない。

なので、ふだんはこのように輿に乗っかって、上から指揮していたんですね。


合戦の少し前の話をします。

親友の石田三成が、『家康と戦いたいからに仲間になってくれ』と彼に声をかけました。

しかし、彼は、『おぬしでは勝てないから、やめておけ!』 と言ったんですね。

その大きな理由は2つありました。

まず、1つ目。

石田三成の説明をします。

(こんどは三成の絵をみせる)

石田三成はお隣滋賀県さわやま城城主、彦根です。19万石の大名で五奉行。

それに対して、家康は五大老筆頭で250万石。

≪兵力差が10倍以上。≫

話にならない。

そして、2つ目。

実は彼、なかまの武将達にチョット、嫌われていたんですね。

≪仲間が集まらない。≫

厳しすぎたと言われています。


それで大谷よしつぐはやめておけといったんですが、実は彼は三成に大きな恩があったし、親友と言う事もあったので、共に戦う事を決め、仲間になるということを決意しました。

そこで大谷よしつぐは、彼の人望の無さをおぎなうために、五大老の宇喜多秀家らを仲間に入れることに成功して、このような西軍という大きなチームを作ることが出来たんですね。

三成が家康と戦えたのは、彼のおかげだと言っても過言ではない。

それぐらいの重要人物です。




次、関ケ原合戦当時の話しをしますね。

小早川が裏切りました。

裏切って、麓にいた大谷隊を攻めました。

しかし彼は、裏切る事を予測していたので、わずか3000の兵でありながら、1万5000人を3回押し返した。

彼、非常に強かったんです。

頭もよかった。

しかし、配下の4隊が裏切る事を予測できなかったんで、最後追い詰められて、死を覚悟しました。





物語はここからです。


彼、逃げる事ができません。

目が見えない、足が動かない。

そこで、側近達を集めて有り金全てを分け与えて、こう言いました。

『この金もって、生き延びよ。』

『自分を置いて逃げろ』と言うんですね。

しかし側近達は皆、『そんなことはできません』と、次々に敵の中に飛び込んでいって、みんな死んでいったんですね。

そして、最後の最後に、側近中の側近 湯浅五助にこう言いました。

『わしの醜い顔を敵にさらしとうない。この首かっきって、穴掘って地中深く埋めよ。』

そういって、大谷よしつぐ、腹を切りました。

≪腹を切る演技≫

そして五助は泣く泣く主君の首を切り落とし、言われたとおりに穴掘って、彼の首を埋めてたんですね。

そのとき、実はその場面を見ていた人がいました。

敵方で、藤堂高虎のおいっこ、藤堂にえもんという人物です。

彼は、五助の前に現れました。

そのとき五助はこういったんですね。


『・・・自分の首を差し出すから、見なかったことにしてくれ。』


それを聞いた藤堂にえもんは、彼の熱い忠義心に心を打たれて

『・・・わかった・・・。』

約束したんです。

そして、五助もまた主君の後を追って、腹を切り、にえもんは彼の首を持って、家康のところまで行きました。

しかし、それを見た家康は、何かがおかしいと思った。

何かが変だ。

なぜならば、彼(よしつぐのの絵を見せる)。

逃げられないんですね・・・。

目が見えない、足も動かない。

そして、家康はにえもんを問い詰めました。

『お前、なにか隠しているだろ?』

するとにえもんはあったことすべてを正直に話して、こう答えました。

『湯浅五助と約束をしたから、たとえ家康さまであっても、おおたによしつぐの首のありかはいえません。』

・・・これは、大変無礼な発言でして、家康に首を切られても不思議ではない。

それぐらいの発言なんです。

しかし家康、これを許した。

『おまえは立派なやつだ。』

そういって、褒美を与えて、それ以上何も聞かなかった。

では、なぜ立派なのかと言いますと、湯浅五助の首を持っていくよりも、大谷よしつぐの首を持っていったほうが、お金をたくさんもらえますよね。

しかし彼は、お金よりも情(胸を抑える演技をする)をとった。

そして、それを許した家康もまた、心が広い。



その後、家康はそれ以上首のありかについてはなにもきかなかったので、

・・・今でも、あの山の向こうのどこかで、・・・彼の首が・・・  眠っている と、言われています・・・。

(皆が息を呑んで、天満山の向こうを眺めている。。。)

そして、首が眠っていると言われている辺りに、彼のお墓があります。

もちろん、お墓の下には何もありません。

では、なんでそこに彼のお墓があるのかといいますと、実はこのお墓は、この藤堂家の子孫の人たちによって建てられたお墓なんです。

子孫の人たちもまた、ご先祖様たちの行いに心を打たれて、敵のお墓を作った。

そして、その後を追うように、すぐ隣に湯浅五助のお墓も建てられた。

二つお墓がならんでいます。

そしてこれら二つのお墓は、今現在にいたるまで、ここ関ケ原に住んでいる人たちの手によって、大切に維持管理されている という訳です。

以上でございます。

みなさま、長い時間ご静聴、ありがとうございました。

^^







・・・言えるじゃん。 覚えてるじゃん。

イエーイ! 

^^v
Posted at 2013/09/22 07:01:16 | コメント(2) | トラックバック(0) | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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