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すた☆君のブログ一覧

2014年01月01日 イイね!

竹中半兵衛と黒田官兵衛 の物語 「出会いの地〜垂井町』

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願い致します。


戦国史跡ツーリングの日が近づいてきたので、それにあわせて、ちょっと地元ネタを語りたいと思います。

(今回は文章だけです。)


≪竹中半兵衛と黒田官兵衛、出会いの地≫

稲葉山城(現在の岐阜城)を乗っ取ったあと、竹中半兵衛重治は、南宮山の南東にある(垂井町)栗原山・九十九坊に隠棲していました。

「信長の父も落とせなかった難攻不落の岐阜城をたったの16人で落とした」

その噂を聞いて、官兵衛が姫路から半兵衛を訪ねて栗原山にやってきました。

ここが二人が初めて出会った場所です。

しかし、半兵衛が本音を語らないので、

「彼は目的のためには手段を選ばない冷たい男なのか?」

と想像し、官兵衛は失意のまま帰りました。



その後、官兵衛は仕えていた小寺家の殿様に、

『これからは毛利ではなく織田信長の時代だ!』 と説得し、

信長を訪ねて、岐阜城にやってきました。


その時、官兵衛は岐阜城の麓にある崇福寺に案内されたのですが、そこで彼を迎えたのが竹中半兵衛でした。

10数年ぶりの再会でした。





竹中半兵衛は、病気のため、松尾山の浅井家の庵で、1年半療養していました。

(現在、松尾山の三合目にお寺あとの石垣があって、庵はそこじゃないか?との説もあります。中山道が見える場所だそうです)

そこに秀吉がやってきて、土下座して部下になってくれと頼み込み、秀吉の下で働くことになりました。

世に言う 秀吉の 「三顧の礼」 です。

秀吉は信長の家来ですので、官兵衛を迎えたのが半兵衛だったという事です。

信長は官兵衛の資質を見抜いたそうです。




続く♫
Posted at 2014/01/02 08:23:56 | コメント(1) | トラックバック(0) | 黒田官兵衛 | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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