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すた☆君のブログ一覧

2014年09月02日 イイね!

あなたが好きな関ヶ原合戦の参加武将(家来)は誰ですか?

あなたが好きな関ヶ原合戦参戦武将は誰ですか?

最近、ここに来られるみん友さんたちの中に、関ヶ原合戦に興味がある人たちが増えてきたんで

(戦国史跡ツーリングや関ヶ原古戦場巡りや、関ヶ原甲冑ウォーキングも開催しておりますし)、

今回改めて、テーマに取り上げてみました。




武将の名前とそのエピソードなど書いていただけたら幸いです。

(関ヶ原とは違う、別の場所で戦っていた武将でも、その家族や家来たちでもOKですよ~)

みなさん、じゃんじゃん書き込んでください。

^^





ちなみに私の場合はたくさんいすぎて、^^;






まず≪東軍≫から。

徳川家康は
狸ですが、心が広いところ。

(藤堂仁右衛門を許して大谷吉継の首のありかをそれ以上聞かなかったエピソードや、戦で勝つための準備が天才的な所)
とかが好きです。





井伊直政は
井伊の赤備えが元は武田の騎馬隊で、強すぎる集団で真っ赤で、若い頃は大将なのに自ら敵に突っ込んでいって家臣に怒られた というところがかっこよくて、好きです。





可児才蔵は、
強すぎて首を取りすぎる、通称・笹の才蔵のエピソードが好きです。






福島正則は
家康に上手く利用されたり、三成を嫌ってたとかありますが、豪快で単純でまっすぐで人間くさいところが憎めなくて好きです。





ばんだんえもん
福島正則に似ていて、豪快でまっすぐで真っ先に敵の中にツッコンで行くところが痛快で好きです。






藤堂高虎
若くて苦労していた時に、戦いの帰りおなかがすいていたけどお金が無くて、茶店の主人がお餅をご馳走してくれた出来事を旗印の白丸(お餅)として描いて、苦しい時はその旗のお餅のことを思い出して頑張って来たというエピソードが好きです。
また、身長が192センチと大柄だったのも凄いです(当時の平均身長は150センチなんで)。






藤堂仁右衛門
(下記に記す)湯浅五助の発言に心を打たれ、五助の首を持って家康のところに行き、家康に対して臆することなく『五助と約束をしたので、(大谷吉継の)首のありかは言えません!』と言い切った迫力は凄すぎます。





本多忠勝
やっぱ、無敵で強すぎるところ。
兜のツノもかっこいい。

また、娘の小松姫(東軍)の元へ真田昌幸(西軍)が『孫の顔を見たい』とやってきたのに、甲冑姿で『敵だからダメだ、帰れ!』 と追い返したエピソードも勇ましくて好きです。







鳥居元忠
西軍の中に、まっさきに命を狙われるだろう東軍・家康の親族として孤立して、伏見城に残り、西軍の猛攻撃にあって死んでいった壮絶な最後は、
家康に未来への願いを託して死んでいった男の凄さを感じて、思わず息を飲んでしまいます。

また、仲間になりたいと集まってきた武将たちを門前払いしたところも、巻き込まないようにしようとしている姿勢が感じられて、泣けます。








黒田官兵衛
東軍も西軍もみんなボロボロになったら、九州を制覇して一気に本州に乗り込んで天下を横取りしてやろうと考えていたところとか、

関ヶ原合戦後に長政が家康に謁見したとき、長政の右手を握って『ありがとう』と家康に感謝された話しを聞いて、官兵衛が
『その時、おまえ(長政)の左手は何をしていたんだ?(何故、家康を刺し殺さなかったんだ?チャンスだっただろ?)』と尋ねたというエピソードは背筋が凍るようで好きです。




細川ガラシャ

の最後にも泣けますよね。

捕まると旦那に迷惑をかけるからと、家来に槍で・・・。

本当に壮絶な時代だったんだなあと考えさせられます。。。












≪西軍≫は 

石田三成は、
思想・旗印の『大一大万大吉』の意味が好きです。

勝てそうもない大きな相手に立ち向かう姿勢がたまりません。





島左近は、
豪傑であまりにも強いところが好きです。
三成の下についたところも好きです。



大谷吉継は、
親友三成の為に知力を持って、家康と互角の力を手に入れたところが凄すぎます。
彼のおかげで三成は西軍を作れたといっても過言ではないでしょう。
全力で戦って関ヶ原で散ったところが泣けます。




湯浅五助
大谷吉継の遺言どおり首を埋めていて、敵方の藤堂仁右衛門に見つかったときに
『首のありかは誰にも言わないでくれ。その代わりに、自分の首を持っていけ!』と言って、切腹したエピソードは凄すぎます。
彼の熱い忠義心に胸が熱くなります。




平塚為広は、
大谷吉継と時世の句 を送りあって、ともに裏切り勢の猛攻撃にあって、関ヶ原にて命を落としたところに泣けます。




宇喜多秀家
関ヶ原合戦の西軍の主戦力で、最後まで全力で戦ったところはやっぱり凄いです。
残りの人生(半世紀)を八丈島の島流しで終えたところは切なくなります。




明石全登は
外から来たばかりなのに宇喜多騒動を治めて関ヶ原にやってきて、そんな大変な状況なのにうまく指揮して大活躍したところがたまりません。
大坂の陣の後に行方不明となり、家康が自分が死んだ後に明石全登が現れる事を恐れて発した指名手配所『明石狩り』は痛快です。




島津豊久は、
切腹しようとした島津義弘を諌めて、関ヶ原からの脱出を進言し、『捨てがまり戦法』の時に、自らも最後尾に立って、井伊の猛攻撃を食い止めて、義弘を生かして自分は死んだところに泣けます。








好きな武将自慢でもいいですよー。

みなさん、どしとし書き込んで下さいねー。

^^
Posted at 2014/09/02 07:35:58 | コメント(9) | トラックバック(0) | 関ケ原 | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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