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すた☆君のブログ一覧

2014年12月13日 イイね!

第1回石田三成教室 ~関ヶ原合戦後の三成の子供たち~

先日の鍋パーティで開催した『第1回石田三成教室』でしゃべった内容を以下にまとめたいと思います。

長くなるので、2回に分けて書きたいと思います。


興味のある方、他にネタあるかた、どんどんコメ宜しくです。
^^


^^


~その① 関ヶ原合戦後の三成の子供たちの人生~

三成と正室おりんの間には、3人の子供たちがいました。

長男:源吾(げんご)、次男:重家(しげいえ)、長女:辰姫(たつひめ)

(*他に子供がいたかは知りません。^^;)


≪重家の人生≫

次男の重家の「家」という字は家康の「家」で、名付け親が家康です。



なので、昔は三成と家康は仲がよかったのかな?とか思いました。

まぁ、分かりませんが。

ずうずうしくも、織田家重鎮の丹羽長秀の『羽』と柴田勝家の『柴』をもらって≪羽柴≫秀吉と名乗る人もいますんで。


関ヶ原合戦の時、重家は、大坂城にいました。

その後、京都の妙心寺に入って出家しました。




≪長男:源吾の人生≫
彼は妹の辰姫と共に、津軽(青森県)へ逃げました。

戦国武将 津軽為信(つがるためのぶ)は、昔 お父さんの石田三成に助けてもらった事があるので、その恩を返すために、三成の二人の子供たちを家族同様に大切に育てました。

津軽為信は東軍で、初代藩主で、独立国にしたいと戦っていました。

まず、源吾は石田と名乗れないので、名前を杉山はちべえと変えました。

何故「杉山」かというと、信楽町の杉山というところで、父三成が秀吉から守護神をもらったから、その場所を大切な名前として、自分の新しい名前と決めました。

杉山はちべえは、三代藩主 津軽のぶよし に仕え、家老にまでなりました。



≪長女:辰姫の人生≫
辰姫は、津軽為信の息子の二代藩主のぶひらと結婚しました。

兄 杉山はちべえが使えた殿様が、彼女の息子 三代藩主 津軽のぶよし です。



ちなみに、辰姫はねね(おね 北政所 高台院 秀吉の正室)の養女でした。


ここで疑問に思ったのが、『北政所の侍女№1が、大谷吉継の母なのか?』という説でした。

あと、三成と小早川秀秋の関係ですが、彼らは親戚になります。

小早川秀秋の父は木下家定(ねねの実の兄)で、辰姫はねねの養女なので、秀秋と辰姫はいとこ同士になります。

ということは、小早川秀秋にとって三成は、いとこ(辰姫)の父 という関係になります。


脱線しました。

^^;




それと、家康は捕らえた三成に、彼の子供たちが無事な事を伝えたそうです。

一族郎党皆殺しにするこの時代、敵の子供たちを生かしたことより、家康はなかなか心の広い人間なのだなということが想像できます。

・・・もしかしたら、彼らを生かすことによって、心の広いところを他の武将たちにアピールしたのかもしれませんけどね。




続く♪
Posted at 2014/12/15 10:14:14 | コメント(1) | トラックバック(0) | 石田三成 | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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