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すた☆君のブログ一覧

2010年05月31日 イイね!

大あくびをする犬

大あくびをする犬無事、岐阜に帰ってきました。

復活したロードスター、絶好調です。^^
Posted at 2010/06/02 13:48:45 | コメント(4) | トラックバック(0) | ペット | 日記
2010年05月30日 イイね!

故郷でのとある一日

故郷でのとある一日実家を建て替えをするとの知らせを聞き、軽井沢MTGを断念し、こちらに帰ってきました。


今度帰ってきたときには、この家はなくなっているのかと思うと、寂しい気持ちになりました。



友人と昼食をとり、その後、ボウリング大会。

懐かしい友人たちとの再会です。



その後、沖洲の 『桜茶屋』で、お茶会。



オープンカーはちびっ子に人気があるとよく分かりました。

(笑)



夜は、テニスへ行きました。


更にここでも、懐かしい人たちとの再会。





やはり、故郷はいいですね。^^


Posted at 2010/06/02 13:44:44 | コメント(3) | トラックバック(0) | 徳島 | 日記
2010年05月29日 イイね!

淡路島へ上陸しました。

淡路島へ上陸しました。半年振りの帰省。

荷物は既に前日に車に詰め込み、仕事が終わってすぐに、帰省しました。

眠たくなる前に一気に帰るつもりでしたが、淡路島に上陸したところで眠くなったので、南淡パーキングで、3時間ほど寝て、真夜中に帰宅しました。

約8時間かかりました。



行きと帰りで、3回ほど、事故を目撃しました。

休憩も取らずに暴走運転をすると、3時間程で帰れますが、それで事故を起こしたら、家族にも不幸を招きます。

狭い日本、そんなに急いでどこへ行く。




Posted at 2010/06/02 13:25:03 | コメント(2) | トラックバック(0) | 徳島 | 日記
2010年05月28日 イイね!

ロド、復活!!

ロド、復活!!先ほど、無事、ロードスターが復活致しました。

原因は、空気の取り入れを調整する部品が故障していたとの事で、交換して直りました。

ちょっと名前は忘れましたが、その部品は、手のひらサイズの四角い立方体で、上に二つの丸い穴が開いていました。

ちなみに料金はまだ払ってないので、明細が少々気になりますが(3万円ぐらい?)、まあ部品ひとつなので、しれているでしょう。

^^



これでもう大丈夫らしいので、明日さっそく、これで故郷の徳島市に帰ります。

往復700キロ、走ってきます。

(爆)


代車に、屋根の高い軽自動車を貸してもらい、室内も広く視界も広く、運転も楽だし、燃費もいいので、こういう車もいいなあと、ちょっと浮気しそうになりましたが、帰ってきたロドに乗ってみたら、驚くほど体にフィットした感覚で、まさに人馬一体なんだなあと、改めてほれぼれ致しました。

(親ばか)


そういう訳で、またこれからも、ロドにのり続けます。

心配してくださったみなさん、ありがとうございました。

また一緒に走りましょう。^^

まだ会ったことのない人も、どこかのMTGでお会いしましょう。^^

よかったよかった。

く(^^)
Posted at 2010/05/28 19:38:36 | コメント(7) | トラックバック(0) | ロードスター | 日記
2010年05月27日 イイね!

東首塚

東首塚へ行ってきました。

ここは、関ヶ原駅のすぐ西にあります。

すぐ裏にはJRの電車が走っています。






東首塚を西側から入ろうとすると、朱塗りの門とお堂が目に入ります。

今回、門は工事改装中で、幕で覆われて全く見えない状態でした。

それで、お堂の横から中へ入りました。



バックがお堂で、手前が合戦戦死者供養等



このお堂は、もともとここにあったものではなく、愛知県から移設されたものです。


尾張の殿様を祭ったもので、名古屋にあったらしいですが、どこかの支援団体がこちらに持ってきたらしいです。

ちなみにその殿様は、大変な遊び人で、徳川吉宗の質素倹約を嫌い、遊んでばかりいたので、吉宗に捕らえられ、最後は罪人として哀れな人生を送ったらしいです。

彼の墓には、罪人扱いされていたため、数十年間、金網をかけられていたそうです。





お堂と青い空




このお堂は、徳川家のものなので、瓦の一部には、徳川家の家紋、葵の紋所?が見られます。







首塚の中へはいる途中、つつじが咲いていました。^^

つつじ






この東首塚は、関ヶ原合戦の翌日、9月16日に、徳川家康が、ここを治めていた竹中重門に命じて、戦死者の首や胴をここに祀らせたそうです。

当時は6000坪あったらしいですが、現在はどうみても数百坪程度でしょう。

おそらく、関ヶ原駅も、JRの線路も、隣の工場も、すぐ北にある住宅街も、首塚の敷地内だったに違いありません。


・・・庭掘ったら、骨が出てきたりして。

(怖)




ここ関ヶ原には、東首塚と、西首塚という、二つの首塚があります。

東首塚は、名のある武将の首級とか、東軍の戦死した兵士などが、埋められているそうです。

西首塚は以前は胴塚と呼ばれていたらしく、首なし死体や西軍の雑兵とかが埋められているそうです。

西と東、分けていたんですねー。





首塚全体




当時首塚は、高さ2メートル、直径10メートルあたそうです。


直径はともかく、高さはどうみても2メートルはありません。

地べたにぴったりです。

おそらく、木下に伸びている多数の根っこの部分が、盛られた2メートルの土の部分だったのでしょう。

長年、風雨にさらされて、根っこが出てきたように想像されます。


とうことは、この大木は、戦死者の死体を栄養に育ったと言うことになります。


恐ろしいですね。。。


まあ、普通にその辺の山の木々も、動物の死がいとか土に返って、栄養として成長しているのでしょうけどね。







根っこ



なにやら、お札みたいなものが立てかけられていますね。


この根っこ部分が、塚の内部から出てきたものでしょうね。



根っこめくったら、人骨が出てきたりして。。。

(恐)






石碑



この塚の真東に、石碑があります。

これは、合戦から約200年後に、関ヶ原宿に住んでいたご老人が、この塚が風化して、野原になって、関ヶ原合戦が世の人たちから忘れ去られることを恐れて、石碑にメッセージを刻んで、ここに立てたものといわれています。


まあ平たい話、私の先輩と言うことになるのでしょうか。


石碑の文字は漢文で、パッと読んでもすぐ分からないのですが、平たく言えば、

『石田三成が兵を起こして合戦を起こしました。それは世間に対してよいものとは決して言えませんが、豊臣家の存続を願って、起こした戦なので、その気持ちもよくわかりますよ。』

みたいなことが書かれています。

江戸時代後半に書かれたものなので、まだ徳川政権時代ですから、ちょっと大胆不敵な文章ですよね。

役人に見つかったら、引っ立てられてもおかしくないような文章で、なかなか肝っ玉の据わった先輩だったように思われます。




井戸




これは、首洗いの井戸です。

この中で首を洗ったというひとが、時々みうけられますが、

中で首を洗って、井戸の中に落としたら、どうするんですかー!!

数百万円の札束を、ビルの屋上の手すりから身を乗り出して、ペラペラと数を数える人、いますかー!?

飛んでいったら、終わりですよー!!




ここの井戸の水を汲んで、井戸の横で、首を洗ったんですよ。






ちなみに、この首塚の東の端っこには、井伊直政と松平の陣跡があります。










門の改装工事が終わったら、またここに戻ってきたいです。

あ、その前に、歴史講座の現地勉強会で、ここに来るかもね。

(笑)
Posted at 2010/05/27 23:34:34 | コメント(1) | トラックバック(0) | 関ケ原 | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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