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すた☆君のブログ一覧

2010年06月15日 イイね!

ムクリとこちらを向く犬

ムクリとこちらを向く犬
Posted at 2010/06/19 02:24:47 | コメント(1) | トラックバック(0) | ペット | ペット
2010年06月14日 イイね!

雨漏り直りました。

3月ぐらいから悩んでいた、ロードスターの雨漏り、今回の修理の時、ついでに直してくれるよう、依頼しました。

整備士さん   『見るからに、これが怪しい。』

幌とウインドゥの間にはみ出ていたゴム部分を、はめ込んでみるから、また様子見てねとの事で、車を返してもらいました。

しかしその後、雨は延々と降らず、効果分からず。。

そして2週間が経ち、初めての雨。

雨が止んだ後、車内を見てみたら、全然雨漏りしていませんでした。

やはり、プロの整備士さんって、凄いですね。

プロの技術に脱帽です。

悩みが、ふっと肩から下りたような気がしました。


私も、彼のような技術者になりたいです。^^

(畑ぜんぜん違うけど)
Posted at 2010/06/14 10:47:02 | コメント(5) | トラックバック(0) | ロードスター | クルマ
2010年06月13日 イイね!

畑仕事でギックリ腰になりました。

こんにちは。

最近とりつかれたように、歴史ネタ・史跡めぐりネタばっかり書いている管理人のすた☆君です。

ロドマニア達がどんどん離れていくのを実感している今日この頃。

(苦笑)

でも、仕方が無い。

だって、歴史、楽しいんだもーん♪

\(^0^)/



皆さんには悪いですが、私にはどうしても、車の改造が好きにはなれず。。。

とにかく、部品が高い。

そんなお金があったら、親孝行でもしてあげたいかなと。

平日休みが多いので、MTG誘ってもらっても、なかなか行く事もできません。

でも多分、行っても皆さんの話に入れません。

車、興味ないんで。


申し訳ないです。


これからも、マイペースでいかせてもらいます。

それでもよい人だけ、お越し下さい。

m(__)m




それにしても、ヒット件数が多いのが気になるところ。。。

いつも読んでるだけの人、誰?

(^^;)





話し代わって、もう治ったのですが、3週間ほど前に、ギックリ腰になりました。

ギックリ腰って、つらいですよね。

布団から起き上がることもできません。

寝返りを打とうものなら、激痛が走り、思わず叫んでしまいます。

ここで、今年の冬に買ってもらった、雪かき用の腰ベルトが、大活躍。

これのおかげで、出勤することもできました。^^

しかし、2、3日たっても治らないので、さすがに心配になって、病院へ行ってきました。



先生  『これは、ギックリ腰ですねー。何か、思い当たるふしは?』

すた   『先週末、土よう日ようと、2日連続で、畑仕事を・・・。』

先生  『・・・若いのに。』



そうさー、オレは、若年寄さー!!

\(゜▽゜)/


手間をかけた分、今年は豊作、間違いなし!!

(^^;)



おくらの芽


とまとの苗


にんじんの芽


茗荷の芽


鳴門金時の苗
Posted at 2010/06/14 10:32:52 | コメント(4) | トラックバック(0) | 暮らし/家族
2010年06月12日 イイね!

北国街道を封鎖せよ!?

北国街道を封鎖せよ!?『関ヶ原の合戦に向けて、西軍石田三成が、笹尾山の南の北国街道を封鎖しようとして造った土塁が発掘されていた!!』

との情報を得(図書館の立ち読みで知り)、早速私、カメラをぶらさげ、愛車のチャリンコに乗っかって、笹尾山の南、北国街道へと、土塁を探しに行ってきました。

^^





だが、しかーし、、、、

土塁は見つからなかったー。

(--;)






後日、改めて本で調べなおすと、北国街道の北じゃなくて、南側でした。



A(^0^;)



また今度行ってこようと思います。^^


その代わりに今回、こんな石碑を見つけました。^^


『笹尾山石田三成陣地一丁』

一丁・・・一丁目? それって、住所!?

関ヶ原って、奥が深いっす。

(・_・)
Posted at 2010/06/14 10:00:36 | コメント(2) | トラックバック(0) | 関ケ原 | 旅行/地域
2010年06月11日 イイね!

松尾山城跡    ~小早川秀秋陣跡~

小早川秀秋の陣跡がある、松尾山へ行ってきました。

彼は、関ヶ原の戦いで、徳川家康の一戦射撃を受けて、寝返りを決意した事で有名です。


戦国時代、松尾山には、松尾山城(長亭軒城)と呼ばれた山城があった。

それを、1570年に浅井長政が修築使用した後、織田信長の物になり、その家臣不破光治が城主になったが、その後彼の転封に伴い、廃城になった。

松尾山城は、西美濃地区最大の山城であったと云われている。


道しるべ





慶長五年八月十一日、大坂城に入った石田三成は、大垣城主に命じて松尾山城を修復させた。

光成は、ここへ毛利輝元を招き入れるつもりであった。

しかし、合戦前日に突如として、小早川秀秋が1万5000の大軍を率いて、この松尾山新城へやってきて、既にそこへ布陣していた伊藤盛正(大垣城主)を、追い払ってしまい、自ら山頂に陣取った。










松尾山全体





合戦の直前の小早川秀秋の行動は、非常に怪しいと噂され、西軍からも、東軍の徳川家康からも、最後までどちらにつくのか疑わしいと、危険視扱いされていた。






小早川秀秋は当初、東軍として伏見城に入り、西軍と戦うつもりであったが、城将鳥居元忠に拒否され、なりゆきで西軍として伏見城攻めに加わることになった。

後日、家康に、伏見城攻めの弁解をしている。

伏見城攻めの後は、大津近くに病気と称して、引きこもった。

家康が江戸を出て美濃へ向かった事を知ると、彦根まで(大津の北北東 約70キロぐらい)兵を進めて6日間滞在し、9月14日に家康が美濃赤坂(関ヶ原の東に約10キロ)に到着するや否や、自分も兵を動かし、松尾山城へやってきた。








松尾山の麓から、天満山方面を見る





現在松尾山城跡へは、観光用として、東口に道ができているが、当時はそんなものは無かった。

城の南側に大手門があり、古い集落があり、神社や寺、旧街道がある。



現在はこの南側には、関ヶ原グリーンウッドというオートキャンプ場・パターゴルフ場がある。

合戦時、関ヶ原方面からやってきた敵兵を、わざと城の北側の崖におびき寄せて、ここで頭上攻撃で殲滅させる構造となっていた。












険しい山肌




山頂へと続く道が途中開けていた。

眼下には、山肌とその向こうには、天満山や笹尾山などの激戦地が見えた。

『小早川勢は、一気にこの山を駆け下り、大谷勢へと攻め込んだ。』

と一般には言われているが、一気に走っていけるほどに、天満山は近くは無い。

布陣してすぐ翌日に戦ったのだから、この山を北方向に降りる安全な道など、恐らく知ってはいなかっただろう。

傾斜も結構ある山なので、一気にここを駆け下りる途中に転倒して死んだ兵士も多数いたと思われる。






展望台を下から



山道を40分ほど登ったところで、ようやく展望台が見えた。

ここに来る人は、最低往復2時間は見といた方がいいだろう。




光成は、この重要拠点である松尾山城に、西軍の総大将毛利輝元と豊臣秀頼を招きいれ、家康と決戦しようと考えていた。

小早川秀秋は、事前にこの光成の計画を知っていた可能性がある。  

秀秋の松尾山城占拠は、家康への、伏見城攻めに加担してしまったことへの侘びと、そのお返しのつもりだったのかも知れない。





秀秋は、家康に大きな恩があった。

慶長2年、朝鮮出兵で総大将として武功をあげたが、翌慶長3年、軽率な振る舞いがあったとして、秀吉に咎められ、筑前を取り上げられ、減封された。

しかし、秀吉の死後、家康の計らいにより、旧領に復す事ができた。





秀秋は、東軍と西軍の両方から、味方になったら褒美を出すと、もちかけられていた。



東軍の褒美・・・伏見城攻撃などを無かった事として許し、更に上方で2カ国を与える。

(黒田長政を介して、その内容を聞いていた。)



西軍の褒美・・・豊臣秀頼が15歳になるまでの間、関白となり、播磨一国を加増、二人の家老に各10万石ずつ与え、軍資金として、黄金300枚ずつを与える。




東軍よりも、西軍の褒美の方が大きかったが、結果として、これを蹴飛ばして、東軍に寝返った。




展望台陣形図













旗と眼下




松尾山の北側の麓には、西軍の赤座・小川・朽木・脇坂(順応軍)が陣取っていた。

合戦当初、戦わずに様子を見ていた彼ら4隊は、小早川秀秋の寝返りを見て、同様に寝返りを行った。







合戦地を見る








松尾山から見た笹尾山


左側に笹尾山が見える。

前に馬柵があり、その後ろに光成陣跡がある。





松尾山から見た最終決戦地

左に西軍大将、石田三成が陣取った笹尾山がある。

真ん中の黄色い囲み部分が島左近が戦ったと思われる場所(旧小学校・現ヤギ牧場)。




展望台より





陣跡の石碑




石碑は古くて、読みにくい。






松尾山 土嚢1


山頂の展望台は、土塁に囲まれている。





土嚢 2





土嚢3






土嚢4












土塁の保存状態は、とてもいいと思われます。

関ヶ原の戦いに興味のある方、土塁に興味のある方、是非一度、足を運んで見られては?

戦国時代の雰囲気を感じることができますよ。^^
Posted at 2010/06/11 21:10:03 | コメント(2) | トラックバック(0) | 関ケ原 | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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