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すた☆君のブログ一覧

2011年03月31日 イイね!

斎藤道三の居城 西軽海城跡

斎藤道三の居城 西軽海城跡斎藤道三の居城跡です。

織田信長が美濃を攻略する時、ここに宿泊したそうです。



(岐阜県大野町軽海)

地名に当時の名残を感じます。
Posted at 2011/04/01 00:20:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | 斉藤道三 | 旅行/地域
2011年03月30日 イイね!

関ヶ原へ向かう途中、狙撃された家康が逃げ込んだ神社

関ヶ原へ向かう途中、狙撃された家康が逃げ込んだ神社関ヶ原合戦へ向かう途中、家康は揖斐川を渡るとき、西軍に狙撃されました。
たくさんの家来が負傷し、家康は命からがら近くの屋敷へと逃げ込みました。

地元の昔話に残ってます。


今は神社があります。
白山神社
http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=35.42056111&lon=136.60769722&ac=21381&az=6&v=2&sc=3
(岐阜県安八郡神戸町)





もしこの話が本当ならば、

『勝者は、自分に都合の悪い歴史は消す。』

そんな感じがしました。
Posted at 2011/03/30 17:02:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | 関ヶ原合戦に類する合戦跡地 | 旅行/地域
2011年03月30日 イイね!

美濃三人衆、安東守就の城・戦死の地

美濃三人衆筆頭、安東守就の史跡を巡りました。
(西)美濃三人衆とは、安東守就、稲葉一徹、氏家卜全の事です。
彼らに、不破光冶が加わり、四人衆とも言われます。
彼は、竹中半兵衛の妻の父・義父にあたります。
半兵衛が岐阜城を落としたとき、協力しました。


安東守就は、天正8年、武田軍内通の罪により、織田家を追放される。


本能寺の変で信長が死んだ後、自分の城・北方城を取り戻そうと出兵する。

北方城跡(岐阜県本巣郡北方町地下249)




たくさんの水路で囲まれていたそうです。


全体





地図


1⇒2⇒3へと歩いてゆきました。


2北側


上の神社を目印に進むと、簡単に着きます。

2南側




これらの側溝は、城跡の名残でしょうか。


役場の少し北に、彼の戦死の地があります。


大きな道路沿いで、綺麗に整備されておりました。



城を取り返しに来た時、稲葉一徹と戦い、この地で敗れ死にました。






享年80才

石碑



Posted at 2011/03/30 11:57:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | 美濃三人衆 | 旅行/地域
2011年03月29日 イイね!

氷のベッドで寝ました。

氷のベッドで寝ました。室内はマイナス30℃ありました。
Posted at 2011/03/30 11:31:58 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
2011年03月28日 イイね!

戦国最強水軍・九鬼の城 鳥羽城

週末、志摩・鳥羽へ行きました。
鳥羽といえば、九鬼水軍。
という訳で、九鬼水軍の城へと行ってきました。



看板

お城は、鳥羽水族館の真正面にあります。




正面の石垣の上には、忍びがいました。
『鳥羽城、落としたりー!!』と叫んでいるようにみえました。


九鬼水軍といえば、日本発の大型鋼板船を思い出します。

1578年石山合戦 第二次木津川の戦いにて、船の周りに鉄板を貼り付けた燃えない船を出動させました。
前回の戦いでは、敵の毛利・村上水軍が、火矢や火薬玉(ほうろく球)などで攻撃した為、大敗。
その後、織田信長が九鬼嘉隆にこの船を造らせました。
『日本で初めての鉄でできた戦艦』の完成、というところでしょうか。
大きな鉄砲も装備したそうです。
長さ22メートル、幅12メートル。
九鬼の戦艦が6艘に対して、毛利・村上水軍は約600艘。
船の数が100倍もの差があるにもかかわらず、九鬼水軍はこの船で相手の攻撃を無力化し、逆転大勝利を治めました。







船の模型の写真。
これは正面の石垣のすぐ後ろに掲示されていました。
鋼板船の前の船ではないでしょうか。




石段は、まるで巨人の階段の様でした。



山頂からの景色です。
180°海が広がっていて、とても綺麗です。
手前には小島が見えました。


私も今までいろいろな城へ行きましたが、こんなに景色の綺麗なお城は初めてでした。
海の色がとても青くて印象的でした。


眼下を見ると、船が戻ってきていました。
戦いに勝利した九鬼の水軍も、こんな感じで帰ってきていたのでしょうか。
^^



九鬼嘉隆の首塚(胴塚)があるので、そちらへも行こうと思っていましたが、よく調べてみると、渡船を使わないといけない小島にあったので、やめときました。

彼は城の向かいにあるどこかの小島で、静かに眠っているようです。
Posted at 2011/03/29 07:23:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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