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すた☆君のブログ一覧

2011年03月17日 イイね!

京極一族の眠る街② 柏原城跡と清瀧寺

柏原宿を後にして、清瀧寺(きよたきでら)へと向かいました。

この寺に、京極一族のお墓があります。

お寺の山道の手前に駐車場があり、そこに停車して、ゆるやかな山道を歩いて登ります。

途中の景色がとても綺麗です。



清瀧寺に到着しました。

寺の門に、『柏原城跡石碑』がありました。

もともとあった柏原城に、初代京極氏が城主となり、ここを拡充して清瀧寺を造り、京極家の菩提寺としたそうです。

ちなみに京極一族は、いくつかのお城を点々と移り住んでおりまして、ずっとここという訳ではありません。




寺の塀の石垣が、歴史を感じさせられます。

もしかしたらこの石垣は、戦国時代に出来た柏原城の跡なのかもしれませんね。







清瀧寺・正面


この奥に、京極高次が眠っているんですねー。

ついにココまで来た! という気持ちになりました。

近所ですけど。

(笑)
Posted at 2011/03/17 09:18:42 | コメント(1) | トラックバック(0) | 京極一族 | 旅行/地域
2011年03月16日 イイね!

京極一族の眠る街、柏原宿

今回は、滋賀県米原市の柏原宿を訪れました。

というのも、この街には、京極一族の墓地があるからです。

地図を見ていて偶然見つけました。

^^;

江のポスター


京極一族といえば、『江』ではまだ出ていませんが、京極高次(きょうごくたかつぐ)がいます。

彼は、江のひとつ上の姉、初の旦那です。

京極高次といえば、関ヶ原合戦の直前に大津城で立花宗茂などの猛将を足止めしたという嫌なやつです(西軍ファンからの見解)大仕事をしたやつです。

歴史の流れに大きく関わった人物の一人といっても過言ではないでしょう(うまく足止めしやがって、ちくしょー)。


樫原宿歴史館


ここに京極一族の資料が多少ありました。

京極家は、佐々木家から分かれた分家の一つ(佐々木家の直系だったかな。)で、4代目に京極どうよという人がいて、彼は、バサラと呼ばれていたそうです。

中山道


戦国バサラのバサラとはどういう意味?

と先日友人から質問されました。

意味は答えられましたが、由来は答えられませんでした。

もしかしたらそれは、彼だったのかもしれませんね。

石碑



柏原宿は、中山道の第60番目の宿です。


京極看板



近江全体で、ここが一番大きな宿だったそうですよ。

いろいろ見ごたえがあって、なかなか面白い街でした。

^^

近江ポスター



場所は、関ヶ原駅のひとつ西隣です。


伊吹山


しばらく街を探索したあと、目的の史跡を訪れる事にしました。


垂れ幕


街中での宣伝は凄いのですが、こういう街がココにあるという外部への宣伝は、あまり上手ではなさそうに感じました。


看板



関ヶ原に来た人は、ついでにこちらにもこられてみては?
Posted at 2011/03/16 09:43:26 | コメント(1) | トラックバック(0) | 中山道 | 旅行/地域
2011年03月15日 イイね!

信長の館跡② 

信長の館跡② 現在、発掘調査が行われており、3月上旬まで一般公開されておりました。

僕が行った時も、なにやら測定を行っておりました。


信長の旗


ここのすぐ近くのお寺の近くで、斎藤道三の城下町の跡が発見されました。

僕がココに訪れた数日後だったので、ガッカリしました。

ちなみにそのお寺は、先日紹介した、斎藤家ゆかりのお寺の辺りです。


案内所


余談ですが、そのお寺の斜め前にあるお寺には、昔、竹中半兵衛の屋敷があったそうです。

どちらもココを訪れた後に知った情報だったので、ガクリとしました。


石段右から


一部、土地を掘り起こした状態で残されています。


石段左から


この中に、戦国時代に焼かれた地層と、石段が見られます。


後ろの2段になっている石垣ですが、戦国時代にはさらにこの上に高さ20メートルぐらいの城壁があっただろうと書かれていました。

下の一部分だけが残っているとの事でした。


説明


焼かれた跡探したんですが、正直よくわかりませんでした。

石段


先に進むと、石の山がありました。



石の山


発掘調査中に出てきたどうでもいい石を積んだだけらしいのですが、こんなにたくさん出てくるもんなんでしょうか。

どこかに使われていた石じゃないのか?



岐阜城の旗



金華山ロープウェイは、新しく取替え中でお休みでした。

交換は19年ぶりだそうです。

最近戦国ブームですから、儲かっているんでしょうね。

^^


天下布武



滝がありました。




山之内一豊とちよの碑がありました。

二人はここで挙式したそうです。

ちよは、郡上八幡城で生まれたそうです。

岐阜より数十キロ北にある、綺麗な城です。

^^


いろいろなゆかりがある公園です。
Posted at 2011/03/15 10:00:29 | コメント(2) | トラックバック(0) | 織田信長 | 旅行/地域
2011年03月14日 イイね!

信長の館跡 金華山

金華山周辺の散歩をしました。

麓に板垣退助の銅像があります。

板垣退助が暴漢に刺されて重傷をおったのは、ここ岐阜市でした。
『板垣死すとも自由は死せず』との名言はここで生まれました。
まあ、明治時代あまり良く知らないんですけどね。



織田信長の館跡があります。
とても保存状態がいいそうですよ。

信長の館門 (入り口です)

このすぐ横に信長の銅像があるらしいのですが、見落としました。
不覚です。



地図


去年、大垣市にある『曾根城跡公園』へ行った時、城跡の石垣が地中にありました。

そこは、美濃三人衆・稲葉一徹の城跡なんですが、そこの看板に、ここよりももっと凄いのが『信長の舘跡』と書かれていたので、興味を持って今回やってきました。




そう言えば、美濃三人衆は、四人衆とも呼ばれていて、不破光治が四人目になるそうですね。

ちょうど彼の城跡を探しに行った後だったので、驚きました。




稲葉一徹といえば、こんな言葉を残しているそうですね。

『我年老いたり、たとい敵に死せずとも、それよく久しからんや。我死なば必ず勝つべし、と言いて、陣を整えて待てり。徳川勢すなわち引きのけり』






住居のすぐ右には、長良川。

真後ろには、金華山。

左にも山が続きます。

敵が来たら排水の陣という感じもしますが、城まで登ったら大丈夫だったのでしょうか。





家の周りは巨石に囲まれていたんですね。

この時代の人たちは、巨石好きですね。
Posted at 2011/03/14 13:26:07 | コメント(1) | トラックバック(0) | 織田信長 | 旅行/地域
2011年03月13日 イイね!

金華山周辺 

『岐阜市立歴史博物館付近』


よくここのバーミヤンで、外国の友人たちと食事しました。

彼らは、今、アメリカやイギリスに住んでいます。
今回のこの地震のニュースをどう見ているのでしょうか?



歴史博物館前

このアパートに住んでいたイギリスの親友は、元気にしているのでしょうか?
懐かしく思いました。
年末に会ったばかりですが。




岐阜市立歴史博物館

巨大な割には、中身うすいです。
あれ、これだけ?という感じがしました。
多分、バブル前の好景気の時に建てたんでしょうね。
今はもう、やめてもらいていですが。





岐阜大仏殿

住宅地の真ん中にポコッと大きな建物があります。
日本三大仏の岐阜大仏があります。




早く余震が収まるように、大仏様にお願いしたいです。
Posted at 2011/03/14 11:17:51 | コメント(1) | トラックバック(0) | 織田信長 | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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