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すた☆君のブログ一覧

2011年04月24日 イイね!

ハーレムあっしー君

妻が同窓会に出席するというので、妻の友人達を拾って会場のホテルまで送り迎えしました。
女性5名に男は私一人の往復2時間のドライブ。
女が5人も集まると、凄く賑わしいですね。
^^;
因みに女性は皆既婚者です。
(笑)
僕は料理をしているので、結構ウケがよく、

『料理を作る男は、主婦にモテル』

ということが改めて認識できました。

さあ君も今日から料理を作ろう!!
Posted at 2011/04/30 05:15:41 | コメント(5) | トラックバック(0) | 日記
2011年04月22日 イイね!

賤ヶ岳

賤ヶ岳古戦場にやってきました。
(順番がめちゃくちゃになってしまいましたが。^^:)

山崎の戦いで明智光秀を破った羽柴秀吉と、筆頭家老の柴田勝家が、織田信長の後継者争いで戦った場所です。
この戦で勝利した秀吉は、後に家康と小牧・長久手で戦い負け続けでしたが、うまく難局を乗り越えて同盟する事ができ、天下人となりました。


小谷城の少し西にあります

『江』のブームもあり、ここもたくさんの観光客が来ておりました。
ちょうど観光バスが来ており、山頂には100人ぐらいおりました。
その半分は、じいちゃんばあちゃんでした。
励ましあいながら登っている姿に泣けました。
(笑)

駐車場から20メートルぐらい上に上ったところにリフトがあります。
その道の途中に、賤ヶ岳七本槍の旗がなびいていました。

加藤孫六の旗


賤ヶ岳の戦いで活躍した武将たちは、賤ヶ岳七本槍と呼ばれています。
脇坂安治、平野長泰、糟屋武則、片桐且元、加藤嘉明、加藤清正、福島正則。
七本槍、本当は9人らしいですね。
一人は戦死して、もう一人もすぐ死んだとか。
江戸時代に入って物語を作るとき、7人の方がゴロがいいから7人、七本槍にしたとか言われています。

脇坂安治と片桐且元の生誕地が長浜にあるので、近いうちにそちらも探して行ってみたいと思います。



チケット売り場


チケット売り場の横に山小屋のような売店がありました。
興味ありましたが、薄暗かったので入りにくかったです。
テレフォンカードを求めていた男性がおりました。
オタクだなーと思いました(私もオタクですが。)。
(爆)



ロープウェイはかなりの急勾配でした。スキー場で言うと、超上級コースでしょうか。
結構地面スレスレで、途中、熊笹が足に引っかかりそうになってあせりました。
(汗)


ロープウェイを下りてもすぐ山頂というわけではなく、そこから更に300メートルほど登ります。
途中、お墓がたくさんありました。
なんでも、山のアチコチにあった合戦で死んだ人たちのお墓をここに一気に集めてあるそうです。
(ー人ー)




道は結構急で、なんとか山頂にたどり着きました。
景色はなかなか綺麗でした。
北に余呉湖、南に琵琶湖、西に奥琵琶湖が見えます。湖に囲まれて景色もよく、別にココが歴史的に有名な古戦場跡じゃなくても来る価値あります。


名も無い兵士の像がありました。
合戦の後、きっとこんな風に兵士達はくたびれていたんでしょうね。



余呉湖


柴田勝家は、『写真の右上の奥辺り』に陣取っていました。
しばらく秀吉とにらみ合いをしておりましたが、秀吉が岐阜(岐阜城)へと引き返していったので(降伏中の織田信孝が挙兵した為)、勝家の家臣の佐久間盛政が『写真・湖の上辺り』から湖左回りで写真右側の山へと移動し、中川清秀の砦を落としました。
砦を守っていた兵士は、全員戦死。
勝家は、あまり深追いはするなと忠告したが、盛政はこれを無視。
この時、秀吉は氾濫していた揖斐川を渡って岐阜城へ行くことが出来ず、大垣城にいた。
盛政の動き『佐久間隊、急襲』を知った秀吉は、急遽賤ヶ岳へと引き返す事にした。
街道に炊き出しや灯りなどを準備させておき、52キロの道のりを数時間で、一気にかけもどった。
これを、『美濃返し』という。山崎の戦い(本能寺の変のすぐ後、飛んで帰って明智光秀を倒した)の時に見せた『中国オウム返し』を再びやってのけた。
意表を疲れた盛政隊は、突然舞い戻ってきた秀吉軍を見て、混乱に陥る。
両軍入り乱れての大混戦となり、後方にいた柴田勝家も北ノ庄城(現在は福井城)へと戻る事となり、城に火をつけて、お市と共に自害。
『江』の三姉妹は、秀吉軍へ投降。
羽柴軍7万余人、柴田軍3万余人。
福井への道の途中には、たくさんの柴田軍の屍がつらなったとか。。。
前田利家はどちらの味方にもなりたくなかったので、最初は勝家の後についていったが、途中脱退したらしい。
壮絶な戦いでした。


今回はあまり時間が無かったので、賤ヶ岳山頂の展望台しかいけなかったので、今度は写真右側の山にある砦跡や中川清秀のお墓へ行ってみたいと思います。

展望台からの綺麗な景色を見ていたら、本当にこんなに綺麗な所で壮絶な死闘が繰り広げられたのかと、思ったりもしました。
Posted at 2011/04/22 10:39:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | 柴田勝家 | 旅行/地域
2011年04月21日 イイね!

歴史ドラマ50作館・大谷吉継の首塚(米原)・増田長盛の屋敷跡

今回もいろんな史跡に行きました。
晴れてたらロードスターで行こうかなと思っていましたが、天気予報が雨だったのでしかたなくラフェスタで行きました。
出発した直後に凄い雨が。
天気予報は当たります。
(笑)

まずは、滋賀県米原市にある、『大谷吉継の首塚』へ行ってきました。
関ケ原町にある彼のお墓は有名ですが、こちらにもあるそうです。
どちらが本物かは知りませんが、関ヶ原町民としては、関ヶ原に埋まってて欲しいものです。
(笑)


米原駅の少し西に神社があって、そこのすぐ北にあります。
あまりにも殺風景なので、こんだけ?と、ガクリときました。


大谷吉継の首塚

こちらのエピソードはこうです。
湯浅五助に介錯させて、その首を甥が敦賀まで運ぼうとしたが、何か訳あってココに埋めたということらしいです。
敦賀に行くにしては、ちょっと道がおかしいが・・・。
ここに行くにはおそらく中山道を通って。
西軍ならば隠れて逃げるはずなので、石田三成や小西行長・宇喜多秀家みたく、普通は伊吹山や池田山など山中を通って逃げるはず。
そう考えると、こんな見つかりやすそうな、東軍がたくさんたむろっている様な場所にやってくる自体が、ちょっと不自然。米原は交通の要所。北が敦賀、南に彦根。東が関ヶ原で、西は琵琶湖。
見つかったら殺されるかもしれないのにと考えると、正直、チョットおかしいと思う。

P.S.米原市教育委員会様。
掘って確認して下さい。
DNA鑑定も忘れずにね。
(笑)


大谷吉継の首塚を発った後、米原駅に実験用新幹線の研究所があって、外からいろんな新幹線を見られるらしいのでそちらに行こうとしたが、雨が激しくなってきたので予定を変更して、長浜へと向かうことにした。

長浜は、『江』の博覧会で大変盛り上がっている。
駐車場に行くと、平日の昼下がりだというのに、大勢の団体の高齢者たちが。。。
ホント、ブームって凄い。
(汗)

『江』の博覧会会場は3箇所あり、先日そのひとつへ行ったばかりで、今度は長浜の方へ行きました。

増田長盛の屋敷跡


ポータブルナビゲーションでここを探していると、突然5つぐらいの小さな子供に、『何しているんですか?』と尋ねられました。
(笑)
簡単に説明してそれをみせると、『自分の位置がわかるやつ。』と言って、去っていきました。
いっしょにいた祖母らしき女性が『すいません。』と、笑っておりました。
(^^;)

長浜城の城下町にある彼の屋敷跡です。石碑の後には、飲み屋みたいなお店がありました。
(あんまり覚えていません)


増田長盛:秀吉の家臣で、五奉行の一人。キリスト教宣教師が日本侵略の手先だと秀吉に伝え、弾圧の片棒を担ぐ。

たいして魅力も無く、なんか嫌なやつですね。
(笑)




歴史ドラマ50作館

こちらも凄い人でした。
中身は正直、いまいちでした。まぁ、入場料300円なので、こんなもんなのかなと。
(笑)
『江』のドラマ館とあまり変わらないなと思いました。
歴史ドラマ50作品が集まった博物館ならば、『国捕り物語』などあるのかと思えば、簡単な説明がチョロリとあるだけ。
『天地人』で使われた小道具がまだちょっとよかったかな。
石田三成の懐剣とか。
目標入場者 〇十万人とか書かれていました。
ぼろ儲けですね。でも、お金も大切ですが、中身ももっと充実させてね。
(笑)

展示物を見ていると、真横でたわむれているじいちゃんが二人いて、足を踏まれました。
サイアク(ーー;)

出口に、『大河ドラマに出てくる人物の月間ランキング』というのをやっておりました。
投票してくださいと書いてあったので、

大谷吉継 に一票入れてきました。
(爆)


ちなみに一位は江、二位が織田信長、三位が篤姫、四位以下は、豊臣秀吉、浅井長政、坂本龍馬、伊達政宗、武田信玄、徳川家康 とかだったと思います。

僕の前にいたおじさんは、『誰やらわからんわー。』といいながら、ランキングに書かれている名前を見ながら書いていました。
きっとこの人はこんな感じで選挙でも名前を書いて投票しているんだろうなあと思いました。


歴史オタクの人には物足りないかもしれませんが、興味があったら行ってみては?
(笑)

それにしても、ここも本当に凄い人だかりでした。
こりゃあ、土日はとんでもないんだろうなー。

Posted at 2011/04/21 09:48:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旅行/地域
2011年04月20日 イイね!

ばりかたラーメン

本多忠勝の史跡めぐりをした後(まだお墓とお城の写真は載せていませんが^^;)、『マイカル桑名』へ昼食を食べに行きました。

桑名は大垣から南に30分ぐらいの場所なんですが、ここのレストラン街はカラ店舗などなく、全部埋まっていて驚きました。
大垣はここ数年でたくさんのショッピングセンターができて、どこもかしこもレストランが半分ぐらいなくなっています。人口が同じなのにこんなにたくさん造ってどうするんだと、皆言っております。
桑名は海と山に挟まれた狭い地域で、マイカル桑名は回りにショッピングセンターが無いので、強いんだなと思いました。

それはさておき、ラーメン街へと行きました。
そういえば最近ラーメンのナルトあまり見ませんね。


今回初めて知ったのですが、ラーメンの硬さはいろいろできるそうですね。
はりがねが一番硬いそうで、二番目のばりかたというのを注文してみました。
名前が名前だけにどんなんかと恐ろしかったのですが、これならいけると安心しました。
(笑)

ばりかたラーメン


九州のラーメンというのは、麺だけ追加できるらしいですね。昔はお代わりはもう一杯注文していたように思います。漫画などで、ラーメンの器がたくさん積まれたシーンとかあったような。
安くついていいですね。
ここのお店も出来るようでした。
^^



レストランの近くに映画館がありました。
でっかいドラえもんの看板がありました。
つい最近偶然にもこの漫画を図書館で借りてみたところだったので、今映画でやっているんだと驚きました。
やっぱ日本はアニメですね。
(笑)


たまにはラーメンもいいですね。
^^
Posted at 2011/04/20 09:38:58 | コメント(2) | トラックバック(0) | グルメ/料理
2011年04月19日 イイね!

江 ドラマ館

しずが岳へ行こうと思い、近江を北上していると、途中でなにやら凄くにぎやかな場所がありました。
大型の観光バスが続々と入っており、物々しい交通整備。
これはいったい何事かと、目を凝らしてよく見てみると、なんと、『江』の博覧会をやっているではありませんか。
これは行かねば!と思いましたが、今回の目的地はしずが岳。
(せっかくたっぷり勉強してきたし。笑)
ということで、しずが岳に行った後に訪れることにしました。

ゆったりと昼過ぎに出発したので、しずが岳に着いた時は2時半ごろ。
引き返して『江』の博覧会へと行きました。
4時ごろだったかな。
途中小谷城跡の駐車場の前を通りましたが、こちらも大変な事になっておりました。
これは本当に平日かと思いました。
土日だと大変なことでしょうね。
TVの影響ですね。
ブームって凄いなぁと思いました。
全然興味の無い人もなんとなくみんなやってきます。
(笑)
ちょうど通り道で発見できたので、すごくラッキーでした。






看板


入場料は500円。


時間が無いので、さっさと入ることにしました。

浅井・江のドラマ館


『江』で使われた衣装や道具がたくさん展示されていました。
『江』ファンにはたまらないですね。

①オープニングで上野樹里(江)が着ていた着物
②豊川えつじが織田信長役で着ていたくさりかたびら
③宮沢りえ(茶々)が来ていた着物・道具
④水沢あさみ(初)が着ていた・・同上
⑤参加者全員のサイン
⑥小谷城跡で撮影した時の短編ドキュメント映画上映会
⑦ガラス細工で出来た姉川合戦場のジオラマ
⑧『江』の名前をつけたとき、紙に習字で『近江』と書いて赤い筆で『江』に〇を書いた紙
などなど

平日の夕方にもかかわらず続々とやってくるバスツアー団体の・・・、じいちゃんばあちゃんたち。
そして、普通の資料館には絶対にいない物凄い数のスタッフたち。
『さわらないで』を連呼していました。
(^^;)
ゆっくりと見て周っていたので(おたくなので)、どんどんと追い抜かれていきました。
(笑)

偶然の発見した博物館。
ホントにラッキーでした。
なかなか面白かったです。
^^

浅井ファミリーの銅像



小谷城跡、早めにいっといてよかった。
あんなところ(細道)で渋滞に巻き込まれたら、たまらん。
(笑)

さぁ~、次はどこに行こうかな。
江の流れで言うと、清州城か小牧・長久手城あたりかな?

でもやっぱ近くからがいいな。
(笑)
Posted at 2011/04/19 00:14:28 | コメント(3) | トラックバック(0) | 浅井三姉妹 | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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