• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

すた☆君のブログ一覧

2012年09月08日 イイね!

南宗寺③ 『古田織部の庭園』 徳島帰省日記 8月17日

家康のお墓の次に、


古田織部がイメージした庭 に、案内されました。


教えてもらったときには、大変感動致しました。

なんせ私は、毎週、NHKのTVアニメ 『へうげもの』 を見ておりまして、その主人公が古田織部なので。

まさか、ここのお寺に、あの、古田織部の庭があるなんて、全く想像もしていなかったので。


その庭は、本堂の前にありました。



本堂の廊下



庭は、古田織部がイメージして、造らせたそうです。


お堂の窓


この庭は、どうにでも想像できるそうです。




枯山水 横から全体



激しい流れの川 




と見ることもできるし、




手前から



おだやかな流れの川




と見ることもできる。



左側 




・・・ああ、これがへうげた男の造った庭かぁ・・・。



右側




・・・風情があって、面白いなぁ・・・。



枯山水 アップ 



そう思いながら、奇跡的に!? 現代まで残っている古田織部の世界に身を浸し、

ゆったりとした時間の流れを楽しんでおりました。

^^
Posted at 2012/09/08 14:32:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | 堺の戦国史跡 | 旅行/地域
2012年09月07日 イイね!

8月17日 南宗寺② 『後藤又兵衛に殺された徳川家康の墓 』 徳島帰省日記

まず初めに、このタイトルを読んで、

そら違うだろっ!!

\(゜□\)


と、ツッコミを入れたくなった人は、たくさんいると思います。

しかしここは、頭を空っぽにして、素直に読んで下さい。。。

(爆)





はい、ではしょっぱなからいきます。

これが、徳川家康のお墓です。




謎の徳川家康の墓 正面

横から見ると、こんな感じ。

左端にあるのは、三好一族のお墓ですが、これは後で 『 堺幕府 』 と銘うって、一緒にまとめて紹介したいと思いますので、ここでは省略させていただきます。



謎の徳川家康の墓 横から


なんでも、大坂の陣で後藤又兵衛が駕籠をやりでついたら、手応えがあった。

槍を引き抜いたら、血がついていた。


それに加えて、秀忠や家光の訪問、お堂の下から出てきた謎の墓石、江戸時代末期に置かれた石版に刻まれた文章 『無名の塔 家康さん諾す 観自在  』  などの推測から、

あれは家康だ。

だから、この卵形の石は家康のお墓だ ということになったそうです。

さらに、日光東照宮に祭ってある家康が使用したといわれている駕籠の天井に、槍で突いた様な穴がある。

あれは、あの時に後藤又兵衛が突いた槍の後だ! 

となって、家康の墓 となったそうです。



・・・私もこうやって資料を引っ張り返して、復習しながら文章を書いていて、何が何だか訳が分からなくなっているのですが、まあそこは大人の愛嬌という事で、さらっと流してやってください。


やはり当然のごとく、ここにやってきて、いろんな理由をいって否定をする人たちもいるようですが


・・・まあ、あくまでも想像上のお話。


軽いノリで行きましょう。

(爆)



東照宮跡 



こちらには、もっと立派な徳川家康のお墓がありました。

こちらは、慰霊碑みたいですよ。



綺麗な徳川家康の墓 手前



ふむふむ、確かに 徳川家康 墓  と、書かれていますねぇ~。

これだけ堂々としていると、とても痛快だ。

^^
 
家康の墓アップ


墓の裏には、松下幸之助の名前が。。。



墓の裏 松下幸之助

この理由は松下幸之助が若かりし頃、道端で開発した商品(二又ソケット)を売っていたけど、全然売れなくて、そのときにお金を貸して助けてくれた人が、水戸黄門の三木啓次郎で、そのつながりでこのお寺の人とつながって、このお墓のお金を出した・・・ みたいなことを聞きました。


という訳で、興味のある人は、南宗寺へ 、 GO!


(爆)
Posted at 2012/09/08 13:13:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | 堺の戦国史跡 | 旅行/地域
2012年09月06日 イイね!

8月17日  南宗寺 ①千利休一門とその師匠の慰霊碑、坐雲亭

南宗寺は見所がたくさんあるので、いくつかに分けて説明していきたいと思います。



堺は結構な都会で、住宅密集地の中にポツンとある広大なお寺 という感じでした。

・・・まあ、後で行く仁徳天皇陵は桁外れでしたけど。

(爆)





説明板を読んでいると、なにやら有名な人物の名前が続々と見受けられますぞ。。。

たくあん和尚、千利休、三好長慶・・・。

 

これは凄い、思わず、よだれが出そうである。

(笑)





ここには、大坂の陣で後藤又兵衛に殺されたという謎の徳川家康のお墓があり、ほとんどそれが目的でやってきました。

しかし、このお寺は、三好長慶が亡くなった父を弔う為に造った寺で、三好一族のお墓もあるので、自分にとってはいろんな意味で、大変興味深いところでもありました。



受付で入場料を払うと、虫除けスプレーを貸してくれました。

随分親切なところですね。

ふり終わると、ボランティアガイドのおばちゃんが、『さあ、いきましょうか。』と、僕一人を連れて、案内を始めてくれた。

特に予約などはしていなかったのだが、随分サービスいいところだなあと驚いた。

僕も一人旅で時間はたっぷりあったので、一杯説明してもらって、とても面白かった。






坐雲亭 建物





説明




この建物に書かれていた文章から、徳川家康のお墓がここにあるという伝説が生まれたらしい。

理由は、秀忠と家光が二回もやってきたかららしい。

そのお墓の話は、またあとで。

(笑)




千利休とその一門の慰霊碑。


千利休 石碑 



骨はここには埋まってないらしく、京都の大徳寺にあるんだとか・・・。


・・・って、大徳寺は今年の正月にてつおさんといったよなぁ。

千利休のお墓、あったっけ??

細川ガラシャ夫婦の墓があったのは覚えているけど。。。

確か大徳寺って、かの有名な問題の山門のまわりをぐるりと柵でかこんでいたけど、その中にあったんかな?

大徳寺ブログ
https://minkara.carview.co.jp/userid/572723/blog/25556228/


千利休の死は有名なので、ここでは省略させて頂きます。





千利休とその一門の慰霊碑 



千利休は、堺で生活をしていたので、ここに祭られているんですねぇ。。。




たけのじょうおうの慰霊碑 



この方は、千利休の師匠です。


利休一門のお墓のすぐ隣にありました。


仲良し という印象を受けました。




下の写真。。。

墓の形がおもしろいでしょう? とガイドさんがおっしゃっておりました。

そういわれてみれば、味がありますねぇ。。。

^^

・・・って俺は、お墓評論家かっ!?

(爆)





中国の僧侶 



・・・えーっと、こちらの方は、・・・ああ、覚えてねえやぁ。

せっかく写真を撮ってとガイドブックまで広げて下さったのに。。。

まあ、この方の慰霊碑らしいです。

洒落た人 だということは、覚えています。
^^;





続く♪
Posted at 2012/09/07 11:50:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | 堺の戦国史跡 | 日記
2012年09月05日 イイね!

8月16日夜~17日朝  『 海と空の綺麗な風景 』 徳島帰省日記より

N君とお別れした後、なにげに足が勝瑞城址へと向かっていました。

去年同様、三好一族のお墓参りをして、自宅に帰りました。



去年行ったので、詳しくはこちらを。
https://minkara.carview.co.jp/userid/572723/blog/24399929/

弟が作ってくれると言っていたゲルググが完成していました。

さすが、なかなかの出来栄えですね。

^^
ゲルググ


この日初めて、自宅で晩御飯を食べました。

懐かしい母の手料理を食べ、ゆったりと一日を過ごしました。

車にたくさんのお土産と荷物と、そしてたくさんの思い出を詰め込み、母から渡された弁当を持って、徳島を出発しました。




鳴門海峡を渡り・・・




淡路島を越え・・・




海を見ながら、ちょっと休憩。






明石海峡を渡り・・・





神戸のビルの間を通り・・・





大阪湾の上を走り・・・





4時間ほどかけて、無事、大阪府堺市へ到着。

最初に向かったのは、南宗寺 です。

ここには、徳川家康の墓、三好一族の墓などがあります。

ではでは、お待たせしました。

堺の史跡巡り編 いよいよ始ります♪
2012年09月04日 イイね!

『松永城跡 ~松永久秀生誕地』 8月16日後編 徳島帰省日記

川島城を出たあと、市場町へと向かった。

とりあえず、昼食休憩。

懐かしい味がした。

素うどん


店を出て目指すは、松永久秀生誕地の松永城跡。

去年のお盆に見つけられなかった所を、再度アタックだ。


『松永城』  別名 『犬墓城』 とも呼ばれている。

場所は、徳島県阿波市(阿波郡)市場町犬墓大北


地図で言うと、だいたいこの辺だ。
地図 

黄色い道との分岐点を、細道の直進方向へと進む。

右に大きくふくらむカーブの先っちょに、松永城跡の石碑がある。

地図上の青いポッチンの分岐点

山際に沿って進むと、右手に リカーショップ マツナガ があり、そのすぐ左斜め前になる。

松永城跡石碑 南側 

行く直前にたいちょ~にメールを送ると、丁寧に教えてくれたので、よく分かった。

あまりにもすんなり発見できたので、拍子抜けしたほどだった。



松永城跡石碑 全体


松永久秀は、『へうげもの』でも 『織田信奈の野望』でも、とにかく、よく出てくる有名な戦国武将だ。

主君を殺し、将軍を殺し、奈良の東大寺の大仏殿を焼き、裏切りを繰り返し、最後は『平蜘蛛の茶釜』を持って、天守閣もろとも爆死した。

織田信長が『平蜘蛛の茶釜』を持って降伏したら命は助けてやると言ったが、おまえに渡すぐらいならば一緒に死んでやると、城もろとも木っ端微塵に。

信長はあまりにもの悔しさに、怒り狂ったとか何とか・・・。

当然、一緒に爆死に巻き込まれた家臣たちもたまらないだろう。

当時の茶器と言うのは、戦争の交渉などにも使われ、小牧長久手の戦いでは、秀吉が家康に送ったりもした。

高価なものなら、国が一つ買えるほどだとか・・・。


とにかく松永久秀という人物は、なんともムチャクチャな男である。

そのあまりもムチャクチャで豪快な生き方が、今回私をココまで連れてきた・・・、

・・・って、可児才蔵の時と同じやな。

(爆)





また、もっとも悪い戦国武将3人の内の1人としてよく代表される。

あとの二人は・・・、宇喜多直家、斎藤道三・・・、いやいや、真田昌幸だったかな。

興味のある人は調べてね♪



石碑アップ 





1560年 11月
松永久秀により、三好氏の大和支配が始った。

1565年 5月
松永久秀と三好三人衆は謀議して、将軍義輝を暗殺した。

1566年 6月
篠原長房、足利義栄を擁して、兵庫に上陸。

11月
松永久秀と三好三人衆の関係悪化により、河内・大和が戦場となった。

1567年 10月
奈良で三好三人衆と松永久秀が戦い、大仏殿が炎上した。

1568年 9月
将軍足利義昭を推して入京し畿内を制圧した織田信長に、松永久秀は降る。
(三好三人衆は阿波へ逃亡。)

1569年 4月
篠原長房、宣教師ルイス・フロイスの上洛を斡旋。

1570年 9月
三好三人衆、石山本願寺と同盟して、織田信長と対立する。

1571年 5月
篠原長房、讃岐から挙兵し、備前児島へ出陣する。

6月
三好三人衆は、摂津・河内で、織田信長と戦う。

1573年 3月
松永久秀は、三好三人衆、将軍足利義昭と同盟し、織田信長に叛く。

5月
篠原長房、阿波の上桜城で細川藤孝と戦い、この世を去る。

この間、ちょうそかべもとちかの阿波侵攻が進み・・・、

1577年 5月
阿波三好一族 滅亡

10月
松永久秀は息子と共に織田信長を寝返り、信貴山城にこもって、平蜘蛛の茶釜と共に天守閣もろとも爆死し、この世を去った。






松永城跡石碑北側


この地域には、松永さんという家が非常にたくさんある。

数十件あるとかなんとか。

恐らくみんな、松永一族の子孫達であろう。





城山を少し離れて、遠くから全体を見ようと思った。



松永城跡 離れて見る 


南に傾斜のある山の裾のあたりであろうか。

北には讃岐山脈、2~3キロ南には吉野川があるので、いつでも敵の侵入が見渡せる という意味では、当然南向きの城ということになるのであろう。


ここで、今回の旅は終了となった。



終始同行してくれたN君、そしていろいろと教えてくれた たいちょ~には、心からお礼を井伊隊(爆)言いたいです。

ありがとうございました。

次回を楽しみにしております。

またいろいろ教えて下さいね。

^^





次回、いよいよ、堺編へ突入。

故郷・徳島を離れて、本州へ上陸、大阪府堺市へと向かったすた。

ここではいったい、どんな史跡が待ち構えているのかっ!?

こうご期待あれ。

(笑)
Posted at 2012/09/04 14:59:07 | コメント(2) | トラックバック(0) | 松永久秀 | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2012/9 >>

       1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 272829
30      

ブログカテゴリー

リンク・クリップ

霧の中の決戦地 
カテゴリ:関ヶ原合戦の史跡
2010/12/24 11:25:35
 
関ヶ原町の史跡 『十九女池・六部地蔵・七つ井戸・与市の墓』 
カテゴリ:岐阜県の史跡(関ヶ原合戦以外)
2010/12/20 12:40:04
 
関ヶ原町 『常盤御前の墓・鶯の滝』 
カテゴリ:岐阜県の史跡(関ヶ原合戦以外)
2010/12/20 12:36:11
 

愛車一覧

トヨタ ノア ハイブリッド トヨタ ノア ハイブリッド
ノアハイブリッド
マツダ ロードスター マツダ ロードスター
2代目の戦国ロードスターです。 出陣時は関ケ原バージョンになります。
日産 ラフェスタ 日産 ラフェスタ
中古で買って、5年間乗りました。 4WDです。 買って半年後に底から大きな「ブーン」と ...
マツダ ロードスター すた号 (マツダ ロードスター)
マイナス2℃で、オーポン走行しました。 冬でも幌をあけるオーポン漢を目指しています。
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation