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すた☆君のブログ一覧

2013年04月30日 イイね!

簡単5分間ガイドを考えました。

昨日、せきがはらの史跡ガイドの方と会いました。

多分この人、一番のツワモノです。

ガイド横で聞いて、いろいろ助言などくれたので、それを参考に、笹尾山展望台からの簡単5分間ガイドというものを考えてみました(受験勉強しないといけないのですが^^;)。

人が退屈しない限界の時間が5分ぐらいと思うんで。

≪大まかな時間配分≫
①地形の説明       2:30
②大谷吉継の物語    2:00
③大一大万大吉の意味 0:30




ポイントは、わかりやすさと想像しやすさ、いつ話を聞き始めても、よくイメージできる だと思います。




ざざっとしゃべり調子で書き綴ります。

まずは、時間の都合上、①のみ。


左の大きな山、あれを南宮山といいます。その山の左の方に、赤と白の鉄塔があるのはわかるでしょうか?あそこは桃配り山といいまして、家康が最初に陣をしいたところです。

最初、西軍が勝ってて東軍は負けていました。

そこで家康はあせって、桃配り山から中央の陣場野へ2時間かけてゆっくりと陣を移動させました。

真正面、住宅地の真ん中に、松ノ木が生えている林のようなところがあります。
あそこが陣場野です。
有名な『勝って兜の緒をめよ』という言葉がありますが、それは合戦の終了時、あそこで家康によって生まれました。

(ここまで 0:30)


次に、左下の方の田んぼの中に、決戦地の石碑とのぼり旗があります。
あの道にそって、当時南北に二重の馬防柵がありました。この下にあるのと同じ柵です。
そこが、この石田隊の最前線でした。
なので、家康は、この西軍の目の前まで移動してきて、勝負をかけてきたという訳です。

次に、右の手前の濃い三角の山。
あれは天満山といいまして、西軍の主力部隊約3万人がいました。
山の左に、うすいグリーンの細長い土地が見えますが、あそこが開戦地。
そして、この手前の濃い三角の山のすぐ左後ろの一番高い辺り、ピンク色に色がかかっている所に、小早川秀秋が1万5000人でおりました。
この天満山の裏側に大谷よしぐつがおりまして、小早川秀秋はあの山の向こう側を右斜め下方向にむかって、一気に山をかけおりていきました。

そして、あそこから、西軍はどんどん負けて、石田三成はこの山の後ろ、伊吹山という大きな山がありまして、その中を突き進み、琵琶湖の畔の三成のお母さんの実家を頼って逃げていったといわれています。

ちなみに三成の生誕地はここから約10キロ西の町の名前にもなっています石田町というところで、この辺の地理に詳しかったんですね。

(ここまで 1:40)

最後、島津の敵中突破という言葉が有名ですが、手前の濃い三角の山の麓の左側に島津隊が約1000人でおりまして、彼らは最後まで戦わなかった。

最後彼らは、『敵に背を見せて逃げるのは武士の恥』といい、家康の本陣めがけて1000人が弾丸のように突入して行き東軍の兵たちは驚いて道を開けたそうです。

そして、あの家康のいた場所をぐぐーっと右に曲がって、あの二つの大きな山の谷間へ駆け込んでいきました。
でも家康は『生かしてここから返す訳にはいかない』と、島津の命令を出し、徳川四天王の、本多忠勝、井伊直政らが追撃しました。

その時島津は『捨てがまり』という戦法を採り・・・最後尾の兵士達が死ぬまで足止めして殿を守るという戦法で、約900人の島津兵が亡くなりましたが、島津義弘は無事、故郷の薩摩まで帰ることができました。

しかし、その時に生き残った人数は、たったの数十人だったそうです。。。

義弘の陣羽織を着て『自分が義弘だ』と突入して亡くなった武将のお墓があの山の裏にあります。

この道はうとう坂といいまして、今でも関ヶ原町民の重要な抜け道として使われ車が走っています。

こうして、関ヶ原合戦はたったの半日で終了しました。



(ここまで 3:20)





うーん、予想より1分近く長くなった。

もうちょっとどこかを切らないと。。。



関ヶ原合戦時、ここは家が300軒あって村民は900人もいたけど、家康の命令で焼け野原にされた も、最初に入れたいんだけどなあ。。。




今日はここまで。

さ、試験勉強に戻ろう。

(爆)
Posted at 2013/04/30 07:31:00 | コメント(2) | トラックバック(0) | 旅行/地域
2013年04月29日 イイね!

甲冑武者ボランティア 連休2日目  〇

甲冑武者ボランティア 連休2日目  〇今日も朝から夕方まで笹尾山展望台にいました。

物凄い数の人たちと出会いましたが、中でも特に印象深かった出来事を、ショートストーリーでつづります。










≪あにき≫

他、サラリーマン金太郎のようなイケメンで気さくないい兄貴みたいな男性が井伊のロードスターの事をがははっと笑ってくれて一緒に写真を撮ったり、











≪怖いけどいいおじさん≫

見た目はやくざみたいで怖かったけど、、岐阜城の近くらしく、むこうの武将隊をよくしっていて
『仕事違うんだから、休憩しながらボチボチやったらいいで。お茶もしっかり飲んで、水分しっかりとってな、休み休みいけな。』
と助言してくれた親切なおじさんがいたりしました。








≪あとは私に任せてください≫
また、終了1時間ぐらい前に物凄い詳しい人が来られて、写真の本を買ったと見せてくれました。

こういう連休にずっと1日いると、数百人に1人ぐらいの割合で、こういう方と出会います。

すると話がはずんではずんで、延々と1時間ぐらいしゃべっていました。

僕が山を降りるとき、『あとは私に任せてください』と言っていたので、他の観光客の皆さんをお願いして、下山しました。




よく知っている人っていうのは結構いるんですが、話がとびとびなんで、会話が続きません。

でも、本当によく知っている人は、話がどんどん生き物みたいに流れていき、関ヶ原をこえて、あちこちにいろいろなつながりをもって会話が展開していきます。







今日も面白かった。

またこんな人と会いたいな。

^^
Posted at 2013/04/29 19:10:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | 甲冑武者ボランティア | 旅行/地域
2013年04月29日 イイね!

中日新聞にまた載りました。^^; GW初日の甲冑ボランティア 〇

今日はお天気もよく、1000人ぐらいのお客さんが笹尾山の展望台にやってきました。

展望台では、午前中は私1人でやってて、午後から1人仲間が来ました。

解説しすぎて咽がカラカラになりました。


中でも特に印象深かったのは、東京から来られたご夫婦で、二人とも凄く関ヶ原合戦や戦国時代が詳しく、旦那さんの方に

『(きみ、関ヶ原合戦)詳しいね。話していると楽しいよ。』 と言われて、とても嬉しくなりました。

僕はいつも相手に合わせて話の深さを調節しているのですが、この二人と話しているときは、『小早川秀秋が陣取った松尾山』の話から、『豊臣秀頼を招く予定だった』事を話し、『淀君が嫌がったから来なかったんだろう』となり 『淀君は過保護だから』というところまで展開しました。

なんでもちょっと軽く言っただけで、さらっと返してくれるので、

『ああ、この二人は僕と同じなんだなあ』

と思いました。

旦那さんが東軍好きで、嫁さんが西軍好きでした。





次に印象深かったのが、『外国人にうけたいから』と、展望台の入口の地べたに倒れて、槍でつき刺してください。フェイスブックに載せるから』といっていた女性。

面白い人だなあと思い、槍でつきさすだけだったら展開が分からないから、四こま漫画みたいにいきましょうと提案し、構えてたたかって突き刺すところまでの写真を撮ってもらいました。

外国人って、どこの国なんだろう。






子供甲冑を着て再び展望台にやってきたお母さんと息子さんも印象的でした。

お昼に戻るとき、さらに会いました。

縁があったのでしょうか。




井伊の旗差しについて質問してきた女性もいました。

下に停めてあるロードスターに旗をさしていたのでそのことかなあと尋ね、

『あれは僕の車なんですよ』というと、『ええー!?』と、うけました。

^^;





首袋を棒にくくって下山している時に、下から若い女性が3人登ってきました。

『首が入っているんや』と言っていたので、『お茶が入っているんですよ。水分取らないと脱水症状おこすんで』というと、ばかうけしました。

^^;




最後に下山して、もどってロードスターのトランクを開けて、甲冑をぬいでしまおうとしているときに、横の方から『お侍さんがおる』『お侍さん、今日は仕事おわりなんや。』と声がしたので見てみると、小さな子供たちをつれたお父さん達がこちらを眺めておりました。

『すいません。^^;』というと、『いえいえ」と返事をくれ、小さな子供2人が『ばいばい』と手を振ってくれたので、僕も『ばいばい』と手を振り返すと、一緒にいたお父さん2人も笑顔で会釈してくれました。






他にもいろんな人たちとしゃべり、説明し、一緒に写真をとりました。

本当に出会いの多い、濃厚な一日でした。


明日も楽しみです。

^^


毎回毎回、祭りのたびに、上手く写真のわくの中にきれいに入っているなあと、われながら感心してしまいます。
メディア運が強いのでしょうか。
^^;
Posted at 2013/04/29 00:55:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | 甲冑武者ボランティア | 旅行/地域
2013年04月27日 イイね!

東首塚供養祭 ~葵武将隊と武者行列しました。〇

早朝5時に起床、2時間ほど試験勉強をして、準備をして、甲冑武者ボランティアへいきました。


今日は甲冑武者ボランティアは、元関ヶ原東西足軽隊筆頭の甲斐の六郎さんを始め、合計6人、全員足軽装備で供養祭に参加致しました。

葵武将隊が来てくれるので、引き立て役になる為です(多分)。



首塚


足軽装備に着替えて、東首塚へ移動。

・・・手前の支えの凄い大木って、あったっけなぁ・・・??

根っこの周りのワクも、新品だったし。





供養堂中



私たち甲冑武者ボランティア6人の前に、岡崎城の葵武将隊が2名座りました。

グレート家康公と、背中に刀を担いだ忍者みたいな人(ごめん、わからん)。

椅子はしょうぎでした。

股を大きく開いて背筋をピーンと伸ばして座ると、姿勢がよくなったような気になります。

^^


関ヶ原関係のお偉いさんを始めとして、黒い喪服の人たちがご焼香。

次に、前に座っていた葵武将隊の二人がご焼香。

続いて、僕らもご焼香。



供養堂の奥にぼんやりと見えるご位牌を見ながら合唱すると、辺りの音が聞こえなくなり、


『 ・・・ ああ、413年前に、ここで大きな戦があったんだなあ・・・』


と、一瞬、時が止まったような感じがしました。


最後に、関ヶ原町民を代表して、武者丸くんがご焼香し、一般の人たちの順番になりました。





ご焼香を終えた後、葵武将隊の後ろについて、ふれあいセンターまで武者行列。

その前に、葵武将隊と甲冑武者ボランティアのみなさんでと、集合写真を。

すると私たちの前に、カメラマンがワラワラと。。。


パシャパシャパシャ・・・・



・・・実は、自分も写真を誰かに撮って欲しかったりして。。。

(笑)

撮られる側なんで、自分の写真がなかなか撮れない現実。

^^;


でも、あとから知人が写真をあげるよと言ってくれて、嬉しくなりました。

^^






グレート家康公の『平和に感謝して・・・』とのお言葉を聞いて、みんなで雄叫びを上げ、行列は歩き始めました。

道路は武者行列のために封鎖していました。


行列の前に回りこんで写真を撮る、武将隊のファンの女性達。

あの写真達は、どこに載せられるんだろう。。。




ふれセン到着後、祭りの開会式があるので、みんなでぞろぞろふれセンの中へ移動。


足軽たちは大ホールの入口の扉の左右に立ってお客様をお迎えし、式典の最中も扉の付近で対応・待機。




6人みんな、それぞれの持ち場で頑張っていましたよ。

^^




大筒


私は午後から仕事があったんで、昼に帰りました。

歩いていると、ドーン、ドーンと、大筒の爆音が聞こえてきました。




のほほんとした、なかなか楽しい一日でした。



明日からはいよいよ、笹尾山の展望台でのガイドがスタートです。

今年はどんな出会いがあるでしょうか??

楽しみです。

^^
Posted at 2013/04/27 22:26:44 | コメント(1) | トラックバック(0) | 甲冑武者ボランティア | 旅行/地域
2013年04月26日 イイね!

モーニング作りました。

モーニング作りました。お店に出せそうっすか?

^^
Posted at 2013/04/27 23:58:36 | コメント(0) | トラックバック(0) | 料理 | グルメ/料理

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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