• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

すた☆君のブログ一覧

2014年01月17日 イイね!

第四回 戦国史跡ツーリング 案

2月の某日、 ≪第四回 戦国史跡ツーリング≫ を実施しようと思います。

今回は、大河ドラマ「軍師 官兵衛」 が始まった ということで、今回のテーマは、

≪黒田官兵衛ゆかりの地と垂井と関ヶ原の戦国史跡≫ にしようと思います。

プランは、以下の通りです。




まだ計画段階なんで、行き先は以下の通りにするつもりですが、それらを巡る順番は道の都合上、大きく変わる場合もあります。

そのままではありません。

なお、大変申し訳ないのですが、シャコタンの方は、神社の入り口などに段差があるかもしれませんので、車高をこすらない高さにする などして何らかの対応をお願い致します。span>





2月某日、 関ヶ原町 笹尾山(石田三成陣跡・旧北小学校の横)駐車場 10時集合


≪垂井町≫

①吉川広家陣跡

②ちょうそかべもりちかが関ヶ原合戦で破損した鉄塔のある寺(南宮大社の少し北)

③平尾御坊 (信長の長島一向一揆攻めで脱出した子供が開いた寺)

④南宮大社 
(駐車場の入り口に段差があります・しゃこたんの方はご注意ください)




≪関ヶ原町≫

①桃配り山

②丸山(黒田・竹中陣跡) 
*ただし駐車場が狭いので、参加者が多い場合は行きません。

③笹尾山 山頂から 風景を見ながら、関ヶ原合戦全体をガイド



ランチ

店長がほら貝を吹く歴史カフェ 「ココカフェ」



≪長浜市≫
長浜城



時間があれば、国友・鉄砲の里(姉川古戦場の近く) なども面白いかもしれない。





≪須賀谷・すがや温泉≫
お市・浅井長政が通った温泉・小谷城の麓にある。



温泉は、希望者だけで。







解散。





とりあえず、過去に参加してくださったみなさま全員に、お誘いのメッセージを送らさせていただきます。

もちろんそれ以外の、参加希望者の方々、連絡お待ちしております。

なお、集合と出発・移動の都合などありますので、当日私と携帯で連絡がつながる方のみとさせていただきます(私はスマホを持っておりません)。



雨天の場合は中止ですが、もし希望者あれば、昼からスタートで、ココカフェで食事会して、長浜城行って、温泉浸かって解散 を考えています。。

もちろん、雪の場合は中止です。

中止の場合は、早急に連絡させていただきます。



以上
Posted at 2014/01/17 02:57:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | 戦国史跡ツーリング | 旅行/地域
2014年01月15日 イイね!

福島旅行記  第二話  ≪会津若松 鶴ヶ城・後編、なかじまのソースカツ丼、神指城址のハト  ≫

前回までの続き 鶴ヶ城の天守で鉄砲を撃ちました。


こわっぱを狙うすた








天守から山のほうを見ると、高さが数十メートルはある、やたら長い一本のポールが、ポーンと立っていました。

『・・・あれ、なんだろう?』

・・・ と思っていると、

なんと、このポールの後ろの山肌が、白虎隊の自刃の地(すぐ隣にお墓があります )だそうです。




ポール アップ

天守からすぐわかるようになっています。

ここまでやるのかと、正直驚きました。










武者走り・上から







1階に下りて、5000円分ぐらいの大量のお土産を購入しました。
(ほとんどお菓子)

映画のCMで散々見てきた、会津若松っつん、ぜんぜん置いてないので、『あれぇ?』 と思いました。


会津若松っつん2









凍ったお堀



アイススケートできそうですね。
^^







昼食は、人気のソースカツ丼屋へ案内して下さいました。


なかじま


店内には、有名人のサインがたくさんありました。

食べているときふと入り口を見ると、行列ができていたのには驚きました。

いいタイミングで入れたなあと思いました。





ソースカツどん


とてもいい肉を使った、高級カツ丼だなあと思いました。

美味しかったです。

^^






満腹になったところで、次の目的地、神指城(こうざしじょう)へ。

ここから、気分を高める為、この音楽をお聞き下さい。^^


天地人オープニング




ここで、簡単に神指城の説明を。

鶴ヶ城が手狭になったので、上杉景勝の側近の直江兼継は、近くに新しい城を造ろうと計画しました。

大きさは鶴ヶ城の二倍、これが神指城です。

物凄い人数を動員して、築城を開始しましたが、その数ヵ月後に築城を停止してしまいました。

なぜならば、徳川家康が上杉家を滅ぼそうとやってくるのが分かったので、もっと江戸よりの南に別の城を造って、家康を迎え撃とうとしたからです。


長い間故郷を離れて、久しぶりに帰省した上杉景勝は、傷んでいる城の修理や壊れた橋のかけかえなどを行いました。

しかし家康はこれを 「勝手に城の修復を始めた。」 「上杉に謀反の疑いあり。」と 無茶苦茶ないいがかりをつけました。


ここで調子に乗った家康は上杉に、「江戸に来い」と上杉に命令しましたが、

直江兼継は、正当なる言い訳を持って、くそっかすに家康の事を批判する手紙を書いて、家康に送りました。

これを 「直江状(なおえじょう)」といいます。

直江状を読んで、腹立たしさのあまりに怒り狂った家康は、

「謀反の疑いのある上杉を征伐しにいきます!!」と、

(秀吉亡き後の豊臣家の実質的な支配者)淀君に 「上杉を倒しに行くからお金をください」とお願いしました。

すると 淀君は家康にお金を渡してしまい、家康はこれを利用して 、

「私は、豊臣家からお金をもらった、豊臣家に支援してもらっている!! 私はこれから、豊臣家のために上杉家を倒しに行くぞー!!」

と、戦をするための大義名分としました。


こうして、兵を集めて北上を開始しました。

この直後、家康のはるか後方、近江で蟄居していた石田三成が挙兵して、

それを知った家康は江戸へと引き返し、

天下を二分する大いくさ、関ヶ原合戦へとつながっていきます。。。





この一連の家康の動きは、挙兵しそうな三成を誘い出す為に、上杉を利用した というところでしょうか。

家康は、徳川幕府を開く為に、自分と敵対する三成を中心とする勢力 ( 後の西軍 )を、一掃しようと考えました。



















神指城への長い長い一本道を走っていると、前方になぜか、ハトくんがいました。


たくさんのカラス君の中になぜか一羽のハトくんが。。。


ハト君は、サファリが進むほう進むほうへと逃げていきました。

心優しいおっとぉんさんは、ハトを踏むまいと、窓から乗り出して一生懸命にハトを追い払っていました。

しかしなぜかハト君は、サファリが進むほう進むほうへと逃げていきました。

・・・何回繰り返した事でしょうか。。。


この時、私の頭の中に勇ましく流れていた 「天地人」のオープニング曲は、この曲へと変わっていきました。。。






はとぽっぽ はとぽっぽ 豆がほしいか そらやるぞ みんなで仲良く 食べに来い






はとがからすとつるんでいやがった。


(*言葉はすたのイメージです。)




また前にはとがいる




カラスか?





はとよぅ






のどかな日中でした。

^^;
Posted at 2014/01/15 00:52:17 | コメント(3) | トラックバック(0) | 福島旅行記 | 旅行/地域
2014年01月09日 イイね!

年末年始 9連休

年末年始 9連休2013年

12月28日  新幹線と特急でいわきへゆき、 駅前のホテルで宿泊初日目

29日 おっとぉのサファリさんご家族と、会津若松へ
鶴ヶ城、なかじまのソースカツ丼、神指城跡、白虎隊自刃の地と記念館、いわきの居酒屋、みなさんとお別れ 宿泊二日目

30日 昼にいわきを発ち、夜7時に岐阜の自宅着

31日 午前0時に起床、6時出発、車で和歌山へ 午前10時に到着、友人たちと再会。
夕方船で和歌山港~徳島港へ、実家に帰省。


2014年
1月1日 午後から徳島城の天守址へ初登頂、アグネスホテルのケーキを買って帰る。

1月2日 午後からN君と2人でテニス2時間、帰りにEさんと再会、お茶して帰り、「影武者徳川家康」を5時間見て寝る。

1月3日 友人Mと香川へ。 日本最大級の蝋人形館・平家物語歴史館、人気のかすが町市場で讃岐うどん、津田の松原、井筒屋敷址、引田城址(対岸から)

1月4日 実家を離れ、午後から友人WK君とフェリー乗り場の近くでランチ、お別れしてすぐフェリーにのり、再び和歌山へ上陸、夜中に岐阜の自宅へ到着。

1月5日 第三回戦国史跡ツーリング実施、帰ったら爆睡。

1月6日 仕事初日 激務で疲労、帰ったら爆睡。

1月7日 仕事二日目、昨日よりも更に激務で難しい仕事だったが、なんとか乗り切り、「明日は楽になる」と安心しながら帰宅、爆睡。

1月8日 仕事三日目、後輩の残した爆弾(一ヶ月間で3回連続私にメガヒット)のお蔭で更に激務が続くが、なんとか乗り切り、国家試験の合格通知をもらってウキウキしながら帰宅。


・・・激しい年末年始でした。

すいません、年賀状まだ返事書けていません。

明日必ず書いて出します。
Posted at 2014/01/09 00:04:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2014年01月08日 イイね!

福島旅行記  第一話  ≪いわき~会津若松 鶴ヶ城・前編≫

年末、おっとぉのサファリさんに会うべく、福島へといってきました。

町のプラットフォームは真っ白でした。

武将たちが寒そうにしていました。^^


関ヶ原駅




新幹線で名古屋⇒東京で山手線で上野までゆき、ここから特急です。






スーパーひたち19号

下りは奇数、上りは偶数らしいですね。

帰りは38号で偶数でしたよ。




約6時間後、目的地に到着。

東京から北へ行たのは、初めてでした。

片道約600キロです。



いわき駅


スコーンと晴れた天気が、徳島に似ていました。
^^





裸のお出迎え

いわきは、「スーパー・リゾート・ハワイアン」が人気です。






ホテルでチェックインし、駅前を散策。







ここで、手袋とか耳あてとか買いました。

^^

Latov










翌朝、おっとぉのサファリさんご家族が、サファリでホテルの前まで迎えに来てくれました。


助手席に乗せていただき、会津若松まで高速道路を走って送り迎えしてくださいました。

片道 約120キロもあります。





磐梯山


山奥に進むにつれ、真っ白に。





約2時間後、会津若松に到着しました。






真っ白できれいなお城でした。

鶴ヶ城






ちなみに、岐阜の映画館では、去年一年間、いつもこの動画が放送されていました。

わかまっつん


鶴ヶ城の土産物屋でわかまっつんを探したのですがまったく見当たらず。

代わりに、起き上がりこぼしの携帯ホルダーを買いました。









家紋



おっとぉさんと家紋を見ていると、ガイドさんがやってきて、案内してくれる事になりました。

歴史に興味あるように見えたのでしょうか。

^^






鶴ヶ城看板






武者走り

刀を左に差しているので、石垣に当たらないように、写真の矢印のように、左から上って、右から降りるようにルールが決まっているそうです。










ハートの石垣



ちょー元気




鶴ヶ城



雪で黒い瓦が真っ白になっていました。




ツララの城





真っ青な空、昇って来る太陽の光、真っ白な天守。。。







私、いまだかつてこんなに綺麗なお城を見た事はありません。











鶴ヶ城の天守の鯱は、銀色なんですよ。










天守閣に入りました。







刀を抜こうとするすた




殿様気分のすた


腕には、大一大万大吉と井伊のリストバンド。


胸にも井伊の家紋がっ!!

関ヶ原ムンムンのこわっぱが、ここにいます。

(笑)





鉄砲を狙うすた









鉄砲を撃つすた







楽しかったです。



鶴ヶ城、まだまだ続きます♪
Posted at 2014/01/08 22:26:42 | コメント(2) | トラックバック(0) | 福島旅行記 | 旅行/地域
2014年01月08日 イイね!

第三回 戦国史跡ツーリング 『関ヶ原・島津の敵中突破を行く』 

第三回 戦国史跡ツーリング 『関ヶ原・島津の敵中突破を行く』 先日、第三回戦国史跡ツーリングを開催いたしました。

車6台、合計7名での実施となりました。

こんなに多くの皆様が集まって下さるとは思ってなかったので(2人かなと思っていた)、とてもありがたく思います。

ざっくりですが、振り返ってみたいと思います。





『午前の部』

≪垂井町の戦国史跡ツーリング≫

今回は、多くの皆様が昼からの参加という事でしたので、朝は2台で垂井町の戦国史跡ツーリングをいたしました。

集合:竹中陣屋跡 駐車場



①岩手弾正に関するお墓

詳細は、数日前のページに書いてあるので、飛ばします。






②願しょう寺(がんしょうじ)・平尾御坊(ひらおごぼう)
ここは、織田信長が長島一向一揆(お寺の周りを2重に取り囲み火を放って、2万人を焼き殺した)を攻めた時、奇跡的に脱出した子供が開いたお寺です。

塀に5本の線が入っているところが見所です。

山門、本堂、鐘突き堂、どれも江戸時代に建てられたものでした。

スケールも大きくて、大変見ごたえがありました。






③大谷吉継の陣鐘(大垣市・赤坂)

これも、過去に何度も載せてきたので、簡単に。

大谷吉継が関ヶ原合戦で使っていた鐘です。

鐘のたたき方を変えることによって、兵を自在に操っていたと考えられます。

家康が戦利品として持ち帰り、岡山かどこかのお寺にいって、それが何かの縁で、このお寺にやってきた という訳です。










④垂井城跡


平塚為ひろ の 垂井城跡です。



関ヶ原合戦で、石田三成が大谷吉継を仲間に入れようとしたとき、二人の橋渡しをした人物です。

合戦当日は、大谷吉継のすぐ近くに陣取って、一緒に小早川と戦いました。

最後、もうだめだというときに、大谷吉継に、敵の首にメッセージをくくって、送りました。

そのときの辞世の句  

「名のために 捨てる命はおしからじ 遂に終わらぬ 浮世と思えば」

が、石碑に刻まれていました。

訳すると、名誉のために死ぬのならば、この命は惜しくは無い。

いつかは終わる、この人生なのだから。

という意味です。


これに対して大谷吉継も、彼に対して 

 「三途の河原で待っていてくれ 」

という 辞世の句を送り、二人ともこの合戦で命を落としました。











このあと関ヶ原に戻って、昨年10月にオープンしたばかりの、

ほら貝(料理が届く直前に、店長がほら貝を吹いてくれる)の鳴る歴史カフェ ココカフェ へ行き、合戦カレーを食べました。

つのは戦国武将をイメージしています(おそらく三成)。


カレー

お米は、「関ヶ原のお米」を使用しています。

しかし、一概に「関ヶ原のお米」といっても、場所にも寄りけりですが、ここのお米は、関ヶ原でも特に美味しいと地元の人に言われている地域のお米を使用しているこだわりのお米です。

隠し味の味噌は、徳川家康生誕地の愛知県岡崎市の名産物、八丁味噌を使用しています。

まさに、関ヶ原合戦を表現したカレーという訳です。




決戦地と笹尾山の見える窓際のカウンター席で食べていると、

窓の向こうに

とある参加者の方の車が現れ、

車から挨拶してくれました。

(笑)



店を出て、3台で集合場所の笹尾山へ向かいました。




「午後の部」

人数が集まったところで、6台(7名)で、ツーリングスタートしました。

≪関ヶ原・島津の敵中突破のルートを行く≫

笹尾山集合⇒東首塚⇒歴史民族資料館(中には入らない)の武将の写真を説明⇒陣場野・徳川家康最後の陣跡・首実験場⇒決戦地⇒笹尾山



決戦地でガイドをしている私とすた号

jet74744さん、私の写真を頂きました。^^;
かっこよく撮って下さり、ありがとうございました。
大変気に入っております・・・というか、穂先がスピアッ!?
(爆)



笹尾山展望台 ⇒ 大谷吉継のお墓・陣跡の入り口 ⇒ 島津義弘の陣跡


笹尾山展望台では、私お手製の地図を広げて説明しました。

みんなに説明していると、一般の観光客の方も数人こちらに興味深そうに近寄ってきたので、「今から説明するので一緒にどうぞ」と声をかけて、みんないっぺんに説明しました。

終わったら拍手してくれたので、嬉しかったです。

^^@





島津義弘陣跡・駐車場にて


ここから、上石津町へ。


烏頭坂(うとうざか) 島津が捨てがまり をしたところです。

捨てがまり というのは、最後尾の兵士が死ぬまで敵を足止めする という作戦です。

ちなみに、かまりとは、兵士を意味し、捨てるかまり つまり、兵士を捨てる という意味になります。

徳川四天王の猛将・井伊直政と、徳川家康の四男・松平忠吉が彼らを追いかけました。

その追撃やすさまじく、島津義弘のおいっこの豊久は、自分も最後尾に立って戦い、これがもとで命を失いました。



このあと、彼のお墓を目指し、さらに南下しました。

10キロぐらい南に移動します。



阿多長寿院の墓 

島津義弘の陣羽織を着て、「自分が義弘だー!!」と叫びながら敵の中に飛びこんで戦死した人のお墓へ行きました。

自分には、間違っても、できません。




10キロぐらい南に走って到着、島津豊久のお墓と菩提寺。

上石津町の南の山間部はまだまだ寒いらしく、日陰に雪の塊が少々残っていました。







jet74744さん、またまた私の写真をいただきました。
自分では撮れないので珍しくて。く(^^;)
それにしても私相変わらず、くそ寒い中オーポンしてますねぇ。
(爆)





ここから、再び 烏頭坂へ行って、島津塚へ。


その後、関ヶ原に帰って、 ほら貝のなる歴史カフェ「ココカフェ」へ。


今度は、ティータイムで、ミルクティとケーキを注文。




真田ップルパイ

これは、信州のりんごを使用しているので、真田 のアップルパイだそうです。

ちなみに、旗は 石田三成の 思想・考え方で、 

だいいちだいまんだいきち

と読みます。

その意味は

ひとりがみんなのために みんながひとりのために考えれば、

この世の中はきっとよくなる

という意味です。



1時間ほどお茶して、解散しました。




遠方からこられたみなさん、時間に都合をつけて来て下さったみなさん、関ヶ原まで足を運んでくださって、ありがとうございました。

またすぐに次回 ≪第四回 戦国史跡ツーリング≫ を企画しますので、

興味あらば、ぜひご参加ください。

^^
Posted at 2014/01/08 17:48:30 | コメント(3) | トラックバック(0) | 戦国史跡ツーリング | 旅行/地域

プロフィール

「[整備] #ロードスター パナソニック カオス アイドリングストップ専用 N-80、ターミナルアダプター https://minkara.carview.co.jp/userid/572723/car/2397340/8414803/note.aspx
何シテル?   10/29 04:58
旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2014/1 >>

    1 2 34
567 8 91011
121314 1516 1718
1920212223 24 25
262728 29 30 31 

ブログカテゴリー

リンク・クリップ

霧の中の決戦地 
カテゴリ:関ヶ原合戦の史跡
2010/12/24 11:25:35
 
関ヶ原町の史跡 『十九女池・六部地蔵・七つ井戸・与市の墓』 
カテゴリ:岐阜県の史跡(関ヶ原合戦以外)
2010/12/20 12:40:04
 
関ヶ原町 『常盤御前の墓・鶯の滝』 
カテゴリ:岐阜県の史跡(関ヶ原合戦以外)
2010/12/20 12:36:11
 

愛車一覧

トヨタ ノア ハイブリッド トヨタ ノア ハイブリッド
ノアハイブリッド
マツダ ロードスター マツダ ロードスター
2代目の戦国ロードスターです。 出陣時は関ケ原バージョンになります。
日産 ラフェスタ 日産 ラフェスタ
中古で買って、5年間乗りました。 4WDです。 買って半年後に底から大きな「ブーン」と ...
マツダ ロードスター すた号 (マツダ ロードスター)
マイナス2℃で、オーポン走行しました。 冬でも幌をあけるオーポン漢を目指しています。
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation