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すた☆君のブログ一覧

2020年08月16日 イイね!

観音寺経塚(耳塚)と謎の多羅城 ~上石津 戦国史跡巡り③~

明智光秀の生誕地である多羅城は、五つの候補地があって、その一つが上石津郷土資料館の南西の山際にあります。

そこに、兵士の耳を埋めた経塚があるので、行ってみました。



経塚まで車で行けるルートを探すと、南側から道が伸びていました。

地元の地図とグーグルマップを駆使し、順調に進みましたが、入り口には物々しい柵が。

入口

開けたら閉めろという形。

パンフレットが置いてあったので、入っていいとは思うけど、私有地っぽいので車で入っていいのか悩み、車は断念。

電気柵に囲まれた20~30メートルの細道をロドでひたすらバック(最悪)。

路肩に停車して、再びゲートへ。

とりあえず、少し入って写真をとって、やめました。

クマに襲われるニュース、よく聞くんで、車でないと恐ろしくて近づけません。

山城 看板

この向こうに、明智光秀が生まれた 多羅城の5つの候補地の1つがあったんですね。



経塚は、この山の右上辺りになります。

兵士の耳を埋めるのは、京都の豊国神社前の耳塚と同じだなと思いました。

なぜ耳かというと、首を持ち運ぶのは大変だから。

つまり、それほど多くの兵士が死んだ大きな戦があったという証拠。

なんの戦なんだろう。

謎が深まります。


手前までしか行けませんでしたが、興味深い史跡でした。



経塚:県の史跡。観音寺が所有している。戦死者の耳を埋め、法華経を納め、経塚としている。
2020年08月15日 イイね!

明智光秀家臣の息子が関ケ原合戦の落ち武者に殺されていました。~上石津町 戦国史跡巡り②~

明智光秀の家臣 川添和泉守菅原直利は、光秀から(信長に仕えてた頃)

「自分の運命は見えたから、お前は何としても命を全うせよ」

と言われ、伊勢の野尻村(三重県いなべ市)へ移り住みました。

関ケ原合戦の際、直利の長男直定は、きょうだいの嫁ぎ先の 上石津上村(関ケ原から南へ15キロ)
 へ 見回りへ行きました。

しかし、そこで関ケ原合戦の落ち武者と出会い、討死してしまいました。


直利は光秀と別れる時、光秀から脇差を賜り、それは親戚へと受け継がれているというお話です。
(上村に古くから伝わる文書より)

直定の子は近くの寺の住職になっているので、上石津には明智光秀の家臣の子孫が今も生きていると十分考えられますね。

矢印の山向こうが上村
2020年08月12日 イイね!

ペルセウス流星群

皆さん、見られましたか?

10日の夜に、花火をしていた妻の友人が偶然2つも続けて見て、大変興奮していたそうです。

それを聞くまで、つい先日、藤橋城のプラネタリウムで教えてもらったのを忘れていました。

10時ごろ庭に出ましたが、見える方角の東北には雲がかかってて、15分ほどで諦めて部屋へ戻ってしまいました。

ピークが夕べだったから、まだしばらくは見られるかもしれませんね。

また今夜、挑戦してみようと思います。

藤橋城

Posted at 2020/08/13 04:20:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | 宇宙 | 趣味
2020年08月11日 イイね!

関ケ原合戦を堪能できる カフェ ミライ

カフェ好きの友人が「関ケ原のカフェミライ」へ行きたいと誘ってくれたので、一緒に行ってきた。

噂には聞いていたが、とにかく広かった。

ただ、東から入る道がとても細いんで、西側の21号の点滅信号から行った方がいい。

駐車場からのアプローチ

駐車場は、客席数に対してこれでもかというぐらいに広かった。

一人一台以上はゆうにあり、あまりにも広かったので、ここに止めてもいいのか?と勘違いをしたほどだった。

アプローチの階段もすごい。

しばらく進むとカフェの建物が見えてくる。

カフェ入口

店内はおしゃれで広く、隣のテーブルとは随分離れているので、ほかの客とのコロナ感染は全く問題ないと思った。

広い店内

広い窓からは広大な庭が見える。

野球やサッカーが余裕でできるぐらいに広かった。




この庭は驚く事に、カフェしかない。

美術館や老舗旅館の庭園なら分かるが、カフェしかない。

この無駄な広さはなんなんだろうと疑問に思う。

チーズケーキとドリンク

メニューは正直、小さくて高い。

あくまでも、時間と空間を楽しむためのカフェと思った。

場所代半分という所だろうか。

広い庭を見ながら

がっつり食べたい人には向いていない。

おしゃれな空間、カフェ自体を楽しむ人にお勧めだ。

友人とほどよくしゃべり、結構時間がたったので、店を出て庭の散歩をした。

窓の外は右方向にも広範囲に広がっている。

よく分からない石のオブジェがあった。

古代の時計だろうか。

石のオブジェ

左を見ると、関ケ原合戦の西軍の陣形が一望できる。



左に宇喜多秀家、前に開戦地と小西行長、右に島津義弘。
右斜め後ろに石田三成、左斜め向こうが大谷吉継、ずっと左が小早川秀秋の陣地になる。

カフェ内は、井伊直政が松平忠吉を連れて抜け駆けをして宇喜多秀家に攻撃して、福島正則が一番槍を取られて激怒して突っ込んでいったら、宇喜多の名将明石全登の槍衾にやられて、カツを入れて激突した場所辺りになるのだろうか。

はたまた、宇喜多の最前線で戦っていた少年時代の宮本武蔵があまりの恐ろしさに体が震えて逃げ回っていた場所だろうか。

もしかすると、可児才蔵が槍を振り回して、次々に敵の首を討ち取っていた場所なのかもしれない。

右を見ると、最後まで残った薩摩の島津隊が東軍数万の兵の中を残ったわずか数百騎でぶった切る様に突進していく姿が目に浮かんでくる。


戦国時代に殆ど興味がない友人らに挟まれ、一人420年前にタイムスリップしていた。


辺りを見渡せば、当時の怒涛の叫び声が聞こえてくるようだ。

福島正則 「敵に背を向けたら、俺が斬る!!」

(病気?)



おしゃれカフェなんで、私のように関ケ原合戦を楽しむ人はいないと思うけど、ここはまさに西軍最前線なんで、こういう楽しみ方もある。



友人が関ケ原を訪ねてきたら、ここを案内してあげたいです。
Posted at 2020/08/11 21:21:19 | コメント(1) | トラックバック(0) | カフェ | 旅行/地域
2020年08月10日 イイね!

秀吉の北勢攻めの本陣と黄金塚探し  ~上石津町 戦国史跡巡り①~ 

上石津郷土資料館で買った本(4冊)を読んでいると、

「秀吉が北勢攻めで七日七夜戦って血潮に染まった血原という場所がある」

「血原の戦いで死んだ武将のお墓(黄金塚)がある」

「織田信長が焼き討ちした大規模なお寺跡がある」

「そのお寺跡から戦国時代のおびただしい数のお墓が出てきた」


等が書かれていて、まだこんなに凄い戦国史跡があるのかと驚き、大変な興味が沸きました。

上石津の戦国史跡といえば、「島津の敵中突破」しか知りませんでしたので。

そこでもっと知りたいと思い、一か月半ぶりに資料館を訪れました。

資料館

展示物は撮影禁止だったんで、ひたすらノートにメモって約1時間半。

その間、3人のお客さんが近くを通り過ぎていきました。w

あまりにも一か所でじっといるので、館の人が声をかけてくれ、「黄金塚」の場所を教えてくれて、ラッキーでした。

コロナなので質問するのを遠慮していました。


資料館を出るときに、さっきの館の人が深々とお辞儀をしてくれました。

入場料たったの100円で堪能させてもらって、申し訳ないと思いました。

散策

「黄金塚」を探しましたが、結局見つかりませんでした。

上原の出張山=秀吉本陣の山城?

これが秀吉本陣の城山だと思うんですが、よく分からないので、もっと調べて、今度はローラー作戦でチャレンジしたいと思います。

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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