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すた☆君のブログ一覧

2020年10月11日 イイね!

「織部の里公園」「ファミリーロッジ旅籠屋」「虎渓山永保寺」

妻木城の次は、北に6キロ進んだ「織部の里公園」へ行きました。

ここにある、巨大な登り窯 を見る為ですが、織部という名前にも惹かれます。

なんせ私、古田織部が大好きなので。

アニメと漫画の「へうげもの」面白かった。

織部の里公園 ロド

矢印の緑の建物を入ると、登り窯の頂上部に着きます。

緑の建物 横から




ワクワクしながら中へ入ると、期待を裏切らない巨大さに驚きました。

下に伸びる巨大な登り窯

これは凄い。

来てよかった。



この木造の階段も凄い。

登り窯 下から

今は穴はふさがっていますが、従来は右側のあちこちに横穴があって、そこから焼き物を入れていたそうです。

同じ温度で焼く工夫などがあり、一度に同じ品質のものを大量に作れば安くできますんで、たくさんもうかります。

これは現代の工場と同じです。

電気もガスも機械もない時代に、人間は途方もない事を考えるんですね。

先人たちの知恵と工夫と情熱に、感動しました。


これで、この日の史跡巡りは終了です。

二日続けてロードスター車中泊は自信がなかったんで、今夜はホテルを予約しました。




大好きなTV番組「カンブリア宮殿」でやっていたので、興味がありました。



ホテルというより、アパートです。



夕食は、近くのコンビニで買いました。



お昼はあんパン一個だったんで、今度はゴージャスに、なるべく栄養のあるものを。

デザートはリッチにハーゲンダッツにチョコシューまで買ってみました。

といっても、全部で2000円ぐらいなんですけどね。

夜明け

今夜は広いベッドで快適快適と思っていましたが、ベッドが合わなかったせいか、5時間しか眠れませんでした。

ロードスターは7時間眠れたので、そちらがぐっすり眠れました。

ロードスター車中泊の2連泊、できると確信しました。

よし、今度やってみよう。
(爆)


「虎渓山永保寺」

P ロド

ここは、観光本で写真が美しかったので、寄ってみました。



想像以上に美しい庭だったので、極楽浄土に来たのかと思ってしまいました。



かなり大きなお寺で、どうしてこんな田舎にと思っていたら、時の権力者たちに人気があったそうですが、この辺の権力者と言えば、土岐氏ですよね。

はい、ここで繋がります。





1313年 この寺を開いた無想疎石は門下三千余名で、政治経済に強い影響力を持っており、室町時代最盛期には可児、土岐、養老、本巣、不破 等に広大な寺領を持っていました。

建造物

その創建の時に、土岐頼貞が深く関わっていたそうです。

土岐頼貞は足利尊氏の元で戦い、室町幕府初代美濃国守護となり、二百年以上続いた土岐氏の礎を築いた人物です。



ここにこんなに美しいお寺があるとは知りませんでした。

旅は、寄り道するから、面白いです。

これでもう、多治見には未練はありません、と言いたいところですが、ワタクシ的に岐阜県で一番おいしいと思われるケーキ屋さんの「シェ・シバタ」行きたかった。

絶品ケーキ屋さんを振り切って、最終目的地の可児市へと向かいました。

今回はあくまでも、「明智光秀の史跡巡り」ですので。


続く♪
Posted at 2020/10/10 05:57:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 古田織部 | 旅行/地域
2020年10月10日 イイね!

「明智光秀の妻・ひろこさん 生誕地」等 ~妻木町 明智光秀の史跡巡り~

ひろこさん生誕地の「妻木城士屋敷跡」へ向かう途中、アピールしている観光案内所を見つけたので、入ってみることにしました。

すると、ここが凄かった。

「妻木公民館 郷土資料室」



鉄砲玉で試し打ちされてあちこち窪んだ妻木家所用の甲冑があったり、たくさんの展示物があったりで、面白かったです。

妻木城までの道を教えてもらうと、登山道はとても険しく、車道は未舗装の細道が1キロ以上続いたり、がけ崩れがあったりで、あまりよろしくないとの事で、城は止めて麓の館跡だけにしようと思いました。

ただ、近くのゆかりの地も教えてくれたので、そちらへ行くことにしました。


八幡神社



1319年 土岐頼貞又は明智(土岐明智)氏初代の彦九郎頼重が創建し、1600年の関ケ原の戦いで7500石の旗本となった妻木家の寄進により、現在の規模になったそうです。

八幡神社入口

馬が走るので、広く長い道がどどーん と伸びていました。

じゃりじゃりして、歩くのが大変でした。

階段

階段、急できつかったです。



「光雲山崇禅寺」

ロド

こちらのお寺も、明智(土岐明智氏)初代である彦九郎頼重が、1354年に創建したそうです。

こちらの地域は、明智の祖は彦九郎さんですね。


説明板 

明智・妻木氏代々の位牌があるそうです。



黄色い塀が珍しかったです。

最後にお目当てのひろこさん生誕地 へ。

妻木城士屋敷跡

石垣がきれいに残っていました。


ちなみにひろこという名前は、小説(三浦綾子の細川ガラシャ夫人・1975年)から広まったもので、本当の名前は分かっていません。

細川家の「明智光秀公家譜覚書」には、於牧の方と書かれています。

先に訪れた明智町では於牧の方の墓所は、明智光秀の母でしたし、「麒麟がくる」では母として登場していますが、分かっていません。

最後、ひろこさんは坂本城で自害ともその前に病死ともありますが、その辺も分かっていません。

ですが、妻木一族であることは、確かなようです。

謎の多い女性です。


あと、妻木町も、明智光秀は妻木一族では? とか主張していました。

理由は「光秀の妻」「妹ツマキ」「伯父広忠」が妻木一族だから、明智光秀も妻木一族と考えられる との事でした。

戦国乱世、色んな一族が多くの政略結婚をした時代に、身内に妻木が多いから光秀も妻木というのは、いささか強引な気もします。


それにしても、みなさん、明智光秀はうちが出身だ というの、好きですね。
Posted at 2020/10/09 05:44:08 | コメント(0) | トラックバック(0) | 明智光秀 | 旅行/地域
2020年10月09日 イイね!

土岐氏発祥の地 「一日市場八幡神社」 

美濃源氏・土岐一族 によって「一日市場(ひといちば)館」という居館ができた場所で、土岐氏発祥の地 とされています。

瑞浪市

駐車場がよく分からず、引き返すのが大変だったので、写真のみ。

Posted at 2020/10/09 03:58:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | 土岐氏 | 旅行/地域
2020年10月08日 イイね!

明智町 「明智光秀公手植えの楓」「遠山家菩提寺に、明智光秀のおはか」「明智陣屋跡」

大正ロマン館のすぐ左側に「明智陣屋跡」の池がありました。

明智陣屋説明

1600年 関ケ原合戦で白鷹城を奪還した 遠山利景が、3年後にこの辺りの領主になったそうです。

陣屋跡の池



「遠山家菩提寺に、明智光秀公のおはか」

このお寺は、毎年「光秀まつり」が行われているそうです。

左 おはか

遠山家菩提寺 龍護寺 の 入って直ぐ右側に、明智光秀の供養塔がありました。



わざわざ赤字で 「おはか」って、よみがなふってある。

なに強調してるんやろ?  しかも、読み方違うし。

お墓にいつも斜めにひび割れが入るとの説明がありました。

説明

なるほど、確かに上の方に斜めにひび割れがありますね。

墓石

ところで、これ↓ 遠山家菩提寺の看板の家系図で、今回の一番大切なところになります。



明智光秀の家系図ですが、読み解いてみると、明智光秀の明智家の祖は 土岐頼兼 というところは、私が今までに(揖斐川町と上石津町の史料館で)調べたのと同じでした。

ですが、六代目頼秀→七代目頼弘 ここが違っていて、上石津町では、頼弘の妹と山岸光信が結婚して、その後は山岸家の家系で、

山岸光信→信連→信周→(明智)光秀となり、明智光綱の養子となって、光秀と名付けられた となっています。

赤字の同一人物 というところが、よく分かりません。


続いて、明智光秀が植えたという楓を探しに行きました。

八幡神社入口

巨大化した数本の杉の木が見ごたえありました。

八幡神社説明

手前の小さい木がそうですね。

明智光秀公手植えの楓

今回あちこち回って思ったのは、明智町は、遠山明智氏、すなわち、遠山さんの町だということです。

明智光秀の生誕地の井戸にしても、「ここに井戸があるから住居があった」との事で、それは連想ゲームにすぎません。

ゆかりの地が多い=生誕地 は違います。

毎年「光秀まつり」をしているそうですが、そうじゃなくって、遠山利景さん、関ケ原合戦で頑張って領地を奪還したんだから、「遠山まつり」をやってあげて下さいよ。


明智光秀の生誕地、なんか違うなあって思いました。

大正村 入口

これで、明智町の史跡巡りを終了とさせて頂きます。


ここまで読んで下さった皆様、ありがとうございました。

まだまだ続きますよ。
(爆)
Posted at 2020/10/08 11:19:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | 明智光秀 | 旅行/地域
2020年10月07日 イイね!

「麒麟がくる ぎふ恵那 大河ドラマ館」と「日本大正村」

大河ドラマ館のある「大正ロマン館」は、白鷹城(明智城)の麓にありました。

「大正村駐車場」~「大正ロマン館」の徒歩ルートは、なかなか風情があってよかったです。



偶然この路地を見つけた時は、「これはいい!!」 と思いました。

石畳

マンホール

町全体をひっくるめて、大正村 だそうです。


役場

まちのあちこちに、風情のある建物が残っていました。

彼岸花

会場の「大正ロマン館」の真横に陣旗が。

大河ドラマ館

「明智光秀 本陣」と書かれていますが、いったいなんの戦なんでしょうか?

陣旗

普通に考えると、「ここが明智光秀の生誕地(明智城)」だから、「斎藤義龍(高政)が攻めてきた時、ここに光秀が陣取った」 ぐらいしかありません。

明智光秀のゆかりの場所がたくさんあるから、恵那(白鷹城)→明智城 で生まれた。

だったら、光秀は城の西側(敵の前方)の丘に陣取った。→ だから ここが陣地

という感じでしょうか。

正直、全く理解できません。


まあとりあえず、大河ドラマ館へ。

すたと光秀

以下の写真は全て撮影OK なものです。




よく見る光秀の緑色の衣装ですね。



婚礼衣装①

こちらは、婚礼衣装ですね。



このタイプの地図、時々信長が広げてますよね。

地図

よく見ると 大柿城 って書いてある。

甲冑

これはカッコいいですね。


見参

OKBって、大垣共立銀行か!
(爆)


ロッカー

麒麟がプリントされた電車を発見。

電車

ランチは駅横のスーパーで買った 「明智光秀あんパン」!!



桔梗の形してるっちゃあ、してるね。

なにはともあれ、楽しかったです。
Posted at 2020/10/07 10:50:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 明智光秀 | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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