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すた☆君のブログ一覧

2021年03月31日 イイね!

ウルグアイ産厚切りビーフ ブロンコビリー

久しぶりに、ブロンコのディナーへ行きました。

ウルグアイ産の厚切りビーフも久しぶりです。

放牧牛で身が引き締まっていて、赤みが体にいいです。

御馳走でした。w

Posted at 2021/04/01 22:40:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | 外食 | グルメ/料理
2021年03月30日 イイね!

福井県の戦国史跡巡り②一乗谷「朝倉義景の屋敷跡」「足利義昭の御所跡」

前回の訂正「刀根坂の戦い」
✖金ヶ崎の戦いの浅井の撤退戦→〇(1573年)朝倉氏滅亡の決め手となった戦。
失礼致しました。


「一乗谷」

明智神社を出発して、一乗谷へと向かいました。

駐車場からまっすぐ行けばすぐ着くはずなのに、何をどう間違ったのか、随分遠回りをしてしまい、べた付け・幅寄せ・パッシングと三拍子そろった狂った軽バンのあおり運転も完全無視しながら、何とか無事に到着できました。

一乗谷に来たのは3回目で、10年ぶりぐらいになります。

久しぶりに来たけど、ここの史跡はやっぱりスケールがでかいです。



さっきのあおり運転のいやーな気持ちが、一気に吹き飛びました。w

地図

武家屋敷の再現街並みは前回入ったので、今回はいきませんでした。



まずは、朝倉屋敷跡を目指します。




朝倉氏はもともとは兵庫県の武士で、応仁の乱の後に一乗谷に居城を移したのが始まりです。



主家の越前守護の斯波氏や、守護代の甲斐氏との闘いを繰り返しました。



三代目が加賀一向一揆を撃退し、越前一国の安定を達成しました。



四代目は、近江・美濃へたびたび出兵。

正面

そして五代目 朝倉義景へと繋がります。

説明

足利義昭と宴を開いた館の中庭というのは、あの辺でしょうか。

館 中庭あと辺り

一番奥隅に、朝倉義景のお墓がありました。

墓所

朝倉義景のお墓はもう一か所ありますので、今回はそちらも訪れました。

そちらは、朝倉義景が自害したお寺の近くになります。

そのお寺も探しました。



朝倉氏は浅井氏と同盟しており、信長の越前進軍で浅井が寝返り、金ケ崎の戦いになって、信長の報復戦が始まりました。

近江比叡山の麓辺りで、浅井・朝倉が信長と戦になり、比叡山延暦寺が浅井・朝倉の味方となり、戦が硬直状態になりました。

何故、延暦寺は浅井・朝倉の味方をしたのか疑問でしたが、今回そのモヤモヤが解けました。



朝倉遺跡の入り口にある巨大な土塁、凄いですね。

続いて、足利義昭の御所跡へ。

御所跡 ←

駐車場が無かったんで、バックで坂道を下りました。
(笑)

御所跡 土台

土塁の外なんだと、少し笑えました。

内に入れないということは、あんまり信用していなかったのでしょうか。

ここに足利義昭は9か月住んでいました。

近くに佐々木小次郎の師匠の道場があり、すぐ前まで行きましたが、集落で駐車場が見当たらなく、一瞬停車して写真撮ろうとも思いましたが、地元の人がお仕事していて目が合いそうだったので、カメラは諦め、去りました。
(笑)

続いて、ここに来れば朝倉氏のすべてが分かるという、福井県立一条谷朝倉氏遺跡資料館へ。

資料館

入場料がたったの100円で、凄いなと感心しました。

写真撮影Okの一乗谷の模型がありました。

模型

山に挟まれた縦長の平地で、水が豊富で、川はごうごうと流れています。

広大な平地からはそんなに離れていません。

まさに天然の要塞で、よくぞここを見つけた と思いました。

模型

朝倉氏をもっと詳しく知りたいと思い、200ページ以上もある朝倉氏の年表を購入。(笑)

一乗谷を後にしました。

次は、大野市歴史博物館へ。

と、その前に、前方にスーパーを見つけたので、食料を買い出しする事にしました。

福井なのに愛媛のハマチ。(笑)

昼飯 刺身とか

やっぱり、旅行は楽しいですね。

続く。
Posted at 2021/03/28 16:04:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | 朝倉氏 | 旅行/地域
2021年03月29日 イイね!

福井県の戦国史跡巡り① 明智神社(明智光秀の屋敷跡)

早朝6時に出発、今回は高速道路を使いました。

「刀根坂の戦い(1573年)」があった刀根Pで休憩。

刀根P

朝倉氏を滅亡へと導いた戦です。
(3/28に訂正しました。)


こちらは「本能寺の変」の後、秀吉と柴田勝家が戦った「賤ヶ岳古戦場」のすぐ横。

賤ヶ岳SA

この辺は、戦国史跡てんこ盛りです。


朝早く、明智神社の駐車場に到着しました。

ドアを大きな音を立てて閉めない様、着いたらすぐにエンジンストップ、すぐ後ろに住宅ありますし、無料で提供して頂いているので、その辺の配慮は欠かせません。

駐車場

丁寧な地図がありました。



集落の中を歩きます。

水が奇麗でした。


集落

静かな田舎道で、歩いていて気持ちがいいです。



神社の入り口を見つけました。

左へ

可愛いハートの苔がありました。



「麒麟がくる」のエンディングで紹介していたのと同じ景色が見えました。

ななめ

境内へ上がりました。

正面

細川ガラシャ生誕の石碑がありました。

石碑

西教寺(明智一族・光秀の妻ひろ子の墓がある 近江坂本)が作ったんですね。

そういう事ね。。

石碑の裏側

5分ぐらいいると、おばあさんが近づいてきました。

どうやら、私が歩いていくのを見て、後から追いかけてきたそうです。



資料館の扉を開けて中の電気をつけて下さり、パンフレットを「ご近所さんの分も」と勧めて下さり、額縁に入った村の祭りの写真を指差し、「あれが私の旦那」と、何度も(4回も。笑)教えてくれました。
(笑)

おばあさんのセリフで「この辺りの歴史の土地は絶対になぶるなって言われてきた。」というのが印象的でした。

明智光秀は、地元の人に愛されているんだなと伝わりました。



1575年 越前は織田信長の一向一揆衆の一掃作戦により、全ての家が焼き払われ、数万人もの人間が虐殺されたそうですが、何故かこの村だけは見逃されたそうです。

そこで、この村は明智光秀が住んでいて親しくしていた場所なので、越前攻めを担当していた柴田勝家に明智光秀が「禁制(柴田勝家が書いた古文書が残っている)」を出すよう頼んでくれたから、この村だけが助かった、だからこの村があるのは明智光秀様のおかげだ ということで、江戸時代にこの祠を作ったそうです。

すた 「この神社は、三軒の家でずっと守ってきたんですよね。」

おばあさんは、深くうなずいていました。


江戸時代の農民は少しでも畑を作るべく、住宅地は山際に建てられていました。

なのに、山から少し離れたこの平地を数百年も残し続けるというのは、村民たちにとってはとても苦しくもあったでしょう。

屋敷跡の土地は決して狭くはありません。

おばあさんに出会えてよかったです。



館内の資料の写真撮影もOKだそうなので、撮りまくりました。

太っ腹ですね。

いっぱい勉強させて頂きます。



明智光秀が愛されているのがよく伝わってきたので、この日のこの時間に来られてよかったです。

ただ、ガラシャに関しては、史実的には、上石津町が細川ガラシャの生誕地(明智光秀は多羅城に家族を置いて旅に出た)とか言っていますし、揖斐川町も明智の親せきがたくさんいて、うちに家族を預けたとか言っていたので、随分と食い違ってきますが、それは置いておきましょう。

後気になったのが、朝倉屋敷から結構離れている(4キロ)なあと思いました。

「麒麟がくる」を見ていたら、なんどもすぐに行っていたので、結構近くかなとか思っていましたが。

どうしてソコだったんでしょうね。


小さいながらも、素敵な史跡でした。

続く。
Posted at 2021/03/27 19:27:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | 明智光秀 | 旅行/地域
2021年03月28日 イイね!

子供の卒園式。

子供が保育園を卒園しました。

来年から小学生です。

今年はコロナの影響で、「一家族一名しか来てはいけない」という事で、私は家でドラクエやっていました。

記念に正装して、自宅の前庭で記念写真を撮り、ちょっといい物を食べようと、大垣へ行きました。

親としては、一つの区切りを通ったかなと思いました。

美濃の郷
Posted at 2021/03/28 09:24:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2021年03月27日 イイね!

比叡山延暦寺③「1200年以上、燃え続けている火 不滅の法灯」

るり堂から戻ってきて案内図を見ていたら、比叡山で一番神聖な場所 というのが載っていたので、行ってみました。

伝教大師の霊廟だそうです。

その時は誰?って思ってましたが、後からそれは最澄のお墓だと知り、驚きました。



とてもきれいな庭の立派なお寺で、神聖化されているなあと思いました。

最後に一番人気の東塔エリアへ行きました。

入場ゲートがテーマパークみたいだなあと思いました。

国宝殿

国宝と言うけど、あるのは重要文化財ばかり。

主に仏像で、それはそれで見応えがありました。

しかし、「なんで国宝?」と思うと、「一隅を照らす」「自分のできることで他人を助ける行動」が国宝と言えるからだそうです。

教えは素晴らしいですが、「だから国宝殿はおかしいんじゃね?」 と 率直に、騙された感がありました。

戦国関係は、延暦寺焼き討ちの時に僧侶が運び出した大きな仏像があり、戸板に乗せて琵琶湖を渡っていたら信長の兵士に襲われて湖に沈んでしまったけれど、仏像が自力で泳いで対岸まで渡った というのがありました。

正直、「なんでもありだなあ」と思いました。

天海

どうも私は、石田三成という名前に反応してしまうんですよね。
(笑)

弁慶

・・・嘘やろ?

「漫画を書いたらキャラが勝手にストーリーを作っていく」っていうのと似ているなあと思いました。

大講堂

この中の金の仏像は、いまだかつて見たことがないレベルで重厚感がありました。

歴史的な重みを感じました。

鐘つき堂

「金取るんかいっ!!」

一打50円(笑)

ゲームかよ。
(笑)



不滅の法灯がある根本中堂は、工事中でした。

完成予定は5年後だそうですが、中には入れました。

広い板張りの通路を歩いていると、足の裏から冷たさが伝わり、身が引き締まってきました。

根本中堂

不滅の法灯は3つありました。

燃えている炎は見えなかったのですが、とても厳かな雰囲気が漂っていました。



さて、昼食はお楽しみの「延暦寺会館」で精進料理です。



景色がとてもきれいで、料理はとても美味しかったです。

メインの場所から少し離れているから人も少なく、広い店内にお客さんは一人しかいませんでした。

コロナ対策としては、バッチリでした。w

精進料理と景色

もうだいたい見て満足したので、帰ることにしました。

もう少し若ければ、前回行けなかった坂本の明智光秀の史跡巡りをするのですが、朝も4時起きでしたので、帰りの体力を考慮しました。

入場ゲートの近くに塚を発見しました。



よく見ると、延暦寺焼き討ちの塚で、こんなのがあるんだと驚きました。

この中には、犠牲になった人たちの遺品を埋めてあるそうですね。

説明

比叡山延暦寺へ行ってみて思ったのは、お寺は本当に広大でお堂も大規模なものがたくさんあり、これら全てを焼き尽くすと、相当大きな火柱が上がっただろうなと容易に想像つきました。

明智光秀は延暦寺焼き討ちの時、一年前から地元の豪族と燃料の調達など燃やす準備を進めており、相当計画を立てて実行したんだなと感じました。

浅井氏・朝倉氏との関係もあり、どちらが悪いとかは分かりませんが、数千人を虐殺、焼死させ、本当に恐ろしいなあと思いました。


比叡山を下りて、彦根のクラブハリエへ行きました。

彦根クラブハリエ

家族持ちの一人旅、お土産は重要です。

ロド

バームクーヘン、パイ、スフレを買いました。



最後まで読んで下さって、ありがとうございました。

明智光秀の戦国史跡巡り、まだまだ行きますよ。

^^
Posted at 2021/03/26 04:20:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | 織田信長 | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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