2017年10月21日
最近とても意識していることがある。それは「考え方が凝り固まっている。だから、新鮮な考え方を取り入れなくては。」ということ。仕事関係の研修でも、えらいさんに研修が終わってからそんな話を切り出すことがある。
固定概念っていうのはとても恐ろしくて、「多分これだから、こうすれば、結果はこうなる」っていうノウハウがあるだけに(特に対人間になると)イレギュラーなことが起こるとてんてこ舞いになる。また「理解されない」となると、自分自身がへこんでしまう。
そんなことを「時代の流れやねぇ」と自分のことをセピア色に感じでいくのも一つだが、いつでも鮮やかな「今とってきたばかりの写真だよ!」ビビットなカラーでいつでもいたいもの。
REにRX-7に乗っていると知ると、見た目からのイメージからか「燃費悪いんでしょう?」とか「うるさいんでしょう?」とか「2人しか乗れないですからね…」と言われることが多いが、実はそんなことはない。街中でリッター7ぐらい走るし高速なら10を超えてくることもある。うるさいかうるさくないかは、マフラーのチョイスとしても…一応4人乗れる。でも、これって自分の中の基準。
どうしても90年代の話になってしまうが、色々と運転させてもらった車で「好き嫌い」は別にして、様々なことを学んで感じてきた。日産のRB系はスムースに吹け上がる気持ち良さがある。スバルのボクサーは一発一発が荒々しく感じるが、トルクで引っ張る感じがあった。ホンダのVTECは切り替わった瞬間からの「やる気の音」がたまらなく気持ちいい。ネガな部分もあるが、「認める」っていうのは「良いところを挙げる」ってことなんだと思う。
自分の車も良いところを認めて、悪い部分を許せる範囲まで持っていくことが「細く長く続く」決定打だと思う。
車を運転するにあたって、(年齢関係なく)初心者と言われる人にいくら教えたって自分の思ってるレベルにはなかなか到達しない。例えば、MTのシフトのやり方一つにとっても…。「クラッチ切って、ギアを換えてクラッチ離す」だけなんだけど、そこに「回転を合わせて」っていうのを加味すれば、それはもう「ニュアンス」や「感覚」の世界。そして、教える側のノウハウが詰まってるから聞き手側がいくらコツを聞いたってそこは「訓練」の世界。
今まさに自分がトライしていることは、「どんなことを言ったか」じゃなくて「どう伝えたら通じるか」である。歳を重ねると「言わんでもわかるやろ」とか「こんなことまで教えなアカンの?」とか「さっきそれ言うたやん」となってしまいがち。自分の考えていることの「土俵」や「リング」に相手が上がっていないことに気付けないことがある。そんなとき、相手はどの辺(レベル)で聞いているのかを見極めて、そこに目線を合わせて伝えるということも必要だなと感じている。
専門用語並べられてわかったようなわからんような顔されるよりも、わかりやすい例を挙げて相手が納得することの方が自分自身にとっても気持ちがスッとするもんだ。
しかし、これほどに自分の言葉が通じないのかと思うとへこむし、古き良き日本の「相手の気持ちをくみ取る」っていう概念がなくなってくると…ちょっと日本の行く末を案じてしまう…。
良いところはそのままに、新しいものを取り入れることによって自分も周りもスキルアップ。そのためには「わかってくれない」とわがまま言うんじゃなくて、まずは相手を「認めること」から始まるのかなと。
そんな小さいことから、大きなものを動かしていきたいなと思います。
Posted at 2017/10/21 10:35:20 | |
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