
私の周りの色々な方の協力、後押しもあって、愛車BNR32スカイラインGT-Rは再び走り始めました。
板金工場で受け取って久しぶりに乗った愛車は、別物と思えるくらいカチッとしていて、隣に乗った嫁さんでもわかるくらい「生まれ変わった」という感動を与えてくれました。
これで当分の間は共に過ごすことができるでしょう。
さて、私には今回の大手術と同時にもう1つ決断したことがあります。
私の酷使に14年間耐えたセルボモードSR-fourとのお別れです。
この想いは先日のブログと同じく小学生の頃まで遡ります。
トヨタ好き少年が「大きくなったらこのクルマに乗りたい」と初めて想いを馳せた車は…
実はスカイラインのライバル車とも言えるA60系セリカXXでした。
クルマ雑誌も見たことのない小学生の私は、「よろしくメカドック」に影響され、「太陽にほえろ」に影響されセリカXXが大好きでした。
ただ、トヨタ好き少年が思い描くガレージにはA61セリカXXの隣にA63セリカがいてみたり、ハイラックスサーフが好きだった頃は隣にハイラックスピックアップがいてみたり・・・
今でもたまに発病する「R32タイプM欲しい病」は、実はこの頃から始まっていたんです。
複数台体制は昔からの夢なんですよね。
AW11とAE86の2台体制でいきなり実現しましたけど、さすがにテンロク2台の維持費は10代の当時の給料では難しく、半年で終了しました・・・
こんな似たジャンルの複数台体制ももちろん憧れでしたが、トヨタ好き少年のガレージには必ず普段乗りのセダンや軽ターボが存在しました。
※自分のことを言うのもどうかと思いますが、なんて空想力が豊かな少年だったことか・・・
これもR32のGTEが欲しいと思うことが「あぁ~、あの頃の想いなんだなぁ~」と遠くの空を眺めてみたり・・・
ランクル70を衝動買いしてしまい、3台体制になって暫く経ってから「うぉー! 俺、小さい頃の夢を実現してしまってるべや~!!!」と、ある日突然気がついたのも既に遠い過去となりました。
その「ガレージに軽ターボを存在させたい!」と思うきっかけになったクルマが、セルボモードSR-fourなんです。
親戚が乗っていた550時代のミラターボTR-XXで「軽ターボって面白い!」と思っていましたが、当時深夜番組で放映されていた「モー○ーランド」というテレビ番組で9000回転のレブリミットを軽々と超えていくセルボモードにビビッときたんですね~。
そんな印象が残ったままGT-Rを購入したところまで話が飛ぶのですが、クルマ通勤が必須となる部署に異動になり当時はリヤタイヤが3ヶ月しか持たないような乗り方だったGT-Rでの通勤は無理と判断し、通勤用の激安中古キャロルを入手。
最初は唸りを上げながら一生懸命走る姿にホンワカしながら乗っていたのですが、一生懸命走っても遅いものは遅いと段々我慢できなくなってまいりまして・・・
そんな頃にパチスロ貯金が後にも先にも無いくらいのバブル期を迎えて「よし!それなら、通勤車も乗りたいクルマに乗り換えちゃおう!」とワンオーナーの極上ディーラー車だったセルボモードをゲットしました。
このクルマにしか載っていない4気筒ツインカムのF6Bエンジン、5速MTのみの設定、そして私のは4輪ディスクブレーキになったマイナーチェンジ後のモデルなので、型式が「CP32S」!
32GT-Rのセカンドカーには最適だと当時は一人で盛り上がっていました。
また、あまり派手過ぎない外観、形状や色使いが何となくGT-Rの純正バケットシートに似ているシート、内装の雰囲気もお気に入りでしたね。
乗ってみると速さ云々はGT-Rに比べたらお話になりませんが、660NAのキャロルとは雲泥の差!
そして何より気に入ったのが高回転域でのエンジン音!
同時期のアルトワークスやヴィヴィオに離されても、このエンジン音が聞ければ満足でした。
更に、これはセルボモードに限った事ではないと思いますが、軽ターボ(+4駆)の楽しさをはっきり認識したのが雪道での扱いやすさ!
やっぱり「軽さ」って重要なんだなぁと思いましたね。
個人的な感想では今まで所有した8台で、ツルッツルのアイスバーンでは最も信頼感がありました。
あれからちょうど14年…
うちの3台で初めて走行18万キロの大台に乗りました。

ランクルの必死の追い上げで3台とも17万キロ台で並んでいたのですが、セルボは最後の最後でGT-Rを抜き去りました。
過去にはこのセルボも廃車の危機を迎えたことが何度かありました。

最大の危機は7年前、夏タイヤへのタイヤ交換をしているときにこれを見つけた時は「よくこれで走ってたな」と思ったものです。
この時には既に3台体制になっていて通勤車の役割はランクルでも賄えたので引退かなとも考えたのですが、日産プリンスのディーラーマンから対策部品があるという情報を入手し「直して乗り続けることが出来るんだ!」と歓喜してそのままスズキディーラーへ直行しましたね。
カムシャフトのオイルシールが破断してエンジンオイルと垂らしながらディーラーに飛び込んだこともありましたし、錆の出てきた箇所を自分で直して塗装もしました。
完全青空駐車で冬も気にせず乗っていた割には(GT-Rと比較して)錆の進行はそれほどでも無かったと思いますが、さすがに経年劣化は着実に進んできて、前々回の車検あたりからは「これが最後の車検かな・・・」と思っておりました。
岩手で迎えた前回の車検もかなり迷ったのですが「最期は北海道で・・・」という想いもあり、ユーザー車検でなんとか延命させました。
今年の春に北海道に戻ってきましたが、あちこちに不具合を抱え本当に「満身創痍」という言葉が当てはまる状況でした。
右フロントブレーキキャリパーの固着、リヤブレーキも両輪とも怪しい状態…
更に配線の劣化によるヘッドライト不点灯、そして最近は点火系の不調により5000回転以上はまともに回らないし…
駐車するとエンジンオイルの垂れた跡は残るし、錆の進行も修理前のGT-R程ではありませんが穴が開く一歩手前…
GT-Rのような大手術を行えばまだ乗れると思いますが、2台続けてはさすがに無理です。
GT-Rの手術を決断した時に、実は「車検満了でセルボを引退させよう」と同時に決断していました。
長い期間乗ってきただけに、別れは本当に寂しいです。
このセルボが無ければGT-Rの劣化はもっと進んでいたことでしょう。
でも、これ以上乗るには現状では不可能で、いつかは必ず来る別れの時を決断しました。
その想いは新たに走り出したGT-Rに引き継いだつもりです。
そんなセルボも最後のGT-Rの代役として2回に渡ってツーリングイベントに参加させていただきました。
代役ではありましたが、本当に最後の晴れ舞台でした。
その証拠に2回目のツーリング参加後に点火系の不調が出始めて、全開加速は出来なくなりました。
寂しさはありますが、全開に出来なくなってからはそれ以上に「お疲れ様m(_ _)m」の気持ちが強くなりました。
クルマを擬人化するのはおかしな話なのかもしれませんが、本当に好きで乗っていたクルマなのでやっぱり涙が出ました。
セルボへ…
14年間本当に本当にお世話になりました。
かなりの無茶もしましたが、小さい身体で一生懸命応えてくれました。
長い間ありがとうございましたm(_ _)m