最近の森慶太FMOで、なかなか面白い記事がありました。
マツダ・デミオディーゼル試乗記で書いたように、最近のマツダ車は、クルマとしてのレベルが自動車好きの間でも「いいクルマ」を連発で送り出しているという評価を受けているようです。
じゃあマツダはこれからも、立て続けに本物を送り出せるメーカーになれたのか?
という素朴な疑問が頭をよぎったりするわけです。
とは言っても、普通新車が出るたびに、片っ端から試乗している人は、まずいないはず。
そのため、いざというときに比較のしようがないわけです。
毎月モーター・ジャーナルを購読しているのは、こうした情報を知るためでもあります。
クルマ好きの一人として、どのクルマがどれくらいのものなのか?
という、いわゆる「位置決め」の一つの指標として使っています。
で最近の、このマツダに関して、森慶太氏がメルマガで、秀逸な記事を書かれています。
感動の余り一部を、ほぼそのまま引用させていただくことをお許しください。
読みやすくするため、改行などは勝手に変更しています。
悪しからず。
いまのマツダはホンモノか? というと、「この調子でいけ!」ですね。
俺がもしナンかいうとしたら。
ナンかクルマを買うなら、どれでもいいからご予算と用途とお好みにハマるところでマツダ車をどうぞ・・
と安心して即答できるレベルにはまだ、というのもありますが。
ただし現状でも、国産の同クラス横並び比較でいったらたいがいマツダでオッケーだと思いますが。
なかの事情に詳しいわけではないですが、俺がみたところではいまのマツダ、まだ工事中です。
クルマの走りや乗り心地に関して、「ウチのはこうです!!」っていうのを(それも、普遍的な説得力があるのを)彼らはいま、作り上げようとしている途中だということです。
昔からの流れでなんとなく、はやめて、ちゃんと考えてイチから。
で、いいものができあがりそうな手応えはしっかりあるし、結果もある程度かもっと出せてはいるけれど、でもまだ完成じゃない。
だからヘンな話、アレですよ。
「どうも最近のマツダ車はレベルが落ちちゃったねえ~」なんていわれるようになるかどうか。
もちろんならなくてずーっとイイのが理想ですけど、少なくともいっぺんは「そうそうこれこれ。 」
どれに乗ってもマツダはおんなじようにいいねえ~」
って誰もがいうようなところへ到達しないと、「どうも最近のマツダは……」へは落ちれないわけです。
せいぜい、ヨカッタときもあったね程度で。
もうちょっと下世話なところだと、マツダ地獄。
これ、マツダ車やマツダの話になるとかなりの頻度で出てくる言葉です。
昔っからずーっといわれてき・・ました。
最近ようやく出てこなくなってきたような気もしますが、逆にいうと、まだせいぜいその程度。
マツダ地獄とはつまり、大幅値引きでマツダの新車を買ったはいいけど下取りのときにほかのどこでもマトモな値段がつかなくて次もマツダ車を買うしかなくなる連鎖・・ですよね。
なにをいいたいかというと、クルマのデキがいいだけじゃなくそっちの方面でも「マツダなら安心」というところまでいかんとイカンと。
いってほしいなと。
いうなればマツダ天国(笑)。
こういう記事は、好きなノリの記事です。
全体の中で、マツダがどいういうポジションにあるのか?
なんていうところが、自動車メーカー全体を眺めてどうなのか、なんてことが相対的にとてもよくわかります。
いろんな車に乗っているからこそ書ける記事ですね。
普通のいわゆるよくある月刊誌や雑誌などの紙媒体を含め、WEBの試乗記でも、こういう目線での記事、というのはまずお目に掛かることはないですからね。
たとえば「マツダ地獄」なんて言葉は間違っても出てきませんから。
そういう意味で、ちょっと目からウロコの記事でした。
はたまたこんなことも。
たとえばの話、最近話題のマツダ車を買うとします。
イイと思いながら乗る。
で次、他メーカー製の人気車に買いかえて、でも乗ってみるとナンか違う。
違うなーと思いつづけながら乗って、その次はマツダ車。
そしたら「おーこれだよ!!」。
なにをいいたいかといいますと、一人のクルマ購入者がそのぐらいの経験をする間はずっとクルマがイイままじゃないと・・と。
そのへんまでいったらホンモノでしょう。
SKYACTIVとかクリーンディーゼルとかの言葉というかネーミングというかキャンペーンは成功したと思います。
やってよかった。
ただし、日本では。マツダが海外でそっち方面どういうふうにやってるかは俺知りませんが、日本じゃないところでSKYACTIVだのクリーンディーゼルだのいったところで簡単な話ナンノコッチャでございますよ。
その昔のト○タのBEAMSなんてのよりかはマシかもですが。
以前、カミサンのミニの点検時の代車で、前のモデルのデミオに乗ったことがあります。
でもなんだか大味で、ブワブワした、何というか揺れ方などが大味でアバウトな乗り味に、やっぱり日本車だよなあ・・
っていう印象を受けたことがあります。
でも今度のデミオは、そういったネガというか、バランスが崩れてしまっている部分というのは見当たりませんでした。
クルマ全体から、いわゆるマツダが目指すところがどこなのかが、ちゃんと漂ってきていました。
逆に言えば、妙なところのない、まともな日本製のクルマが、いかに少ないか、ということにもなるわけですが・・
だってアレですよ。
SKYACTIVってのは、俺流に日本語に翻訳すると、「クルマがちゃんとしてます」って意味ですからね(笑)。
それがウソじゃないのはまあエラいといっていいでしょうし、あとエンジン、もっというとガソリンのほうに関しては、「ダウンサイジングなにするものぞ」っていう気概(だけじゃなくリクツのバックグラウンドも)が見えててイイですけど。
でもアレですよ。
たとえばフォードのフォーカスやフィエスタやシボレーのソニックがフツーに売られてるなかにいまのマツダのアレやコレやが入ってきたところでそれ、別にビックリでもなんでもないですから。
あくまで、日本車一般の平均的なレベルと較べたらアタマいっこ抜けてるかな程度ですから。
フツーの日本車でちゃんとしたやつがあってくれることを強く望んだりまたは喜んだりするココロをさっぴいてフラットな態度でいったら、そんなもんです。
ミニなんかは確信犯的に、あえてある部分をちゃんと魅力として仕立て上げられ、売られています。
いわゆるゴーカートフィーリングと呼ばれる、その乗り味は広く知られている部分です。
何かの記事で自動車メーカーの人が言ってましたが、「ウチの会社じゃあ、ああいうステアリング特性だとボツになります。」
ってね。
そうやって最大公約数的にネガな部分をどんどんツブしてゆくと、無難な70点主義の、楽しさなど微塵もないクルマができあがるわけです。
あそこで填まってしまったから、そこ以外の多少のこういった所は、目をつぶっても欲しい。
と一途にさせてくれる魅力があるかどうか。
クルマは実用に使う道具ですが、同時に趣味性も兼ね備えた希有なハードウエアです。
だからこそ、独自の味付けというかメッセージが、そのクルマのメーカー側から、しっかり伝わってくるクルマかどうかを、クルマ好きは問題にするわけです。
あとはそれが気に入るかどうかだけの問題ですからね。
そういった「個性・味付け・クセ」が、商品としてお金を取れるものになっているかどうか。
魅力のあるクルマって、そうしたところは、ちゃんと考えて作られてますからね。
C6なんかは、まさにその典型です。
全員に気に入って貰わなくてもいい。
気に入ってくれた人が熱烈に好きになってくれればいい。
そういう想いが、作り手から伝わってくるかどうか。
日本のメーカーのなかでは国内市場へのディーゼルの導入にすごく熱心。
いまのマツダの追い風ムードに関しては、このこともまた少なからず貢献してるはずです。
「ディーゼルやってるからマツダはエラい」って。
仮に俺がデミオの広報車を借りてどっかへ乗ってったとして、そこではきっといわれます。
「それ、ディーゼルですか?」って。
ガソリンだっつったらガッカリされますね。きっと。
はっはっは。
えーすいません。無駄に長くなっちゃった気がします。
ま、そんな感じです。
「ホンモノに・・なるんだよ!!」 っていうことで。
あと残る課題は、デザイン。
いわゆる、エクステリアデザイン。
日本車はここが決定的に弱い。
サラリーマン的発想でもって、会議でネガを片っ端からツブしたからって、魅力あるカタチにはなりませんからね。
特に大金を払うプレミアムブランドでは、ここの記号(カタチ)が決定的な決定要素となります。
だからこそ、決定的な権限を持ち、魅力あるデザイン力のあるカリスマ的人物が必要なのです。
日本の自動車メーカーに務めている人間で、そういう人物がいるでしょうか?
というか、いると思います?
じゃあ仮にそういう人がいるとして、その人が作った車って、なんていうクルマですか?
ってことになるわけです。
ポルシェを買ってバラして調べ、車を作ろうというアプローチは可能でしょう。
ですが、カタチだけはどうすることもできないわけです。
なので一部分だけをパクったりするわけです。(笑)
正式な車名は、GRAND C4 PICASSO 7シーター EXCLUSIVE (6AT)。
ピカソには5人乗りと、7人乗りがあるのだけれど、今回用意されていたのは大きい方。
デミオディーゼルに試乗した直後だったので、とにかく全ての落差が大きかった。
キーを持っていれば、ボタンを押すだけでエンジンが掛かるのは、デミオと同じ。
ただそこから先の世界は、いろんな意味で、全くの別世界。
運転席に座った時の常軌を逸した視界のよさはどうだろう。
上の写真のように、広角16ミリレンズでやっとカバーできるその広さ。
まるで戦闘機のキャビンではないか?
ルームミラーの位置が、フロントウィンドウの半分より下にあるという、未知の体験で、まずは度肝を抜かれる。
ほとんどの人は、この時点でカラダが、何らかの反応をするはず。
C6でシトロエンワールドに慣れているオレでさえ、車内から空を見上げ、しばし沈黙。
いくらシトロエンでも、上へは飛ばないんだけどね。
メーカーによると「垂直方向70度」に展開する視界だという。
まあ、何度であろうと、ビックリすることに変わりなし。
この状態でもって、高速で雨降ってきたら、怖がる人がいるかもしれない。
7人乗りということもあって、ホイールベースが長く、前後のオーバーハングが短い。
電動式でタッチするだけというパーキングブレーキは、C5と同じ。
解除する必要はなく、アクセルを踏むと自動的に解除される仕組み。
オレ的には、そこまでやってくれなくてもいいんだけど。
で最初の興奮が収まると、次に気づくのは、シートの座り心地のよさ。
フランス車は、プジョーもそうなんだけど、シートの掛け心地はどれも抜群。
たとえば同じシトロエン同士でも、クルマが違うとそれぞれ個性がある掛け心地になっているのが素晴らしい。
このピカソも、理由は分からないけれど、座っているとウットリする掛け心地。
車のシートと言うより、部屋のソファか?(笑)
ダッシュボードは、センターメーターへ視線が集まってしまうほどのサイズで、とにかく大きい。
間違ってもオタクっぽいゲームの世界を連想することなどは決してないテイスト。
メーターに表示される、文字や色のがお洒落な感じにデザインされていてステキだ。
未来というのはこういう感じなんだろうなあ・・
と思わせてくれる異次元感覚が楽しめる。
表示モードの選択範囲もやたら広い。
昔のシトロエンは、針を固定してその裏に仕込んだ円柱(糸巻き=ボビン)に速度が表示されるというものがあった。
円柱が回転することで速度を判読するタイプのメーターだが、新型C4ピカソでは、それがデジタルで再現されていた。
固定された赤い指針のウラをデジタル表示で)速度数字が左右に動くという凝りようには恐れ入りました。
昔からのシトロエンオールドファンにとっては、たぶん感涙もののシカケではないだろうか。
それとこれだけ車体が長いと、バックや縦列駐車とかが、大変そうに感じるのだが・・
そこはぬかりなくできている。
リアカメラが標準で付いている。
おまけにニッサンからOEMで購入し設置されているという「360度ビジョン」というシカケもついている。
クルマの周りに配置された4台のカメラで車の周囲を映し出すことができるので、バックがもの凄くラク。
さらにパーキングアシストといって、勝手に縦列駐車までやってくれるという。
だが、オレ的には、これだけ周りが見えれば、そういうのは要らない。
とにかく、これだけ周りがよく見えるシカケがあれば、言うことなし。
写真右端にエンジンスタートストップボタンが見えている!
センターメータの下には空調の吹き出し口が並び、その下にはさらにもうひとつのスクリーンが設けられている。
ここには空調やエンターテインメント、インターネットへの接続などができるスイッチが表示される。
操作系すべての、空調やナビ、オーディオなどはすべてこのモニターをタッチして行う。
スクリーンは2画面ないしは3画面に分割表示させることができる。
シトロエンお約束のハンドル上のスイッチでもって、速度やエンジン回転などのさまざまな情報を切り替えながら表示させることもできる。
そのため、いわゆるアナログ的な「針」の表示は一切見当たらない。
日本のメーカーだと、多分ここまでの割り切りと思い切りはできないだろう。
操作系はほとんどすべてがタッチセンサー式。
未来感溢れる感じは、ここまで徹底しているからなのだろうか。
シート表皮のデザインも、非日常感を醸し出している。
生活感と日常感に溢れてしまいがちな日本車とは、別次元。
インテリア全般について言えるのは、日本車でいうところの、アルファードやエルグランドのようなギラギラ感が一切ない。
さらにノア・ヴォクシーやセレナのような、いわゆる家族臭が漂う部分も見当たらず。
豪華に見せようとか、高そうに見せよう、などといった世俗的配慮が、良くも悪くも感じないいクルマだ。
国産車でいえば、エスティマとかオデッセイ寄りの雰囲気だが、もうちよっとアバンギャルド。
とにかく、どこもかしこも、フランス的にお洒落。
このサイズのミニバンは、もともとが加速がどうのというクルマではない。
だが、評判の高い直列4気筒 1.6L ツインターボの165PSエンジンは、なかなか活発で、必要にして十分。
これ以上加速が良くても燃費が心配になるだけという、ちょうどよい案配の落としどころではないだろうか。
それとC5で気になった、低回転域での4気筒特有の振動は、このピカソでは全く感じられなかった。
燃費はリッター12キロくらいらしい。
ガクガク感のあった従来の変速機は、ついにアイシンAW製6段ATが採用されたため、とてもスムース。
このクセのあるトランスミッションでダメだった人も多いはず。
なので今回のアイシンAW製6段ATへの変更というアドバンテージは、購入意欲にかなり大きな影響を与えるだろう。
サスはハイドロから普通のタイプになってしまったが、乗り心地はシトロエンの味がちゃんと残っている。
エンジンの特性を含めた加速減速やステアリングフィールとのバランスなどが、違和感なくピカソ独特のの世界観で見事に統一されている。
こういうところの、バランスのとり方が、とてもオトナな感じ。
マイルドヤンキーっぽい、日本のミニバンのテイストとは、異次元の世界のクルマといっていいだろう。
走っていると、前のピカソより重心が低い感じ。
ちょっと大きめのゆったりとした揺れのラインに乗って、コーナリングするといえばわかりやすいだろうか。
サスの追従性もしっかりしているので、狙った走行ラインへも、意外に簡単に乗せることができる。
これなら峠道でも、そこそこのペースを維持できるだろう。
実際に走っても、包み込まれるような掛け心地なのに、このピカソのシートは、何故かしっかりホールドしてくれる。
一体どういう作りなのだろう?
それとアイドリングストップ機構の動作が気にならないのも、ポイントの高い点だ。
アイドリングストップ車の再始動時の音や振動などは、一度気になり出すと、意外にも気になって仕方なくなるもの。
エンジンをかけたり止めたりが、妙に意識させられるタイプだと、何だかエンジンに悪いことしてるよなあ・・
なんて気分になって、エンジンのオンオフで疲れてしまったりするわけだ。
そうして一度気になると、意外なストレス源となってしまう。
だからアイドリングストップ機構はオフにする、という人って結構多い。
だがこのピカソでは試乗中、知らないうちにアイドリングストップでエンジンが止まっていたことに気づいたことが何度もあった。
つまり、それだけ室内が静かだという点に加え、エンジンのオンオフが自然なため、エンジンが止まったことに、気がつかなかったのだった。
だがエンジンが掛かるときにわかるので、「アイドリングストップで止まってたのか・・」と気がつく・・という寸法だ。
というわけで、アイドリングストップ機構付きとしては、エンジンのオンオフが、最も気にならないタイプではないだろうか。
とはいっても、室内の静けさは、さすがにC6レベルとまではゆかない。
それと、C6の圧倒的な静けさに慣れているためだろうか、こうした箱が大きいクルマ特有の籠り音が気になった。
だが、それを言い出すと、この手のミニバンはどれも、そういう傾向はあるわけだけどね。
このデザインセンスを、国産車はぜひ見習っていただきたい。
ちなみに最新トレンドのドライビングアシストはすべて装備されている。
危険な状況では自動でフロントのシートベルトを引き締める機能とか・・
斜め後方の死角からの車両を知らせる「ブラインドスポットモニタリングシステム」。
時速25キロまで、自動で前方の車両を一定の車間距離で追走する「アクティブクルーズコントロール」機能などなど。
いわゆる「感性」の面では「ひょっとして世界最高峰なのでは!?」と思った。
デザインから実際の走りに至るまで、モダンさとエレガントさが同居する世界観が徹底して貫かれている。
だから加速がどうのとか、ハンドリングがどうのってところへ、あまり気が行かないのだが、これって実にウマイやり方だよね。
それだけに、感性がマッチしないと、購入には至らないというタイプのクルマだ。
ミニバンを買う予定は今後もないだろうけれど、もし買うとすればこれしかないな。
と思わせてくれたシトロエンC4ピカソ。
だが、写真ではこのクルマのよさはわからない。
ぜひとも運転席に座り、その非日常的な異次元体験を、じっくり味わっていただきたい。
シトロエンが持つ、ちょっとヘンタイっぽい絶妙な匙加減に対する感性さえ合えば、一目見ただけで填まってしまうはず。
ご注意あれ。
関連記事
徹底解説:シトロエン・グランドC4ピカソ / C4ピカソ / 1
New 2014 Citroen Grand C4 Picasso Exclusive Review and Test
Drive
今話題の新型マツダ・デミオのディーゼル。
WEB CG の試乗記はこちら > マツダ・デミオXDツーリング Lパッケージ(6AT)
新型ピカソの試乗のためシトロエンディーラーの方へ走っていたら、たまたまマツダのディーラーが目に入ったから。
という理由の、成り行きの気まぐれ試乗記であります。
平日の朝10時半頃だったので、営業所自体が暇そうだった。
なので、C6を駐車場へ入れると、営業の方が、すっ飛んできてくれた。
買わないのにゴメンネ。 と心の中で呟いてみる。(笑)
初対面だったけれど、手続きは免許証を見せるだけ。
どっちが売れてるの?と訊ねると・・
ディーゼルを選ぶ人が、7割から8割だという。
なので?(笑)迷うことなく、ディーゼル車へ案内された。
隣にはガソリンの試乗車もあったけどね。
結局ガソリン車は試乗せず。
内装がこの組み合わせの写真をたまたま見たことがある。
国産車っぽくなくてイイなって思ったのだった・・
だが残念ながらテストドライブの試乗車は、この内装ではなかったのがちと残念。
なので、真っ黒けの室内はちょっと味気なかった。
でも今時の新車らしく、特に安っぽいわけでもなく、シンプルでクリーンな印象。
ダッシュの上にあるナビは固定。
ダッシュ内に凹む仕掛けなどはなし。
そういうコストの掛かることはできないプライスレンジだからね。
エンジンは「今はやり」?の、スタートボタンを押すタイプ。
試乗車の走行距離は700キロ台というバリバリの新車。
アイドリングでは、ちゃんとディーゼルの音はしていた。
けれど、音楽でも鳴らしていれば気にならないレベル。
運転席に座るとオフセットもなくて、ちゃんとした姿勢で座ることができた。
かといって座っている間、掛け心地がイイとか、フィットするとかいうスペシャルな掛け心地のシートではなかった。
気にならない存在。
というか、試乗時間自体短かったからねえ。
ミニだと、シートに座った感じが、何というかビシっと填まるんだよねえ。
掛け心地がいいなあ・・って思わせてくれるのが、プレミアムたる味付けなのでしょう。
足回りやブレーキも、日本車に乗ったときの、「ああ、コクサン車だ・・」っていうのがない。
車体やダンパーなどのヘロっとした感じがないのは立派。
タイアをもっといいのに変えれば、グッとよくなるはず。
ブレーキも問題なし。
この感じだと、パッドを変えるとかなり良くなりそうだなという、いわゆる期待感を持たせてくれる踏み心地。
それとオートマがCVTではないのですよダンナ。
イマドキのこのクラスの国産車で、ちゃんとしたオートマを載せたマツダはエライ。
残念だったのは、試乗時間が10分ほどしかなかった点。
たぶんディーラー設定のコースなのだろうけれど、道は割と空いている時間だったのが幸い。
なので遠慮なく踏むと、3千回転くらいから「ぐわーん」とトルクが出る感じ。
結構力強い。
ただ、2500回転以下くらいの領域だと、アクセルを一旦戻してから踏んだりするときに、トルク感が薄いというか反応がちょっと鈍い。
なのでオレ的には、もう少し下の回転域でトルクが欲しいなと。
上でのトルクを削ってでもね・・という感じ。
この点を調べると、マツダはどうやら燃費要件のため、2千回転あたりの燃料を少し絞っているらしい。
なるほどの、試してガッテン。(笑)
不思議にも、試乗の間、一度たりともアイドリングストップすることがなかった。
これってアイドリングストップしないんですか?と思わず聞いたくらい。
営業マン氏の説明によると、バッテリーの充電具合などを、かなりシビアにチェックしているらしい。
なわけで、条件が揃わないとアイドリングストップしないのだという。
燃費については、まだお客さんからのデータが集まっていないという・・
だがディーゼルだと、たぶんリッター20キロくらいでしょうとのこと。
試乗車の仕様だと、コミコミで230万円くらい。
1.3リッターのガソリン車との価格差は約30万円。
安いし燃費もいいし、多分故障も、ほとんどないだろう。
車としての基本を押さえた、妙なところのない、いわゆる「まっとう」なクルマだった。
ただ「遊び心」を感じる部分も皆無。
じゃあ運転する楽しさというか、グッと引き寄せられてしまう、いわゆるクルマとしての「魅力」は、何だろう。
とふと思った。
そういうことを、このクラスに求めるのは、無い物ねだりなのか?
先日カミサンのミニの車検で代車として借りた新しいミニはワクワク感がしっかりあった。
運転好き、クルマ好きなら填まってしまう、いわゆるゴーカートフィーリングなどのシカケが、至る所にあるという楽しさが、売れる理由なのだろう。
しかも新車の ミニONE は240万円からという、デミオとガチンコになりそうな価格帯。
下取り価格や、5年以上使っても飽きないか、などイロイロ考えると、楽しい悩みも湧いてくるデミオ。
やるじゃないか。(笑)
高倉健さん追悼として、以前書いた「鉄道員」を再掲させていただきます。
先日たまたま録画されていた「鉄道員」を観た。
感想を言うなら「うーん・・惜しかった」。
特に中盤までは、高倉健の魅力を堪能することができる映画だ。
では高倉健の持味が100%引き出せていたか?
というと残念ながら、脇役のキャスティングが惜しかった。
最初、「大竹しのぶ」は娘かと思った。
観ていれば実は妻の役だということは、すぐにわかるのだが・・
もう少し高倉健の年齢と釣り合う女優さんなら、さらにリアリーティが出たはず。
惜しむらくは、日本映画につきものの、テンポの悪さが、映画の中盤くらいから気になり始めた。
それまでは、高倉健と小林稔侍とのやりとりの妙などで、テンポについては気にならなかったのだが・・
少女が登場し始めると、せっかくの高倉健の存在感が薄くなってゆく。
勿体ない。
たとえば、ストーブのそばで珈琲牛乳を振る舞われた少女と、駅長分する高倉健とのやりとりのシーンだ。
「目をつぶって」といった瞬間、正直「こりゃあまずいな」と思った。
普通日本のあれくらいの歳の子は、たとえ父親であってもキスはしないだろう。
ましてや見ず知らずの駅長にというのは、あり得ないハナシだ。
こうした違和感は、幻想だということが分かったとしても、依然妙な印象として残ってしまうのだ。
それまで積み上げてきた、高倉健のよさが、このワンシーンでもって激減してしまった。
普通あれだけ説明しまくる日本映画なのに、夢や幻想ではなく、あたかも現実の延長線上のような演出なのだ。
そのあとで、酔いつぶれていた小林稔侍が、「こんな夜遅くに子供が忘れ物の人形を取りに来るのはヘンだ」というシーンがある。
ここで観客は、気がつくのだろうが、それにしてもねえ・・
そしてそのあと、子供は人形を置いたままで帰り・・シーンは朝に切り替わる。
子供がキスをした瞬間、高倉健が夢から覚める・・・
オレが監督ならそうするけどね。
子供がいきなりキスをするという不自然さは、この手で帳消しにできるはず。
制作陣の誰一人として、そういう提案を出さなかったのだろうか?
シロウトのオレだって、それくらいは思いつくのにだ。
そしてさらにまずいのが、広末涼子。
生まれたばかりの一人娘を病気で失ったが、成長した娘が幻想で登場するというシーンのことだ。
ここも一人の鉄道ファンの少女が現れたときと同じ現実の延長線上なので、これはたぶん娘を幻想しているのか・・
とはだんだんわかってくるのだが、それにしてもまるで現実の出来事のようだ。
幻想なら、最初からすぐに気がつくようにすれば、高倉健と広末涼子とのやりとりが妙に長くなることは避けられただろう。
現実ではなく、死んだ娘が会いに来ているのだという説明をするため、どうしてもあの長さになってしまうわけだ。
だが広末涼子のあの演技力で、あの尺のシーンを撮るのは酷というもの。
前の少女とのシーンだけではなく、他の娘とのシーンもそうなのだが、ここは制作陣が「うかつ」だった点ではないだろうか。
亡くなった子供をあれだけ何度も登場させるのは、やり過ぎだろう。
毅然とした「ぽっぽや」の存在感と凜々しさという、高倉健の持つ演技の魅力を、萎えさせてしまう恐れのある要素は、徹底して取り除くのが制作陣の仕事なのではないだろうか。
仕事を何よりも優先させなければならなかったがために、家族を顧みることができず、娘の最後を看取れなかった父親と出会う成長した娘。
これがどれほど重要なキャスティングなのかは、言わずもがな。
高倉健を生かすも殺すも、娘役のキャスティング次第なのだという、「こと」の重大さを、制作陣は見誤ったのではないだろうか。
映画の感動の度合いを、最高潮に引き上げることができるかどうかは、ひとえに、この娘役の演技に掛かっていたわけだ。
さらに引っかかったのがエンディング。
何と最後に駅長は駅で倒れて死んでいたのだった。
もうちょっと何とかならなかったのだろうか?
あれではまるで野垂れ死にだ。
死を暗示させるため、あのような映し方をするくらいなら、あのシーンはない方がいい。
そのあとのシーンで、友人達に担がれ、列車に乗せられてゆく棺が映るのだから。
娘との出会いで心変わりし、唯一の親友とも言える小林稔侍の勧めに従い、最後の列車で新しい門出に旅立つ。
こういうハッピーエンドでは何故ダメなのだろう?
原作がそうなっているから、変更はできないという事情が、あるのかもしれない。
そうであれば、さらに表現方法を工夫し、高倉健の魅力を最高に引き出した名作ここにあり・・
と言われるレベルに仕上げて欲しかった。
前半がよかっただけに、実に惜しい。
娘の死に目にも会えず、妻にも苦労を掛け、親友の思いやりも無にしたままで、頑固を貫き通した身勝手さでもって、最後に死んでしまう鉄道員。
それが多くの鉄道員達の本望であり、さらに亡き娘や妻が望むならそれもいいだろう。
だが本当にそうだろうか?
高倉健があそこで死んでしまう「美学」もいいが、見終わった後で素直に「よかった」と思わせてくれても、いいのではないか?
と、ふと思った次第。
webCG の レクサスRC F(FR/8AT)試乗インプレッションを読んだ。
「そこらの道でもココロがおどる」というサブタイトルの記事を読んだが、具体的にどこがいいのかは、最後までわからなかった。
乗り心地はファームだけれど、素晴らしく快適だとか、超高性能車でありながら、非常に運転しやすいなどというのは、このクラスになれば当たり前だろう。
そもそもが、1千万円を越えるクルマで、何がしろの感動がなければ、誰も買わないだろう。
ではどこが魅力なのか?
CGの記事でも何となく「いい」くらいしか伝わってこないのだ。
レクサスは2013年度の国内新車販売台数で、「メルセデス・ベンツ」に逆転されてしまった。
1989年に米国で始まったレクサスブランドだが、すでに誕生から25年目。
2013年の世界販売でも、ドイツのBMW・メルセデス・アウディに比べ、約3分の1程度しか売れていない。
レクサスの山本常務役員は「高級車ブランドとして認められるラインアップは確立したい」とドイツ勢と比較して少ない車種を拡充する方針を示している。
「結果として販売台数が増えるのは構わないが、台数を増やすために車種を増やすのではない」と販売規模の拡大を優先する考えはないと強調している。
何だか負け犬の遠吠えのように聴こえるのはオレだけだろうか?
本音は、何とかして台数を売りたいのではないのか?
現在のトヨタは、第一トヨタ、第二トヨタ、ユニットセンター、レクサスの4事業体から成り立っている。
レクサスインターナショナルは、社長である豊田章男氏の直轄事業でもあるわけだ。
ちょっと下品なスピンドルグリルで「顔つき」を揃えてきたレクサス。
だがこちらで書いたようにクラウンにも採用している。
レクサスブランドでしか手に入らないスピンドルグリルではなかったのか?
相変わらずのブランディング戦略。
スピンドルグリルの顔つきにあやかってクラウンを売りたい・・
時折覗く、こうしたトヨタの下心。
こうして、せっかくのスピンドルグリルのブランドイメージは低下してしまった。
しかもピンクのクラウンといい、このレクサスの柿色といい、カラーセンスが垢抜けないのもイタイ。
そもそもこの色は、ポルシェGT3RS という超高性能車のイメージカラーなのだ。
クルマ好きなら、誰もが知っている色だといっていいだろう。
圧倒的な運動性能で高い評価を受けた RS ゆえの烈な印象の象徴とも言えるボディーカラーだ。
言い換えれば、ポルシェの 「GT3RS だからこその色」でもあるわけだ。
そうしたイメージカラーを「まんまパクって」まで使ってしまうというレクサスのカラーセンス。
一体誰の発案なのか?
もともとがトヨタの売れ筋はアクアとプリウス。
「車には興味がないが、車は必要、そして燃費が一番大事」という人が選択する車種だ。
つまり「車が好き」だから買うのではなく、「車がなかったらどーしようもない」ために買っているのだ。
そういう車のメーカーのトップがレクサスの責任者であること自体、何だか間違っている気がするのは、オレだけだろうか?
イメージアップの企業戦略という意味で、最近見事な手腕を見せたのはBMW。
既存モデルを電気自動車化するのでなく、白紙新設計で i3 と i8 を作り、別ブランドで立ち上げた。
CFRPまで多用した i3 や i8 の値段では完全にコスト割れのはず。
別ブランド構築のコストや、100%リサイクルを実現する費用も含めれば、その赤字はさらに膨れ上がるだろう。
だが何故BWMがそこまでやるのか?
他を圧倒し、この先十年以上、その効果を継続させることができる内容を持つ企業プロモーションとは?
その答えが i3 や i8 というわけだ。
つまり企業ブランドの向上のための費用と考えれば、彼らは十分にペイすると判断したわけだ。
この戦略は成功だったようで、BMWの i3 は、リーフという失敗の前例がある日本でも、意外に高く評価されている。
一方で空前の利益を出しながら、こうした企業ブランドへの先行投資を含めた先手の打てないトヨタ。
この調子では、レクサスの憂鬱は、この先もまだまだ続くのではないだろうか?
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アクセスカウンター カテゴリ:その他(カテゴリ未設定) 2013/05/12 17:49:11 |
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BMW 2シリーズ クーペ シトロエンC6が10万キロを超え、メンテナス費用などを含め買い換えることになったのがM2 ... |
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ミニ MINI Convertible 2006年にカミサンへ誕生日プレゼントをした車。今でも気に入って大事に乗ってくれています ... |
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ポルシェ 911 1987年式のカレラでスティックシフト(マニュアルシフト)。この頃はまだABSはついてい ... |
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マツダ ロードスター 93年型の Miata (ミアータ)で、日本ではマツダ・ロードスターと呼びます。シアトル ... |