
先日の惰眠さんの日記「さよならM2、夢の残滓」を読んで、とうとうM2ビルも改装に入るのかと、複雑な思いでおりました。
思い起こせばM2は日本のバブル経済と同じく、一瞬の泡のように消え去った存在ではありましたが、私にとってはたくさんの思い出がある場所でありました。
オープン初日に開店前から並び、この海の物とも山の物とも分からないまったく新しい組織に、期待を持ったことが思い起されます。
というのも、机上の論理や営業側のネジまがった意見を通したクルマではなく、ユーザーの生身の意見を取り入れ、それを限定という形ながら、市場に問うためのクルマをわざわざ生み出したという意味では、非常に大きい功績を残したと思うのです。このような組織は後にも先にもないだけに、ほんとうに解散してしまったことが残念であります。
僕の場合、イロイロなつてのおかげでM2とは非常にイロイロな縁があり、恵まれた環境にありました。さんざん酷使された後とはいえ1001の広報車を引っぱりだし伊豆箱根の山々で試乗したことをはじめ、まだ発表前だった1002をいち早く見せてもらえました。他にも1028の発表会に招待してもらったこと、M2ビルの中を見学させてくれたこと、どれをとってもロードスター乗りとしては本当に宝物の出来事がだくさんありました。
そのお裾分けではありませんが、当時私が撮影した貴重な写真を1枚だけご紹介しましょう。この写真は当時M2ビルを見学したときに、特別に見せていただいた俗に言う「ユーノス・コブラ」です。ご存じでない方に説明しますと、M2ナンバー「1006」は、ACコブラ再来というコンセプトで、B6エンジンの代わりにルーチェ用のV6 3000ccエンジンを搭載したまさにモンスターであります。
ただ、これはモックアップ、つまりどんがらのスタイリングを追求した方のモデルであり、これとは別にランニングプロトタイプもきちんと存在しました。ランニングプロトタイプのコブラは、外観こそロードスターのような形だったものの、実際はキャビン以外の部分は新たに作ったものだと言っていたことを思い出します。
このコブラ、後の「1008」すなわち「クーぺ」同様に発売への要望が強かったものの、あくまでもテストケースとして残念ながら幻と消えた1台でありました。
わずか数年足らずで消滅してしまったM2、そのツワモノどもの夢の跡は斎場となって生まれ変わるのはなんとも皮肉なものです。しかし、その館が取り壊されることなく、こうして残っただけでもよかったのかもと思えます。環八を通るたびに当時のことを思い出せますしね。
Posted at 2002/12/05 04:52:20 | |
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