
ロードスターばかりが20周年!? と浮かれ上がってるのは狭いところだけのオハナシ。むしろ一般の人にとってみれば、もっと身近なトコロが今日20周年を迎えました。
横浜ベイブリッジです。
ああ、そーかぁ。そーだったかぁ〜と。
横浜ベイブリッジの20年は、クルマそのもやクルマに求められていた価値観などの時代背景を、その時々で如実に映し出していた「鏡」みたいなような存在だったのかもしれません。
当たり前ですが、横浜ベイブリッジは観光スポットとして作られたワケではありません。貿易港である横浜港に荷揚げされた荷物を全国へと運搬するトラックが、高度成長期を境に集中したことで慢性的に引き起こしていた市内の渋滞や事故、排出ガスによる環境悪化などが深刻化してたトコロを、交通環境改善を最大の目的として作られた橋なのでした。
横浜ベイブリッジは開通当時からしばらくの間は羽田へと続く
高速湾岸線とつながっていなかったので、
本牧側と大黒側を結ぶ単なる斜張橋にしか過ぎませんでした。
ところが景観の良さから開通するやいなや
その本来の目的とは違ったデートスポットとしてたちまち人気となり、
開通当時は高速道路上なのに路肩にクルマがズラっと止まっていて、
オネーちゃんとイチャイチャしてる光景が当たり前でしたっけ。
今ではそんなコトしたらスグに交機がスッ飛んできて怒られますから、
いくら交通量が少なかったとはいえノンビリした時代だったのかなとも思います。
横浜ベイブリッジ開通当時、厳密に言えば私は高校生だったので、
まだ普通免許すら取得できない年齢だったけれど、
クルマを買ったら絶対ココには行こうなんて憧れてましたっけ。
ほどなくして週末になるとベイブリッジのたもとにある大黒PAでは
深夜から明け方まで大音量で音楽を流す
”音圧協会”のバニングやローライダーなどの、いわゆる”大黒族”
が集まっては大騒ぎしてパラパラなんて踊ってたり、
PA内の展望台から見渡せる外の一般道では100台近くがドリフトしてたり、
その人の多さからわざわざ暴走族が集結したり…と、
ありとあらゆるクルマとバイクが集まり
今思えばやりたい放題のメチャクチャな光景が当たり前の時代でした(^^;
大黒PA内には首都高の交機の詰め所があるにも関わらず、
このお祭り騒ぎは毎週末のように繰り広げられ、
目の前でのこの醜態がいっさいおとがめナシだったのは、
お役所らしい徹底した縦割り行政の”管轄外”だったからでした(笑)。
まぁ、お世辞にも褒められた行為ではなかったけれど、メチャクチャながらに
今ドキの若者と違って活気だけはあったなぁ…!? なんて懐かしく思います。
そんな異常な状態がいつまでも許されるワケもなく、
しばらくすると”花金”の夜になると大黒PAは閉鎖の措置が取られるようになると、
徐々に静けさを取り戻すようになって
今ではもうそのバカ騒ぎの頃の陰はほとんどなくなりました。
相変わらず景観や夜景がキレイなスポットだから、
今でもふと思い出しては、すっかり静かになった深夜の大黒PAに行っては
コーヒーでも飲みながらのんびりクルマを眺めて帰るなんてコトしますけど、
よくも悪くも? ここまでクルマ環境が変化してしまうなんて、
20年前には想像すらつかなかったのでした。
で、そんなお祝いムードの横浜ベイブリッジに
水を差すような
こんな話が持ち上がっているのだとか。
スカイウォークは私も何度かデートで行ったコトがあります。
行きは、みなとみらい21地区などを一望できるなど、
景色が最高にイイところなんですが、
ナゼか決まって冬場の寒い時期ばかりで、港を吹き抜ける風がメチャメチャ冷たく
髪がクチャクチャになりながらも展望室に行ったコトをばかりだったから、
あまりイイ思い出がなかったりして!?(^^:
また、大黒PAにクルマを停めて行くとけっこうな距離を歩かされるので、
実はあまりデートには向いてないのかも!? なんてことも思ったりもしますが、
それにしても無くなってしまうには惜しすぎる場所です。
どうにか今後も存続してもらいたいなぁ…と思っとるところです。
Posted at 2009/09/27 16:06:57 | |
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