愛知の戦国武将 久松俊勝の忌日 享年61歳 老衰か病死のようです
愛知県の知多半島の阿久比あたりの出身
「信長の野望だと割り振りの都合であんまりイメージないけど知多半島は三河ではなくて尾張(- - )だもんで織田傘下で地元武将やっています」
20歳くらいの時に 夫を亡くした徳川家康のお母さんと再婚しています
「これで名前が残ったようなものだよ(- - )その家康のお母さんの実家は水野家と言うんだけど俺 その水野家から妻を貰っていたのが病死してしまってね」
久松と水野の親戚関係継続と言う事で互いに再婚 家康は今川行きなのでこの
再婚には無関係 後に家康がそれなりに出世するとこの縁で傘下入り
したのですが
「家康にしてみれば面識のない継父(- -;)余程のメリットが無い限りこの時代でもこういうの面倒がられるのよ」
続投で知多を任されるものの特に重用されることのないまま後に人事で家康と揉めてしまい辞表提出
10年程隠居生活してそのまま亡くなっています これで子供の大半は松平姓を
名乗る事になり久松家は埋もれてしまう事になります
「徳川家康です(- -徳)折角の一人っ子の上に従兄弟さえまともなのが居ないのを逆手にピラミッド式のデカい組織図描いてんのにわざわざ余計な親戚、それも親ヅラなんかされて騒動のタネになんかなられては困るのよ 実際人事に口をはさんできたのさ 知多の木っ端武将が徳川にタダ乗りしてんじゃねえぞって」
さて
城下の知人数人から
「ねえ あれ見た?( - -) あれ?(o¥o )何あれって?」
なんてやりとりしてたのです 話を聞くに城下のはずれの山中に珍百景的な
場所があるらしいものの
「まさか~~ そんな恐ろしい場所がある訳がない(-¥- )」
半信半疑 が 先日 ついに画像が送られてきまして
「こ、これは・・・・(@¥@;)このみちのくで何が起きているのだ」
まず広島城下でもそうそうない光景だろうと思われます 偶然で揃う筈はない
「まず考えられるのは蟲毒 それから怨霊の憑代 或いは何らかの気を練り合わせて錬成するのか(;-¥-)(-"-(-"-;)なんでそんなおどろおどろしい考えなの?マツダ党なんだようね?」
またこの天気が絵になりすぎている
疫病と 油の暴落と霧雨の中 再び時が満ちるのを待っているのかな
諸将方の見立てや如何に
なんか霧雨でずぶ濡れの美しい姫君達が真言の響く中で手招きしてる~(゜¥゜~)なんか訪れなければいけない気がしてきた
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Posted at
2020/04/21 18:58:28