徳島のスター 戦国武将 蜂須賀家政の忌日 享年81歳 老衰か病死のようです
阿波踊りを考案したと言われている人で趣味は釣りとも 愛知県江南市出身
野武士の頭目で秀吉の片腕として有名な蜂須賀正勝の息子
「俺は現場派 机仕事は全部お前 必要な時は呼ぶから(- -父) なんだそりゃ(-皿-;)」
と 言う事で秀吉からお父さん飛び越えて徳島を任され大名入り 徳島城を建てたり
阿波踊りを考えたりと徳島の開発に尽力 更に九州征伐、小田原征伐 奥州征伐
に大陸派兵と連戦 秀吉死後は親徳川に鞍替え 大坂の陣では拉致られてしまい
大坂城に虜残されていますが戦後徳島の他に淡路島も任され蜂須賀家の拡大に
成功しています
「九州の黒田家から政治判断で妹が離婚食らってるよ(-"- )大河軍師官兵衛ではサラリと描いていたけどこれで黒田と蜂須賀は100年以上絶交 黒田め何を大河の主人公張ってんだコノヤロー」
伊達政宗が嫌っていたとも
「なんで大坂城から生きて出られたんだあいつ(x"- )うさんくせー 一見問題なさそうな奴こそ怪しいんだぜ」
さて
ここからかなりかなりかなりかなり長くなりますが
昨日はまたも江戸表で史跡とクルマを無理にでも楽しむオフ会
関東屈指の無名特急 しもつけ号で江戸表へ
安いんです そして私鉄で駅が宇都宮駅ではなくて東武宇都宮で到着も浅草。
某にとっては立地と行き先が非常にありがたいのですが世間的には使えねーと
廃止カウントダウンの声高し 宇都宮とスカイツリー直結なのに・・・
やはり朝の一本だけがまずいのか(-\-;)片道特急
「いえーい( ^¥^)人(- -(- - )い、いえーい」
今回は誰のクルマも不慣れな路地では苦戦が予想されると言う事で
デイズを用意して頂きました
「乗ってみたかった(- -(-¥- )(- -(- - )かつての軽がウソのようだ」
その広さに驚きながら最初に向かったのは
四ッ谷お岩稲荷
「大丈夫なんすか朝からこんなとこ(;- -);- -) 全ッ然大丈夫っす( о¥о)」
お岩さんと言えば最恐の怨霊で名を馳せましたが丸きりの創作が確定済み
真実なのはこの夫妻が四谷のこのお稲荷様を管理し実在したと言う事だけ
このお稲荷様もその怪談が出る前からあるので二重三重に安心の地域を護るお稲荷様
「もし強烈な祟りがあるとしたら( mо¥о)m 営利目的で面白おかしく風評たてる連中と言う事になるのか(-"-;(-"- )ナルホド」
慕ってお詣りに来る人に祟る筈もなく 今やお洒落インスタポイントみたいな
のどかなお稲荷様となっております
続いては
文京区 円乗寺にあります恋焦がれたレジェンド、八百屋お七の石碑と言うか
墓石と言うか 墓石らしいのは奧にあったのですがなんか入りづらい空気
入り込まれたくないから手前にこれが建ったと理解して
片思いの末に放火に走り死罪くらったお七が檀家だったのがこの円乗寺
このお七の干支が丙午と言う事で
「丙午の女性はして破滅型のメンヘラと言うくだらない風評が関東以北を中心に昭和に入ってさえぐずぐずぐずぐず続いて( о¥о)b うっすら聞いた事あるような(-"-;(-"-;)へー」
そこから
亀戸水神 亀戸水神駅というのがあるので
「てっきり駅に近いのかと(-¥-;) 全然(- -(- - )水害多いからですかね」
お昼は
最寄りのコインパーキングがテクニカルな天龍
テレビで観て行ってみたくてお願いしました・・・が
「とにかく旨いけどとにかく多い( о_ _)о すげえっすねそれ(-"-;(-"-;)」
伊達巻まで載って豪華で安くて野菜たっぷりで甘くて美味しいのですが半分そこらで無念の敗走
ここから小はる亭殿も加わりまして
葛西城址公園
葛西家の城でしたが小田原北条家に敗れて北条家のものとなり その北条家が
秀吉に敗れると秀吉の判断で廃城 なので
「400年前には既になんら残っていないと(;-"-)-"-)-"-) 心の目でみるのだよ心の目で(;-¥-)」
看板なければとてもわからないし敷地の中心を環七がぶち抜いているような扱い
「ちなみにその葛西家の分派が宮城県北登米を治めていたが俺が殺しつくて謎の一族になっちまってる(x皿- )まあちょっとやり過ぎだったかな」
こういう何も残っていない史跡に訪れるのは否定的な向きもありますが
「カレスト座間や村山工場跡地など訪れていると聞いておりますぞ 皆さま妄想史跡巡りに適性あるんじゃないですか( -¥-) (;- -);- -);- -)何のことやら」
そこから
葛飾区亀有公園へ
大変遺憾ながら派出所は公園前ではなくて駅前なんだそうですね
湾岸署が出来たくらいなんだからこっちも融通利かせて欲しいですけれど
「読んだことないです( - -) げえええ(@皿@;(@¥@;(@Д@;)」
某にはちょっと考えられなかった発言 これも時代の変遷なのでしょうか
そして令和最後のお寺参りは
築地本願寺 埋立地だから築地
築地本願寺自体は江戸時代からありますが何遍も焼けて関東大震災で再建した
のが現在の築地本願寺 仏教発祥のインド風 更に中は和洋折衷になっての
巨大デザイナーズ寺院として再建
「やっとまともな観光の気配( T人T)T人T)T人T);-¥-)すみません」
長くなっておりますが続いて今年最後の史跡探訪
日比谷公会堂のあります日比谷公園 そこは
元は伊達家江戸屋敷 伊達政宗は江戸屋敷で亡くなっているのでこの日比谷公園
が政宗終焉の地
「と言うと公園全部が伊達屋敷みたいなイメージだけど概ね四分の一くらい(x - )あとは毛利家と上杉家 あとどこだっかな 大名屋敷って結構移転しててわかんねーのよ ウチはこの後現在の日本テレビに移転していたような ちなみにガチガチの仙台弁では日比谷は渋谷と発音するので江戸時代の仙台人にはこの区別が口語では不可能だったろうと言われているんだぜ」
最後は恒例のファミレス座談会
カリカリポテトと大盛ポテトとポテト盛り合わせくださいd(o¥о )(- -;(- -;(- -;)
中学生並みのガキ舌にお付き合い頂き クルマのバカ話などした後解散 その際
サンルーフからスカイツリー
国内では超絶希少な先代北米専売マツダ6で駅まで送って頂きました
「快適ですよ~(- - ) ううむ(о¥о三о¥о)なんか映画スターが乗るようなクルマに見える」
左ハンドルなんて初代ベクトラ以来 大変貴重な体験をしつつ
上野発の
JR宇都宮線は快速ラビット号 実は初乗車
冬コミとかちあったらしくて紙袋下げた人たちで結構な混雑ぶり あんな人気
なら半月くらいやってれば緩和するだろうに
無事に宇都宮着
大変長くなりましたが令和最後の大冒険となりました
毎回こちらの都合ばかりの地味スポットばかりで恐れ入ります
葛西城址はちょっと失敗だったなと反省中ですがおかげで適性を見て取れて
有難く思います またこれに懲りずに次の機会があればと<(_ _)>
こはる亭殿にはまたもお土産頂きまして・・・これは別日にまた改めて♪