上田城の次は、郊外の旧真田町です。
真田氏発祥の地です。平成18年以来の再訪です。
前回の訪問記はこちら↓
信濃国・上野国・下野国歴史紀行(1日目その4・真田の郷)
真田氏歴史館は、真田氏発祥の里である上田市真田町の御屋敷公園(真田氏居館跡)にあります。
真田氏の居館風の建物に真田氏の関係資料を展示しています。
真田氏本城の模型や大坂夏の陣図屏風などが展示してありました。
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真田氏本城は、真田山城、松尾城、松尾新城、住連寺城、十林寺の城山などとも呼ばれ、真田氏館の北東に位置します。
真田氏館や原の郷(本原一帯)へと続くなだらかな南斜面には何段もの広い段郭を連ね、ほかの三方は急斜面ですが、要所に細長い段郭を配置して厳重な備えとなっています。
規模がかなり大きいことから、真田氏の本城であったと推定され、真田氏居館の詰城として機能していたと考えられています。別名は松尾城といわれます。(他にも松尾古城といわれる城もあります。)
山城ですが、車で登れますのでアクセスは楽です。
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長谷寺は、山号は真田山(しんでんざん)、曹洞宗の寺院です。
当寺は、往古「種月庵」という無住の小寺に、天文16(1547)年に真田幸隆が上州安中の長源寺より晃運和尚を招いて「真田山種月院長谷寺」として創建されました。
天正16(1588)年真田昌幸の代に至り、父幸隆の菩提のために諸堂を完備しますが、慶長5(1600)年には兵火にかかり、また宝暦7(1757)年の火災や、寛保2(1742)年の大洪水では土砂に埋まるなど幾度もの災害に遭っています。
元和8(1622)年真田信之が上田より松代に移封の際には六代住職が同行し、松代に長国寺を建立しています。
明治23(1890)年1月、再三の火災で全山焼失し、貴重なもの全てが灰と化してしまいました。
現在の本堂は昭和53(1978)年に、庫裏・位牌堂は平成元(1989)年に再建され、鐘楼は平成20(2008)年に建てられ現在に至っています。
本堂裏手の墓地には、真田幸隆夫妻、昌幸の墓所があり、上田市指定文化財となっています。
(現地説明板より)
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山家神社は、平安時代の延喜・延長年間に編纂の「延喜式 神明帳」という法典に収載されている由緒正しい神社です。
創立は不詳ですが、この地域の産土神(うぶすなかみ・守り神)であり、四阿山(あずまやさん)には山頂に奥宮が鎮座し、四阿山を源とする神川沿いに生活する人々の「水分の神」として篤く崇拝されています。
上田城の鬼門徐の神として真田幸隆の時代から上田歴代藩主より信仰され、今日まで大切に守り継がれてきました。
社伝によると養老2(718)年、加賀国から白山信仰が伝わり、以来明治まで「白山権現・白山宮・白山さま」の名称で人々に親しまれてきました。
また、境内地にはかつては神宮寺として岩井山理智院白山寺という天台宗の寺院がありました。創建年代は不明ですが、鎌倉時代以前とみられています。
明治維新以前は神仏混淆で山家神社と同一敷地内にありましたが、神仏分離令により寺は廃寺となりました。
跡地には現在真田神社が建立されています。真田幸隆、昌幸、信幸、幸村と、西南戦争〜大東亜戦争の英霊を祭神としています。
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日向畑遺跡(ひなたばたいせき)は松尾城(松尾古城)の麓にあり、真田氏最初の居館跡と考えられます。昭和46(1971)年に発掘調査が実施され、石造宝篋印塔が6基、石造五輪塔が11基出土したそうです。
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松尾城は、松尾古城とも、角間の城とも呼ばれています。
真田盆地には数多く山城がありますが、最も北側にある山城です。
真田幸隆以前の真田氏の本城とも考えられています。
「真田氏本城」も松尾城とも呼ばれることがあるので、区別して「松尾古城」と呼ばれることもあります。
岩がごろごろした急峻な山道を登っていきます。三角点のある本郭の標高は970m、東西11m、南北14mあり四囲を石垣が巡らしてあり、前方のみ11mほど口が開いています。
更に比高差160mあるところに、遠見番所があります。
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2013/09/25 23:41:00