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2015年03月24日 イイね!

姫路市立美術館「竹内栖鳳展」・姫路城・置塩城

この日は、姫路市立美術館で開催されている「竹内栖鳳展」を鑑賞しました。
日本画家ですが、伝統的なものばかりではなく、色々な流派について研究されており、海外の風景などにもチャレンジしています。幻の油絵「スエズ景色」なども展示されていました。
姫路市立美術館 - 1
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姫路市立美術館 - 2
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姫路市立美術館 - 3
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姫路市立美術館 - 4
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そして、姫路城。平成の大修理を終え、平成27年3月27日より公開開始。当初はすごい人なのでしょうね。
姫路城 - 01
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姫路城 - 02
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姫路城 - 03
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姫路城 - 04
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姫路城 - 05
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姫路城 - 06
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姫路城 - 07
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姫路城は軽く外から見学後、運動不足解消?を兼ねて置塩城へ。ここは何度か来ていますが、遺構がよく残るお気に入りの山城です。
置塩城 - 01
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置塩城 - 02
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置塩城 - 03
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置塩城 - 09
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置塩城 - 11
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置塩城 - 12
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置塩城 - 13
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置塩城 - 14
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置塩城 - 15
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置塩城 - 16
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Posted at 2015/04/06 22:55:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2015年03月14日 イイね!

レヴォーグ初ドライブ伊予紀行(2日目その4・しまなみ海道を通って帰路へ)

帰路はしまなみ海道です。
それにしても、レヴォーグの初ドライブ、アイサイトの威力が絶大なことを思い知らされました。
とにかく楽です。
欠点は乗り心地が堅いこと。新車なのである程度やむを得ないでしょう。

来島海峡サービスエリア
来島海峡大橋サービスエリア - 1
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来島海峡大橋サービスエリア - 2
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来島海峡大橋サービスエリア - 3
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大山祇神社にも立ち寄りました。残念ながら拝殿は閉まっていましたが。
大山祇神社 - 01
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大山祇神社 - 02
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大山祇神社 - 03
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大山祇神社 - 04
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大山祇神社 - 05
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大山祇神社 - 06
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Posted at 2015/04/06 20:38:46 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2015年03月14日 イイね!

レヴォーグ初ドライブ伊予紀行(2日目その3・別子銅山〔マイントピア別子端出場ゾーン〕)

別子銅山の端出場(はでば)ゾーンは、海抜156m、国領川の両岸に位置します。
明治26(1893)年、下部鉄道の終点となり、物資輸送の中継所から発展しました。
明治45(1912)年、端出場水力発電所が設置され、石ヶ山丈の貯水池から送水管を伝って落差597.18mの流水が発電所をまわしました。
大正4(1915)年に第四通洞が完成し、昭和5(1930)年に採鉱本部が東平から移転し、昭和48(1973)年の閉山まで採鉱の拠点でした。
平成3(1991)年には、かつての産業遺跡を活用した観光施設マイントピア別子端出場ゾーンがオープンしました。旧火薬庫を利用した延長333mの観光坑道で当時の様子を体験することができます。
その他当時のままの中尾トンネルや芦谷川鉄橋を鉱山鉄道が走ります。また旧水力発電所や住友の共同厚生施設だった旧泉寿亭などが残ります。
別子銅山〔マイントピア別子端出場ゾーン〕 - 01
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別子銅山〔マイントピア別子端出場ゾーン〕 - 02
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別子銅山〔マイントピア別子端出場ゾーン〕 - 18
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Posted at 2015/04/05 23:30:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2015年03月14日 イイね!

レヴォーグ初ドライブ伊予紀行(2日目その2・別子銅山〔マイントピア別子東平ゾーン〕)

別子銅山は、元禄4(1691)年に開坑し、昭和48(1973)年に閉坑するまでの283年間、連綿と65万トンもの銅を産出してきました。
別子銅山の産業遺産は、四国山脈の海抜1300mの別子山上から、瀬戸内海の海上の四阪島まで散在しています。
採鉱当初は、別子山上から、時代とともに新居浜市側へ移ってきました。江戸時代は長崎貿易の輸出品の棹銅を最も大量に産出し、長崎からオランダ、中国へと輸出され、東アジア各国の銅銭材料となり貨幣経済を支えてきました。
明治維新後は、西洋の最新技術を導入し、当時の支配人広瀬宰平は、明治7(1874)年、フランス技師ルイ・ラロックを雇い、その別子鉱山目論見書(企画書)に基づき採鉱、製錬、運搬の近代化を成功させました。
明治26(1893)年、製錬所の煙害問題が発生し、支配人の伊庭貞剛は、その解決のため沖合20kmの四阪島へ製錬所を移し、明治38(1905)年操業を開始しました。その後、35年の歳月をかけ脱硫・中和装置を設置し、昭和14(1939)年煙害問題は解決しました。
そして一方伊庭は荒れ果てた別子の山々に毎年100万本の植林を開始し、坑水を河川に流さないよう坑水路と中和処理施設を設置するなど、環境対策に力を注ぎました。
銅山遺跡は、旧別子、角石原、東平、端出場、立川、山根、上原、惣開、星越、四阪島、新居浜と各地にありますが、その内東平、端出場が現在マイントピア別子として別子銅山の施設跡などを利用したテーマパークとして活用されています。
東平(とうなる)ゾーンは、角石原地区から下がった標高750mに位置し、明治35(1902)年、標高1,795mの第三通洞が貫通し、明治44(1911)年、旧別子の日浦までさらに延長2,120mが貫通すると角石原に代わり物資輸送の中継所になりました。
そして、大正5(1916)年から昭和5(1930)年まで別子銅山採鉱本部が置かれていました。そのため鉱山町として採鉱事務所、貯鉱庫、選鉱場、索道基地、インクライン、変電所の他、社宅・学校・劇場・接待館など文化施設も整っていました。
最盛期5000人あまりの人口がありましたが、昭和43(1968)年に撤退となり、廃墟となりましたが平成6(1994)年、マイントピア別子東平ゾーンの開園で蘇りました。索道基地跡、貯鉱庫跡、第三通洞、旧第三変電所跡、インクライン跡、など見どころが多く、東平歴史館や、保安本部跡を利用したマイン工房などがあります。また東平小学校、中学校の跡地は銅山の里自然の家があります。
「東洋のマチュピチュ」と新聞に取り上げられ、観光会社がツアーを企画するなど人気を集めつつあります。
東平地区へバス移動 - 01
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東平地区へバス移動 - 02
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別子銅山〔マイントピア別子東平ゾーン〕 - 01
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別子銅山〔マイントピア別子東平ゾーン〕 - 18
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Posted at 2015/04/05 23:15:08 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2015年03月14日 イイね!

レヴォーグ初ドライブ伊予紀行(2日目その1・湯築城〔道後公園〕と松山市立子規記念博物館)

湯築城は鎌倉時代から戦国時代にかけて伊予国を治めた河野氏の居城です。日本100名城に指定されています。
それにしても、日本100名城が市内に松山城と湯築城、2つもあるなんて、松山市はお城マニアにとってなんという贅沢なまちなのでしょう!道後公園として整備され、市民の憩いの場となっています。あいにくの雨模様でしたが、桜が早くも開花し、春の訪れを感じさせていました。

平成18年↓
 伊予ドライブ(3日目その1・湯築城・松山城と秋山兄弟生誕地など)
平成25年
 伊予史跡めぐり(その6・湯築城)

湯築城(道後公園) - 01
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湯築城(道後公園) - 02
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湯築城(道後公園) - 03
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湯築城(道後公園) - 04
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湯築城(道後公園) - 05
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湯築城(道後公園) - 06
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湯築城(道後公園) - 07
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湯築城(道後公園) - 08
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湯築城(道後公園) - 09
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湯築城(道後公園) - 10
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湯築城(道後公園) - 11
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湯築城(道後公園) - 12
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松山市立子規記念博物館は、正岡子規の世界をとおして、より多くの人びとに松山や文学について親しみ、理解をふかめていただくために開設された文学系の博物館です。
市民の知的レクリエーションや学校の課外学習の場、研究者の研究機関、観光客のビジターセンターとしての機能をそなえ、昭和56(1981)年4月2日にオープンしました。
建物は、道後温泉の緑と調和し、明治という時代にふさわしい雰囲気をかもしだすため、外観の色彩はアイボリーを基調とし、屋根には銅板を使用して「蔵」をイメージしています。また、正面入口の門扉及び2階窓の飾り格子に、子規ゆかりの俳誌「ホトトギス」の表紙デザイン(浅井忠、中村不折、橋口五葉画)を借り、子規文学を象徴しています。
常設展は「人間正岡子規」をメインテーマに、「Ⅰ道後松山の歴史」「Ⅱ子規とその時代」「Ⅲ子規の目指した世界」に大別し、レプリカ、パネル、映像などの史料で子規の生涯が追体験できるよう、新時代「明治」を生き、「明治」をつくった若者子規の全体像を展示しています。
(パンフレットなどより)
松山市立子規記念博物館 - 01
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松山市立子規記念博物館 - 02
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松山市立子規記念博物館 - 03
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松山市立子規記念博物館 - 04
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松山市立子規記念博物館 - 05
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松山市立子規記念博物館 - 06
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松山市立子規記念博物館 - 07
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Posted at 2015/04/02 22:46:36 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

プロフィール

「[整備] #PCX バッテリー交換(3回目) https://minkara.carview.co.jp/userid/157690/car/1646340/7327912/note.aspx
何シテル?   04/30 18:24
ドライブで史跡巡りをやっています。 戦国時代の城・幕末がメインですが、史跡は全般的に好きです。 あとMacやデジタル製品など「新しいもの」も大好きです。
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