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2016年10月09日

吹屋・備中松山城

吹屋ふるさと村は、高梁市吹屋伝統的建造物群保存地区として国選定重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
標高550mの山嶺に塗込造りペンガラ格子の堂々たる町家が建ち並んでいるのは,江戸時代から明治にかけて中国筋第一の銅山町に加えて江戸末期からベンガラという特産品の生産がかさなり,当時の鉱業地として大いに繁昌した面影です。幕末から明治にかけて吹屋はむしろ「弁柄の町」として全国に知られていた。しかも吹屋街道の拠点として、鋼や,中国産地で生産される砂鉄,薪炭,雑穀を集散する問屋も多く備中北部から荷馬の行列が吹屋に続き,はたご屋,飲食店の立ち並ぶ山間の市場町として吹屋の繁昌を保っていました。これらの鋼や鉄,弁柄は吹屋から更に荷馬に負わされ成羽へ運ばれ,それから高瀬舟で玉島港に集められ,そこから上方や四国へ輸送されました。江戸時代から成羽や玉島の繁栄は吹屋の鉱工業に負うところ大きいと云われています。
 当時の俗謡に
    吹屋よいとこ金吹く音が 聞こえますぞえ 窓坂え
    吹屋よいとこ金掘るところ 掘れば掘るほど金がでる
これらの俗謡は当時の状況を唄ったものです。
吹屋ふるさと村
吹屋ふるさと村 posted by (C)pismo

郷土館の建物は、弁柄窯元片山浅治郎家の総支配人片山喜平(当時吹屋戸町)が分家され、明治7(1874)年頃より企画し、本家の材木倉より良材を選び(当時、片山家は職業柄千余町歩の山持ちなり)、石州の宮大工、島田綱吉の手により、明治12(1879)年3月に完成された物です。当時の模様がもっともよく保存されているので、当主片山恵資氏に請い、郷土館としています。
間口5間、奥行き16間、中級の商家の定型で、店より通り庭で母屋の奥に味噌蔵、米倉を配し、母屋の採光のため中庭をとっています。

土台と外側の柱はすべて栗の角材を使い、縁敷居は桜の巨材を使っています。
この家の特徴は木組みは巨材を使い、細部は巧緻というほかなく、ことに座敷の書院周りは生漆と弁柄で塗り上げ、それぞれに飾り金具を用いています。専門家も「これほどの良材と大工の手の揃った家は世に少ない。」と感嘆しています

旧片山家住宅です。
片山家は、宝暦9(1759)年の創業以来、200年余りにわたって、吹屋弁柄の製造・販売を手掛けた老舗です。
宝永4(1707)年にはじまったとされる吹屋の弁柄生産は、宝暦11(1761)年頃に緑碁を原料とする製法が確立されて本格化しました。早くから弁柄製造を手がけた片山家(胡屋)は、窯元として弁柄仲間の株を永く保ち、大塚・広兼・長尾家とともに苗字帯刀を許されるまでになりました。
安政2(1855)年には緑碁の製造にも乗り出して、最盛期には3つの工場を経営し、その製品は建材や家具の塗料、陶磁器や漆器の顔料として国内に広く流通しました。しかし、昭和26(1951)年に緑碁の生産が途絶えると、弁柄製造は次第に衰退します。その後も合成された硫酸鉄を原料として生産が続けられましたが、片山家は昭和46年(1971)に弁柄屋を廃業、その3年後には田村家も弁柄工場を開鎖して、260年余クリにわたリー世を風靡した吹屋弁柄はその幕を閉じました
その家屋は、弁柄屋としての店構えを残す主屋とともに、弁柄製造にかかわる付属屋が立ち並ぶ、「近世弁柄商家の典型」と高く評価され、平成18(2006)年12月、国の重要文化財に指定されました。
吹屋ふるさと村・郷土館 (1)
吹屋ふるさと村・郷土館 (1) posted by (C)pismo

吹屋ふるさと村・郷土館 (2)
吹屋ふるさと村・郷土館 (2) posted by (C)pismo

吹屋ふるさと村・郷土館
吹屋ふるさと村・郷土館 posted by (C)pismo

吹屋ふるさと村・郷土館 (3)
吹屋ふるさと村・郷土館 (3) posted by (C)pismo

吹屋ふるさと村・郷土館 (4)
吹屋ふるさと村・郷土館 (4) posted by (C)pismo

吹屋ふるさと村・郷土館 (5)
吹屋ふるさと村・郷土館 (5) posted by (C)pismo

吹屋ふるさと村・郷土館 (6)
吹屋ふるさと村・郷土館 (6) posted by (C)pismo

旧片山家住宅は、平成14(2002)年に所有者から、成羽町(現高梁市)へ寄贈を受け、重要伝統的建造物群保存地区の中核的な建物として、平成15(2003)年から、保存修理を行っていますが、主屋部分の修理完了を期に、平成17(2005)年8月から、広く一般に公開しています。
旧片山家住宅 (1)
旧片山家住宅 (1) posted by (C)pismo

旧片山家住宅 (2)
旧片山家住宅 (2) posted by (C)pismo

旧片山家住宅 (3)
旧片山家住宅 (3) posted by (C)pismo

旧片山家住宅
旧片山家住宅 posted by (C)pismo

旧片山家住宅 (4)
旧片山家住宅 (4) posted by (C)pismo

旧片山家住宅 (5)
旧片山家住宅 (5) posted by (C)pismo

旧片山家住宅 (6)
旧片山家住宅 (6) posted by (C)pismo

旧片山家住宅 (7)
旧片山家住宅 (7) posted by (C)pismo

旧片山家住宅 (8)
旧片山家住宅 (8) posted by (C)pismo

旧片山家住宅 (9)
旧片山家住宅 (9) posted by (C)pismo

旧片山家住宅 (10)
旧片山家住宅 (10) posted by (C)pismo

旧片山家住宅 (11)
旧片山家住宅 (11) posted by (C)pismo

旧片山家住宅 (12)
旧片山家住宅 (12) posted by (C)pismo

旧片山家住宅 (13)
旧片山家住宅 (13) posted by (C)pismo

吹屋ふるさと村 (1)
吹屋ふるさと村 (1) posted by (C)pismo

吹屋ふるさと村 (2)
吹屋ふるさと村 (2) posted by (C)pismo

吹屋ふるさと村 (3)
吹屋ふるさと村 (3) posted by (C)pismo

弁柄はローハ(硫酸鉄)を原料として江戸中期の宝永4(1707)年、全国で始めて吹屋で生産されて以来安永6(1777)年から工業化し,早川代官の指導による株仲間をつくりその特権と合理制,製品の特異性により江戸末期、明治、大正と大いに繁昌を続け、吹屋町並みの基礎を作りました。
弁柄は赤色顔料で古くから九谷焼,伊万里焼,京焼などの陶磁器の赤絵,能登,輪島などの漆器,衣料の下染,家屋,船舶の塗料など色々の方面に使われました。
吹屋を繁栄させた弁柄産業も、昭和47(1972)年の銅山の閉山に続いて昭和49(1974)年にその製造を終えました。
ベンガラ館は日本でただ1ヵ所の特産地として栄えた吹屋ベンガラ工場跡で,昭和51(1976)年度吹屋ふるさと村整備事業,さらに昭和61(1986)年度リフレッシュふるさと推進モデル事業として明治の頃の弁柄工場を当時の姿に復元したものです。当時のベンガラ製造工程がよくわかるように,残された製造用器具とともに保存展示されています。
ベンガラ館 (1)
ベンガラ館 (1) posted by (C)pismo

ベンガラ館
ベンガラ館 posted by (C)pismo

ベンガラ館 (2)
ベンガラ館 (2) posted by (C)pismo

ベンガラ館 (3)
ベンガラ館 (3) posted by (C)pismo



吉岡(吹屋)銅山は、大同2(807)年に発見されたと伝えられ、古書に備中の産物に関する記載がありますが、吹屋の銅山としての記録は、戦国時代尼子氏と毛利氏の争奪戦以来、江戸時代初期一時、成羽藩の支配下にあったが、大部分の間は、天領幕府直轄地で代官の支配下で稼いでいた。長い歴史のなかで繁栄期は、次の三期でした。
元禄年間(1690年頃)  経営者・泉屋(住友) 継続年数=35年
享保~天保年間(1716~1842)  経営者・福岡屋(大塚) 継続年数=2回で107年。
明治~昭和年間(1873~1930)  経営者・三菱(岩崎)継続年間=57年。

江戸時代の採掘は手掘りで、鉱区も小範囲でしたが、坑内の排水が非常に困難であり水抜き坑道を掘り抜いた時期が繁栄しました。
明治以後三菱金属株式会社の経営になり、附近の小山を吸収合併し、自家発電所を設け、削岩機を使い精錬等の作業を機械化し日本で初めて洋式溶鉱炉を造り、日本三大鉱山の一つとなりました。
この鉱山は笹畝と称し支山でしたが、後年は地下で本坑道(坂本)と連絡しています。
ここでは、黄銅鉱、磁硫鉄鉱(硫化鉄鉱)が産出された。特に江戸時代にはこの地から馬の背に乗せて成羽町下原の総門まで運ばれ、高瀬舟で玉島港まで行き、海路を利用し大坂の銅役所へ運ばれました。
笹畝坑道は、吹屋銅山の採掘風景を当時のままに再現した観光坑道です。
ヘルメットをかぶって入りました。
吉岡(吹屋)銅山笹畝坑道 (1)
吉岡(吹屋)銅山笹畝坑道 (1) posted by (C)pismo

吉岡(吹屋)銅山笹畝坑道 (2)
吉岡(吹屋)銅山笹畝坑道 (2) posted by (C)pismo

吉岡(吹屋)銅山笹畝坑道 (3)
吉岡(吹屋)銅山笹畝坑道 (3) posted by (C)pismo

吉岡(吹屋)銅山笹畝坑道
吉岡(吹屋)銅山笹畝坑道 posted by (C)pismo

楼門づくりで城郭にも劣らない石垣が見事な広兼邸です。
広兼氏は大野呂の庄屋で、同家2代元治が享和、文化の頃小泉銅山とローハ製造(ベンガラ)を営み巨大な富を築き、徳川末期に建てられた楼門づくり城郭にまがうばかりの石垣は、今もそのままに当時の富豪を偲ばせています。
二階建ての母屋、土蔵3棟、楼門、長屋、石垣は文化7(1810)年の建築で庭園には水琴窟が設けられており、規模、構造とも雄大な城郭を思わせる構えです。
邸宅の向いには明治初期、天広神社が建てられ、広兼個人の神社として祭られた。社務所もあり、境内には花木が植えられ、池・築山がつくられ、形の整った石灯籠数基がおかれ、狛犬もあり、全体的には庭園風となっており衆楽園と呼んでいます。
離れは大正の建築でお茶室、化粧部屋、客間、風呂等をそなえたお座敷で、当主の結婚式に一度使用しただけで以後は使用されていません。
映画「八つ墓村」のロケが昭和52(1977)年と平成8(1996)年の二度にわたり行われ、全国に放映されました。
楼門づくりで城郭にも劣らない堂々たる石垣が見事です。
広兼邸 (1)
広兼邸 (1) posted by (C)pismo

広兼邸
広兼邸 posted by (C)pismo

広兼邸 (2)
広兼邸 (2) posted by (C)pismo

広兼邸 (3)
広兼邸 (3) posted by (C)pismo

広兼邸 (4)
広兼邸 (4) posted by (C)pismo

広兼邸 (5)
広兼邸 (5) posted by (C)pismo

広兼邸 (6)
広兼邸 (6) posted by (C)pismo

広兼邸 (7)
広兼邸 (7) posted by (C)pismo

そして、久し振りに備中松山城を訪れました。
真田丸のオープニングにでてくる画像は、実は山は群馬県の岩櫃城、そして建物は備中松山城をCGで加工したものです。
昔は訪れる人もまばらでしたが、現在は麓の駐車場に車を止めてから中腹までシャトルバスに移動。そして結構マニア以外にはきついと思われる山道を登ると、たどり着けます。小ぶりですが、現存天守一高いところにあるお城。断崖絶壁の天然岩の上に皿に積まれた石垣。
備中松山城
備中松山城 posted by (C)pismo

備中松山城 (1)
備中松山城 (1) posted by (C)pismo

備中松山城 (2)
備中松山城 (2) posted by (C)pismo

備中松山城 (3)
備中松山城 (3) posted by (C)pismo

備中松山城 (4)
備中松山城 (4) posted by (C)pismo

備中松山城 (5)
備中松山城 (5) posted by (C)pismo

備中松山城 (6)
備中松山城 (6) posted by (C)pismo

備中松山城 (7)
備中松山城 (7) posted by (C)pismo

備中松山城 (8)
備中松山城 (8) posted by (C)pismo

備中松山城 (9)
備中松山城 (9) posted by (C)pismo



そして天守を超え、臥牛山方面には戦国時代の山城が残る「大松山城跡」など見どころたくさん。
備中松山城 (10)
備中松山城 (10) posted by (C)pismo

備中松山城 (11)
備中松山城 (11) posted by (C)pismo

備中松山城 (12)
備中松山城 (12) posted by (C)pismo

備中松山城 (13)
備中松山城 (13) posted by (C)pismo

備中松山城 (14)
備中松山城 (14) posted by (C)pismo

下城したときはシャトルバスの最終時刻を過ぎて歩いて降りる羽目に。でも楽しいお城でした。

その後は少し離れた場所にある「備中松山城展望台」へ。もちろん寒い日のの早朝じゃなければ見ることはできませんが、遠いところから見る備中松山城の天守もなかなかいいものです。
備中松山城展望台
備中松山城展望台 posted by (C)pismo

備中松山城展望台 (1)
備中松山城展望台 (1) posted by (C)pismo

備中松山城展望台 (2)
備中松山城展望台 (2) posted by (C)pismo

備中松山城展望台 (3)
備中松山城展望台 (3) posted by (C)pismo
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Posted at 2016/11/29 22:48:54

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