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2017年05月04日

三河・遠江直虎紀行(2日目その1・横須賀城と高天神城周辺)

横須賀城は、天正2(1574)年高天神城を武田勝頼に奪われた徳川家康が、大須賀康高に命じて天正6(1578)年に築かせた城です。
江戸期は有馬、大須賀、能見松平、井上、本多、西尾氏が城主でした。明治元(1868)年20代城主西尾忠篤は明治維新の激動のなか、安房国花房(現千葉県鴨川市)に移され、横須賀藩領は徳川家達の領地となって静岡藩に含まれました。明治2(1869)年8月には横須賀城も廃城となりました。昭和46(1971)年には本丸一帯を宅地化する計画が持ち上がり、この城跡消滅の危機に住民から城跡保存の声が上がり、昭和56(1981)年5月8日付けで国史跡に指定されました。以降、土地公有化と遺構復原整備が進められています。
江戸時代中頃まで、城のすぐ前から北西裏にかけて遠州灘から深く入り込む入江があって、横須賀城を天然の要害としていました。入江には横須賀湊があり、大きな船も寄港し水上交通と物流の拠点となっていました。また、この入江と外堀を区切る形で中土居と呼ばれる土手があり、横須賀から袋井に通じる街道となっていました。小笠山を挟んで立地する掛川城が、陸の大動脈東海道の押さえであったのに対し、横須賀城は海辺の道と海上交通の要衝である遠州灘の押さえとして重要であったと考えられます。城前のこの入江は、宝永4(1676)年の宝永大地震による地盤隆起によって干し上がり、横須賀城周辺の様子は一変するとともに湊も使えなくなり、横須賀城と城下町は軍事と経済面で大打撃を受けたと考えられます。湊が使えなくなった以降は西方の太田川河口の福田湊まで運河が造られて小舟が行き来しました。
横須賀城 (1)
横須賀城 (1) posted by (C)pismo

横須賀城
横須賀城 posted by (C)pismo

横須賀城 (2)
横須賀城 (2) posted by (C)pismo

横須賀城 (3)
横須賀城 (3) posted by (C)pismo

横須賀城 (4)
横須賀城 (4) posted by (C)pismo

横須賀城 (5)
横須賀城 (5) posted by (C)pismo

横須賀城 (6)
横須賀城 (6) posted by (C)pismo

横須賀城 (7)
横須賀城 (7) posted by (C)pismo

横須賀城 (8)
横須賀城 (8) posted by (C)pismo

横須賀城 (9)
横須賀城 (9) posted by (C)pismo

横須賀城 (10)
横須賀城 (10) posted by (C)pismo

横須賀城 (11)
横須賀城 (11) posted by (C)pismo

横須賀城 (12)
横須賀城 (12) posted by (C)pismo


三井山砦は、高天神城包囲の砦として、徳川家康が天正7(1579)年10月に修築した六砦の一つです。
酒井与四郎重忠が守備したといわれていますが、前年から三井山周辺で戦いがあったことや縄張り配置等の特徴などから、最初の築城は更に遡るともいわれています。
現在は大浜公園の一部となっています。
三井山砦 (1)
三井山砦 (1) posted by (C)pismo

三井山砦 (2)
三井山砦 (2) posted by (C)pismo

三井山砦 (3)
三井山砦 (3) posted by (C)pismo

三井山砦
三井山砦 posted by (C)pismo

三井山砦 (4)
三井山砦 (4) posted by (C)pismo

中村城山砦は徳川家康が高天神城を攻略するために築かせた6つの砦の一つです。
横須賀城主大須賀康高が陣を敷いたといわれています。
若宮神社に城跡を示す標柱などがあります。
(現地説明板などより)
中村城山砦 (1)
中村城山砦 (1) posted by (C)pismo

中村城山砦 (2)
中村城山砦 (2) posted by (C)pismo

中村城山砦
中村城山砦 posted by (C)pismo

獅子ヶ鼻砦は徳川家康が天正8(1580)年6月に、高天神城を包囲攻撃するため笹ヶ峰御殿(小笠山砦)、中村砦、能ヶ坂砦、火ヶ峰砦、三井砦とともに築かれた6砦の一つで、大須賀康高が守っていたといわれています。
蓮池公園内にある菊川市営保養センター小菊荘の玄関前の階段を上っていくと、眺望の良いスポットが砦跡です。
(現地説明板などより)
獅子ヶ鼻砦
獅子ヶ鼻砦 posted by (C)pismo

獅子ヶ鼻砦 (1)
獅子ヶ鼻砦 (1) posted by (C)pismo

獅子ヶ鼻砦 (2)
獅子ヶ鼻砦 (2) posted by (C)pismo

獅子ヶ鼻砦 (3)
獅子ヶ鼻砦 (3) posted by (C)pismo


天正2(1574)年武田勝頼は、大軍を率いて高天神城を包囲しました。
勝頼うたた寝の松は、勝頼が軍を進め休憩した場所と伝えられています。昭和10(1935)年までは樹齢数百年の老松がたっていましたが、現在の松は3代目と伝えられています。掛川市立中小学校の外側にあります。
勝頼うたた寝の松
勝頼うたた寝の松 posted by (C)pismo


天正2(1574)年6月武田勝頼は大軍を率いてここに総勢の本陣を置いたため、惣勢山といわれるようになりました。道路の反対側の空き地には、本陣跡を示す石碑が立っています。
惣勢山本陣跡
惣勢山本陣跡 posted by (C)pismo

惣勢山本陣跡 (1)
惣勢山本陣跡 (1) posted by (C)pismo


千人塚は、天正9(1581)年3月高天神城が落城した時の戦死者の多数を埋葬した場所です。
田圃の中に塚があり、その上に木が植えられています。
(現地説明板などより)
千人塚 (1)
千人塚 (1) posted by (C)pismo

千人塚
千人塚 posted by (C)pismo

火ヶ峰砦は、高天神六砦の中でも最も高天神城に近い位置にある砦です。
高天神城跡の東北東約1.5㎞に位置し、掛川市中方・下土方・岩滑・中地区を境とする丘陵上にあります。天正8(1580)年6月に築かれ、大須賀康高が守備したと伝えられています。
砦の規模及び縄張り配置は定かではなく、砦の北側の主郭跡といわれている部分以外は消滅しています。
火ヶ峰砦
火ヶ峰砦 posted by (C)pismo

能ヶ坂砦は徳川家康が高天神城を攻略するために築かせた6つの砦の一つです。掛川市小貫と下土方地区の境の県道掛川大須賀線が通る西側丘陵上にあります。
徳川家康は、天正8(1580)年に砦を築かせ、本多豊後守が守備したとされています。現在は開発で消滅しています。
能ヶ坂砦 (1)
能ヶ坂砦 (1) posted by (C)pismo

能ヶ坂砦
能ヶ坂砦 posted by (C)pismo

高天神城は「高天神城を制するものは遠州を制する。」と云われた要衝の城です。武田信玄・勝頼と徳川家康がこの城の争奪戦を繰り広げたことで有名です。
典型的な山城です。
高天神城の築城時期は不明ですが、明応から文亀年間に、駿河の守護・今川氏が遠江の斯波氏への対抗のために築城したといわれています。
永禄11(1568)年、甲相駿三国同盟を破棄した武田信玄が駿河に乱入し、今川氏真を遠州掛川城に追うと、高天神城へは西から徳川家康が進出し占領し、今川方の属将であった小笠原長忠をそのまま城将としました。
元亀2(1571)年、信玄は遠江に侵攻し高天神城を攻めましたが、城の守りが堅いのを察し兵を引きました。
天正元(1573)年信玄が亡くなると、翌天正2(1574)年2月、武田勝頼は二万の大軍で高天神城を攻めました。小笠原長忠徳川家康に援軍を要請しましたが、家康も単独での軍事行動を無理と判断し、同盟国の織田信長に援軍を求めました。しかし、信長は援軍を出さなかったため、長忠は穴山信君の講和に応じて一ヵ月後に開城、長忠は武田に降り、大須賀康高らは家康を頼って浜松に落ち延びました。
翌天正2(1575)年長篠の戦いで武田軍が徳川・織田連合軍に大敗すると、家康は高天神奪還の行動を開始しました。
天正8(1580)年秋、城将・岡部元信は武田勝頼に援兵を求める密使を派遣しましたが、軍監・横田尹松は別便で勝頼に後詰を断りました。天正9(1581)年三月、援兵を断念した岡部元信は早暁に城門を開け放ち討って出ましたが戦死しました。勝頼に攻められ落城時に捕虜となった徳川氏の家臣・大河内源三郎正局がこの時七年ぶりに石牢から救出されています。 的場曲輪の後側には、「大河内政局の石牢」が残っています。
高天神城は落城後廃城になりました。
高天神城 (1)
高天神城 (1) posted by (C)pismo

高天神城 (2)
高天神城 (2) posted by (C)pismo

高天神城
高天神城 posted by (C)pismo

高天神城 (3)
高天神城 (3) posted by (C)pismo

高天神城 (4)
高天神城 (4) posted by (C)pismo

高天神城 (5)
高天神城 (5) posted by (C)pismo

高天神城 (6)
高天神城 (6) posted by (C)pismo

高天神城 (7)
高天神城 (7) posted by (C)pismo

高天神城 (8)
高天神城 (8) posted by (C)pismo

高天神城 (9)
高天神城 (9) posted by (C)pismo

高天神城 (10)
高天神城 (10) posted by (C)pismo

高天神城 (11)
高天神城 (11) posted by (C)pismo

高天神城 (12)
高天神城 (12) posted by (C)pismo

高天神城 (13)
高天神城 (13) posted by (C)pismo

高天神城 (14)
高天神城 (14) posted by (C)pismo

高天神城 (15)
高天神城 (15) posted by (C)pismo

高天神城 (16)
高天神城 (16) posted by (C)pismo

高天神城 (17)
高天神城 (17) posted by (C)pismo

高天神城 (18)
高天神城 (18) posted by (C)pismo

高天神城 (19)
高天神城 (19) posted by (C)pismo

高天神城 (20)
高天神城 (20) posted by (C)pismo

高天神城 (21)
高天神城 (21) posted by (C)pismo

高天神城 (22)
高天神城 (22) posted by (C)pismo

高天神城 (23)
高天神城 (23) posted by (C)pismo

高天神城 (24)
高天神城 (24) posted by (C)pismo

高天神城 (25)
高天神城 (25) posted by (C)pismo

高天神城 (26)
高天神城 (26) posted by (C)pismo


天正9(1581)年、元今川氏の家臣で武田勝頼に仕えていた岡部丹波守元信(真幸)は、高天神城の守将でしたが、徳川家康の攻撃により落城寸前になり、3月22日、徳川方の大久保忠世の陣に斬り込み、討死しました。板倉定重は、江戸初期の京都所司代板倉勝重の兄にあたります。勝重は幼少時に出家していたため、板倉氏は定重が継いでいました。定重は松平家忠の配下にありましたが高天神城の戦いで戦死しました。勝重は還俗し、板倉氏を継ぎました。
岡部・板倉の碑は高天神城の西側の林の谷池の北側にあります。右側の石碑には岡部丹波守討死碑と書かれており、左側には板倉喜蔵定重の墓と書かれています。
(現地説明板などより)
岡部・板倉の碑 (1)
岡部・板倉の碑 (1) posted by (C)pismo

岡部・板倉の碑
岡部・板倉の碑 posted by (C)pismo

小笠神社は、祭神は事解男尊、伊弉册尊、速玉男尊です。
文武天皇の勅願により大宝2(703)年3月18日、紀州熊野三社を勧請し創建されました。
藤原鎌足の孫宮子姫が子がないのを嘆かれ、紀州熊野社に詣で皇子誕生の際には東国に三宇の社を建てるとご祈願され、無事皇子を出産されました。後の聖武天皇です。
祈願成就により、公家奥野惟吉卿を東国に遣わし、横須賀を本宮、高松を新宮、そして小笠嶽を那智の宮地小笠神社と定めて、遷宮されました。
(現地説明板などより)
小笠神社 (1)
小笠神社 (1) posted by (C)pismo

小笠神社 (2)
小笠神社 (2) posted by (C)pismo

小笠神社
小笠神社 posted by (C)pismo

小笠山砦は、高天神城から北方約4kmの入山瀬に所在する標高約250mの小笠山山頂付近に築かれました。
徳川家康が永禄11(1568)年に、掛川城の今川氏真を攻めた時に陣を置いたとされます。
笹ヶ峰御殿という名も残されており、高天神城攻めに際しては再びここに砦を築きました。
遺構は、各曲輪や横堀・土塁などが残存しています。
(現地説明板などより)
小笠山砦 (1)
小笠山砦 (1) posted by (C)pismo

小笠山砦 (2)
小笠山砦 (2) posted by (C)pismo

小笠山砦 (3)
小笠山砦 (3) posted by (C)pismo

小笠山砦
小笠山砦 posted by (C)pismo

小笠山砦 (4)
小笠山砦 (4) posted by (C)pismo

小笠山砦 (5)
小笠山砦 (5) posted by (C)pismo

小笠山砦 (6)
小笠山砦 (6) posted by (C)pismo

小笠山砦 (7)
小笠山砦 (7) posted by (C)pismo
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Posted at 2017/06/16 00:15:45

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