この時勢、たとえ同じ語学でも、言う人と聞く人で意思が正確に伝わらない事がよくあるものです。アメリカ合衆国は文字通り、50の州と言う国が合わさって出来た国家ですから、言葉の意味やアクセントも様々で、”米語” でも同じ単語でも意味がかなり異なる事がしばしばあります。中でも音楽の歌詞が自分では勝手に思い込んでいた意味とは全く違ったりして赤恥をかいたりするもんですが、例えば昔の音楽グループで、クリーデンス・クリヤウオーター・リヴァイヴァルの曲で、”Bad Moon Rising” と言う曲で、繰り返し出てくる歌詞が、”Bad Moon On The Rise" (不吉な月が昇る)と歌うんですが、結構な数の人が、これは、”Bathroom On The Right" (トイレは右手にある)と思い込んでいたそうです。口に出してみるとまあ、似ているような発音にはなるんですがね。笑っちゃいます。
GMで長年デザインの総括ボスを務め上げた有名なあの、ウィリアム”ビル”ミッチェル氏、彼が提案したデザインの指向に、シアー・ルックと言うのがありました。昔のまだフレームの上にドンと車体が載った、丸っこくて大きな車体からキッパリ分かれて、鋭い輪郭の、直線的で現代風のデザインですね。GMが1960年代前半から芳根転換したこのデザイン風潮、彼がシアー・ルックと名付けたそうなんですが、このシアーと言う言葉。実は米語では、Sheer と、Shear と、この2つ、発音が殆ど同じなんです。Shearの意味は、一般に切断する事、それも上下に力を加え剪断する事を意味します。早い話が、日本で言うハサミをシヤーと言う時も有りますし、ぼくらが何時も恐れ訓練をしてきた、ウインド・シヤーと言う気象状態は風の流れが突如剪断されて風向・風力が突発的に変化する事を指します。側面を削ぐ様にぶった斬った新しいこのGMのデザインを見て、かなりの人達は、このシアー・ルックを、Shear Look と思い込んでいたふしがあるのですが、正確にはシアー・ルックのシアーは、Shearではなく、Sheer の方なんです。
剪断する事をシアーと言います。
ハサミは一般的にはシザースと言いますが、シアーとも呼ばれます。
このSheerと言う言葉の意味は数種類あり、衣料の世界では、半透明の生地の事を指すそうで、その他にはナウンで、絶大なる量、絶大なる努力を指し(この使い方が一般的)あとは、仰角が鋭い時、例えば山肌の角度が絶壁に近い時など、Sheer Cliff とか使います。ビル・ミッチェル氏が命名したシアー・ルックはこの絶大なる、それと角度の鋭い事に引っ掛けて使い出したものを思われます。
ビル・ミッチェル氏は生涯ずっとGMで働き続けました。自動車デザインの世界では常に他社から引っこ抜かれたり首になったり生涯で各社を渡り歩くのが普通なんですがね。GMはシアー・ルック以前はこの背の高い丸っこいデザイン、クロームしたたる、のが得意だったんですが。。。
ビル・ミッチェルさんはそれをどんどん、鋭利な線の、側面を削ぎ落として直線を多用したシアー・ルックに変えて行きました。
その頃モデルチェンジしたビュイックのパーソナル・クープ、リビエラがそのシアー・ルックの第一弾とよく言われますが、この車、実は最初にはキャデラックのブランドで、ラサールと言う名前で売ろうとしたんですが、キャデラック側がそれを拒み、ポンテイアックやら他の部門に打診したものの良い回答が得られず、結局ビュイックに収まったと言う経緯がありました。
1960年代の後半に差し掛かろうとしていた頃、そのリヴィエラに加えて、オールズモビルで新たに開発された前輪駆動の装置を使い、画期的な新型車、トロナード、そのキャデラック版のエルドラードと一緒にリヴィエラも同じ前輪駆動方式に変えようとしたのですが、ビュイックは頑なにそれを拒み結局前輪駆動にはなりませんでhした。一応エルドラード、トロナードと以前として旧態化した後輪駆動のリヴィエラもこの代からEボデー車台と呼ばれる様になり、経費削減の努力として、モデルチェンジしたリビエラの屋根、フロント・カウル、ウインドシールド、扉内側、ロッカーシルと後方フロアパンはトロナードと共用しています。
オールズが開発した前輪駆動のパワーパック。ぶっといチェーンで回転を左側に落としそれをターボハイドラマチックTHM400自動変速機を回します。噂とは反対で頗る頑丈。
トロナードとリヴィエラ。前窓とか、いくつか部品を共用しているのがなんとなくわかります。
それにしてもこのトロナードのデザインの素晴らしい事。。。
その他、トロナードとリヴィエラの共通項目として速度計が当てはまります。両車種、ドラム式の凝った仕掛けで、目盛りの書体が違うんですが、多分同じ部品だと察します。
これはリヴィエラの速度計。
これはトロナードの速度計。
1967年、トロナードの運転台。床が完全に真っ平、右側のダッシュボードが削がれている上、端が湾曲しています。座ってみると分かるのですが、この頃のトロナードは車高が低く、座ると座席はとても低く、広大な平たい床に足を投げ出し、おまけに側窓の下端がかなり高く、聳え立つ計器盤とも相まって、頭だけ潜水艦からちょっと出して運転するような感覚です。
こちらはリヴィエラの運転台。なんとなくトロナードと似ているでせう。
リヴィエラのフレームは十字架形状と呼ばれていましたが、実際には普通のペリメター・フレームにX状の骨格を入れた物。歪んだ十字架に見えるからでしょうかね。
ここで一つ認証しておかないといけないのは、ビル・ミッチェル氏はデザイン部門の総括職をしていて、GM各車のデザインを自分でしていた訳ではなく、彼の意見や意向を伝え、デザインの方向、または細部の意見を加え、グループでデザイン決定をするのがGMの常で、まあ各車種にデザインの主席みたいな役職、例えば、例のジェリー・ハーシュバーグさんとか、ラリー・シノダさんとかですね。
リヴィエラの前照灯はヒデン・ヘッドライト、隠れた前照灯でも電球自体が実際に現れたり隠れたりするのですがその動作が滑稽で、真空モーターでグリルの上から前照灯のアッセンブリーがドンと降りてきます。何故か最初に電球に電源が入ってから降りて来るので光が上から下へと動き前の自動車など眩しくて、文句が入ったそうです。不思議な事に消灯する際は最初に電気が切れてからアッセンブリがよっこらしょと上方に隠れるので、その際、周りは眩しくはないんですが。結局真空モータで上げ下げする方式は1970年からの連邦車両安全基準方で、前照灯の点灯開始する時間に引っかかったらしく、殆どやめちゃうか、電球は固定でその前の蓋を開け閉めする方式に変わった様です。
使用しない時は、前照灯、上を向いて格納されてます。
前照灯のスイッチを入れると、まず電球が灯り、それから真空モータに助けられアッセンブリがストンと降りてきます。
リヴィエラが他のEボデーと同じ、前輪駆動になるのは遙か後の1979年になってから。
トロナード、1966と1967年は格納式でしたが、1968年に前部デザイン変更時にラジエータグリルに隠れる方式になり、これは蓋だけが開閉し、電球は固定式。
作動はこんな具合。。。グリルが開いたら開いたで中にはちゃんともう一つのグリルが装備されており中々考えられています。
1969年はラジエータ・グリルの形状が変更され。。。
1970年にはその蓋が取り外され前照灯剥き出しで次の年にモデルチェンジになります。
遅れて1967年に前輪駆動になったエルドラード、やはり例の前輪駆動のパワーパック、特にデファレンシャル・ギヤの耐久性に難色を示したそうでした。この数年後に発足する連邦車両安全基準法に対する準備はすでに始まっていたらしく、顕著に現れるのが前部フェンダー前端部分の穴埋めしているように見える部分です。翌年にこの部分がポジションライト兼方向指示器になり、バンパに組み込まれていた同灯火が移ってきます。このダミープレートとフェンダを取り付ける際の精度にかなり手こずった話でした。同時に1967年は白色のコーナリングライト、1968年には中に橙色のサイドマーカーライトが組み込まれます(レンズは透明でサイドマーカ電球が橙色)
1968年にはブランク・プレートで塞がっていた部分が灯火になり、後方にはサイドマーカも加わり、あとウィンドシールド・ワイパーがフルコンシールド形状に変更されています。隠れる前照灯は、キャデラック全車種で後にも先にも67年と68年のエルドラードだけでした。
この型のエルドラードの側面後方窓は律技にも真面目に開閉するのですが、その動きが面白く、窓が下に沈むのではなく、後方へ水平にBピラーに格納されます。1967年では電動及び手動が選べ、1968年からは全て電動で作動します。
67年と68年、尾灯の細部も結構変化が見られます。黄土色が1967年。エンジ色がサイドマーカが装備される様になった1968年。
昔の紳士は山高帽を被り、背広の胸ポケットからちらっとハンカチーフの折ったのを見せて本当に ”粋” でしたねえ。ああいう風潮が戻ってこないかしら。でもビル・ミッチェル氏は流石、飛ぶ鳥をも落とすデザイナー。こんな真っ赤な服装でもサマになっているところは凄いですね。
今日のオマケ。チャイナタウンで見つけたダッジ・スイんガー。多分1974年。黒タイヤに黒車輪、なんか大きいエンジン載せている予感。。。
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2024/03/10 19:30:16