• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

くろまめたろうのブログ一覧

2015年02月02日 イイね!

ロベール2世 (フランス王)

ロベール2世 (フランス王)ールは972年3月27日にオルレアンで生まれた。987年12月30日、ユーグ・カペーはオルレアンでロベールに対して共治王として戴冠させ、カペー家による王位世襲を諸侯に確認させた。ロベール自身も即位後に長男ユーグに対して戴冠させたが、彼はロベール2世よりも先に死去したため、王位を嗣いだのは次男アンリとなった。

ロベール2世は自身の結婚問題で一時ローマ教皇グレゴリウス5世によって破門されたことがあるにも拘らず、「敬虔王」の名が示すとおり極めて信心深い王だった。彼は宮殿の一角に礼拝所を作り、王服をまとって朝課や晩課を行ったほか、異教徒に対して厳しい政策をとった。

当時のフランス王国は極めて狭い範囲しか統治していなかった。ロベール2世は王領を拡大すべく継承者不在となった諸侯領を併合しようとしたが、これは対立する継承権者との戦いを招いた。1003年のブルゴーニュ公領への出兵は強い抵抗を受け、教会の支援を得てこの地を手に入れたのは1016年だった。

ロベール2世の政策は多くの敵を作ったが、息子もその例外ではなかった。長男で共治王のユーグは自ら単独王となるべく反乱を起こした。ユーグは1025年に急死するが、続いて次男アンリと三男ロベールにも反乱を起こされた。敗れたロベール2世はパリからボージャンシー(ロワレ県)へ退却した。そして1031年7月20日、ムランで息子と戦っている最中に戦死した。

結婚と子供

ロベール2世は3度結婚した。

最初は989年頃、イタリア王ベレンガリオの王女でフランドル伯アルヌルフ2世の未亡人であったロザーラ(シュザンヌ)と結婚したが、単独統治を開始して間もなく離婚した。

次いで996年頃、ブルグント王コンラートの娘でブロワ伯ウード1世の未亡人であったベルトと結婚したが、彼女が又従姉であったため(ロベールの父方の祖母とベルトの母方の祖母は共にハインリヒ捕鳥王の王女であった)、教皇グレゴリウス5世は結婚を認めず、ロベール2世が破門される原因となった。これは次代の教皇シルウェステル2世との交渉の末、婚姻の無効が宣告された。

最後の王妃は1001年に結婚したアルル伯ギヨーム1世の娘コンスタンスで、彼女との間に7人の子供をもうけた。

* アドヴィザ(1003年頃 - 1063年以降) ヌヴェール伯ルノー1世妃
* ユーグ(1007年 - 1025年) フランス共同統治王
* アンリ(1008年 - 1060年) フランス王
* アデル(1009年 - 1063年) ノルマンディー公リシャール3世妃、のちフランドル伯ボードゥアン5世
* ロベール(1011年 - 1076年) ブルゴーニュ公
* ウード(1013年 - 1056年)
* コンスタンス(1014年 - ?)

Posted at 2015/02/02 10:16:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ
2015年02月02日 イイね!

ユーグ・カペー

ユーグ・カペーユーグ・カペーは、ユーグ大公とザクセンのヘートヴィヒ(Hedwige)と間の長男に生まれた。ヘートヴィヒは、ハインリヒ1世の娘でオットー1世の妹だった。

956年にユーグ大公が没したためロベール家の家長となったが、まだ少年だったので、伯父のケルン大司教ブルーノが後見した。960年にフランク公になった。父大公はネウストリアに広大な領地を持っていたが、没後はブロワ伯ティボーやアンジュー伯フルク2世など配下の離反が相次ぎ、ロベール家の所領は現在のイル・ド・フランスとオルレアン地方だけにまで縮んだ。

カペー誕生時の西フランク王は、カロリング朝のルイ4世で、ロテールからルイ5世と代替わりした。カペーは弟ウードのブルゴーニュ公襲位を巡り、956年から960年までロテールと争ったが、978年には、オットー2世の復讐の侵攻を、ロテールに協力して退けた。

987年にルイ5世が急死すると、ランス大司教アダルベロンが折しもサンリスで開かれていた聖俗大諸侯会議を主導し、「王位は世襲ではなく気品と英知で選ばれるべき」として次期フランス王にカペーを推し、低ロレーヌ公シャルル1世(Charles, Duke of Lower Lorraine)(ルイ4世の息子)を退けて選出させ、カペーはノワイヨンでアダルベロンにより聖別[1]されて戴冠した。50歳に近かった。

アダルベロンは王位は選挙によるという考えだったが、それではカペーに不都合なので、カペーは自らの即位の年の暮に子のロベールを共同統治者として戴冠させた。この疑似世襲は、以降6代にわたり踏襲された。

在位中は、ノルマンディー、ブルゴーニュ、アキタニア、フランドルなどの封建諸侯に苦しめられた。

カペーは996年パリで没し、サン=ドニ大聖堂に埋葬された。

なお「カペー」(capet)は、俗人修道院長が羽織った短いケープ(cape)のことで、そのあだ名が後に家名となった。
子孫

多くの子孫を残した。フランス革命とナポレオンの時期を除き、1848年までフランスを支配したカペー朝・ヴァロワ朝・ブルボン朝・7月王政の各王は、みなカペーの子孫である。1204年の第4回十字軍後に建国されたラテン帝国のクルトネー家、1910年まで続いたポルトガル王家、14世紀にナポリ王国・ハンガリー王国・ポーランドのアンジュー=シチリア家もカペー家の系統だった。現在のスペイン・ルクセンブルクの各王室もユーグ・カペーの傍系の子孫である(カペー家の支流の、ブルボン家の支流)。
Posted at 2015/02/02 10:13:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「@ねことビールとかっぱえびせん! 酒場」
何シテル?   05/25 16:44
くろまめたろうです。よろしくお願いします。よろしくお願いします

ハイタッチ!drive

みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2015/2 >>

1 23 45 67
89 1011 12 1314
1516 1718 192021
22 2324 2526 2728

ブログカテゴリー

リンク・クリップ

ACE エアロセット/フルエアロ 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/09/13 13:53:39
fcl. 【fcl.】 35W HIDキット H4 Hi/Lo 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2019/09/20 16:00:31
D.A.D / GARSON ダストボックスタイプモノグラム エナメルブラック/シルバー 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2019/07/25 10:07:29

過去のブログ

2019年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2018年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2017年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2016年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2015年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2014年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2013年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2006年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation