本日は阪神淡路大震災から26年。
震災で亡くなられた方々に黙祷を捧げます。
(-人-)
当日、震源地の旧北淡町(現在の兵庫県淡路市)にある隣町、
旧東浦町(同・淡路市)にて被災しました。
震災発生の前年末に、左アキレス腱断裂という大けがをしてしまい
翌年、1月17日にアキレス腱縫合手術が予定されていました。
1995年に年が変わり、関西は大寒波が訪れて
特に震災当日から遡って10日ほど本当に寒い日が続いていたのです。
あまりにも寒くてその10日間ほど、部屋のこたつで眠る毎日。
震災前夜もこたつで寝ようとはしましたが、
なんだか眠るのにしっくりこないというか寝付けなかったので
仕方なくその日はなんとか布団に潜り込んで眠りにつけました。
午前5時46分
ぐらぐらぐら
まーたクソ兄貴がいたずらでベッド揺らしとんなボケが・・・
ボコッ!!
なんや!?なんか頭に落ちてきた!?
ガターーーーン!!!
ガシャーーーーーン!!!
なんやなんや!!!!??
ただ事やないぞ!!地震やこれ!!!
ぐらぐらぐらぐらぐら
ガタガタガタガタガタ
ぐらぐらぐらぐらぐら
・・・ぐらぐら
おさまった。
電気が点かん。地震で停電したな。
懐中電灯懐中電と・・・痛い!!
目が暗さに慣れてきて薄ぼんやりと部屋の様子が見えてくるようになって
ベッドから下りた部屋の床は、本棚やらタンスやらが倒れて
想像だにできないほど物が散乱していた。
そこで背筋がゾッとした。
もしこたつで寝ていたらその寝ていた場所に
これ以上ない程ジャストミートで本棚が倒れていた事に。
顔がぐちゃぐちゃになる程度で済んだか、もしくは…。
当日、父は夜勤で神戸市の須磨にいた。
淡路フェリーに勤めていた父は須磨で被災したのだけど
震災が起こった時はもう、柱にしがみつくので精一杯だったと語っています。
下手に動いたら死ぬ!柱の陰に隠れてじっとするしかない!!
と、勘が働いて難を逃れたそうな。
当日にそのしがみついた柱の場所にいなければ
下手したら命を落とした可能性だってあるわけです。
ちなみにそのフェリー乗り場は阪神高速若宮IC近くの海にあり
神戸市内でも特に被害が大きかった地域の海側でした。
メディアでも大きく報道された、業火に包まれた街近くです。
母も、逆サイドに寝返りでもうっていたならば
父の猟銃が入ったロッカー
合計して100㎏はあろうロッカーの下敷きになったかもしれません。
そんなものに押しつぶされれば、命がなかったかもしれません…。
我がはたしん家は、いざという時に助かる強運は持っているようです。
近辺の被害が少なくても、屋内での被害がものすごい事になる大震災です。
ここで被災者の私から、絶対にやっておいて欲しい震災対策をお伝えします。
まず
寝室に倒れるような大きい家具があれば、倒れないようにしっかり固定するか、布団へ倒れてこない方向に向けること。
これだけ心がけていれば、生存率はグッとあがるはずです。
はたしん本人や、はたしん母が助かったのは偶然です。たまたまです。
本当に死んでいたかもしれなかったのです。部屋の家具のせいで。
あとは、東日本大震災のように昼間ならいいんですが
阪神淡路大震災は真冬の早朝。真っ暗です。
枕元に懐中電灯的な物を用意しておきましょう。
技術が進歩した現代ならばスマホで代用できると思います。
もう一つ。震災直後の部屋は物が散乱しています。
ガラスを踏んでしまう可能性もあるので、スリッパ等の履物を用意しておきましょう。
裸足でオモチャを踏んでしまったのでメチャ痛かったです。
家具は本当に殺傷能力が高いと思いますので
最優先で処置することをお勧めします。
家具の固定・向き
ライト類と履物を寝床から手の届く所に。
さて、はたしんのアキレス腱縫合手術ですが
は「あのー、今日手術予定のはたしんですけど、どうしましょう…大丈夫ですか?」
医「どうぞーいらしてください。気を付けてお越しくださいね」
手術できるんかい!!
すげえな病院て!!
あ、クソ兄貴?
アイツのことなんかはしらん。
あのとき死んだらよかったのに。
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Posted at
2021/01/17 06:42:34