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2019年12月31日

世界初の海底トンネルとなる「関門トンネル」

世界初の海底トンネルとなる「関門トンネル」 2019.11.15
11月15日 山陽本線の関門トンネル開通(1942年)
科学 今日はこんな日
ブルーバックス編集部

地球のみなさん、こんにちは。毎度おなじみ、ブルーバックスのシンボルキャラクターです。今日も "サイエンス365days" のコーナーをお届けします。
"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。

関門トンネル工事で使われたシールド掘削機 photo by public domain

 1942年(昭和17年)の今日、世界初の海底トンネルとなる「関門トンネル」が、山陽本線の下関~門司間に開通、本州と九州が鉄路で結ばれました。トンネルは、上り線、下り線が独立していますが、この日にまず下り線から先行して旅客用の使用が開始されました。
 下関・門司間の連絡鉄道線路の新設の調査は、明治末頃から始められていましたが、着工は昭和11年(1936)。
 トンネルは、さまざまな工法が採用されましたが、当時の最先端工法であった「シールド工法」を本格的に導入した事例の1つでもあります。シールド工法は、鋼鉄の筒の先端に地盤を掘削する機械を据え、筒の後方で周囲の土砂の崩壊を防ぎながら、掘削機で少しづつ削り取りながら掘削を進め、後方のすでに掘削した部分でトンネル壁面を構築していく工法です。
 こうして関門トンネルは建設資材も人材も乏しかったなかを開通し、当時は賞賛と希望を込めて、海の彼方の「竜宮へつながる回廊」とも称せられました。
 その後、国道の関門トンネル(1958年開通)、新幹線の通る新関門トンネル(1975年開通)、そして高速道路橋の関門橋(1973年開通)と、関門間の交通路も多数開通しました。今でも本州と九州を結ぶ大動脈として1日に200本あまりの列車を通しているということです。
 現在は、JR九州が管理しており、開通77周年を迎える2019年には記念の乗車券も発売されています。

現代ビジネス 講談社


関門トンネル (山陽本線)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

関門トンネル(かんもんトンネル)は、関門海峡をくぐって本州と九州を結ぶ、鉄道用の水底トンネルである。九州旅客鉄道(JR九州)の山陽本線下関駅 - 門司駅間に所在する。単線トンネル2本で構成され、下り線トンネルは全長3,614.04メートル、上り線トンネルは全長3,604.63メートルである。

1 概要
関門海峡は九州(福岡県北九州市)と本州(山口県下関市)の間にある狭い海峡で、このうち深さの関係から西側の「大瀬戸」と呼ばれる部分に関門トンネルがある一方、もっとも海峡が狭くなる東側の「早鞆(はやとも)の瀬戸」に、他の関門海峡横断交通手段である国道2号の関門トンネル、山陽新幹線の新関門トンネル、高速道路の関門橋が通っている(→地理)。もともとは関門連絡船でこの海峡を横断して結んでいたが、乗換・積替の手間を省き輸送力を増強するために3回に渡って関門海峡にトンネルを建設する計画が持ち上がり、3回目の昭和初期の計画により実際に着工することになった(→建設に至る経緯)。

当面は単線の輸送力で十分であったことに加えて、工事の容易さから、単線でトンネルを建設することになり、将来輸送量が増えた時にもう1本の単線トンネルを建設して複線とすることになった。先に建設されたのは下り線のトンネルで、両側の取付部との関係に機関車による牽引性能を勘案して、20パーミル勾配を採用することにしたが、後に上り線のトンネルを建設した際には、海底部分での土被りを増すために一部で25パーミル勾配が採用された(→建設計画)。

事前に潜水艇による調査やボーリング調査などを実施して地質を調べた上で、まず、地質の調査や周り込んで本線の掘削箇所を増やすことやセメントの注入による地盤改良を行うため、細い試掘坑道を建設することとなった。これは1937年(昭和12年)に着工し、1939年(昭和14年)4月19日に貫通、8月5日に完成した。まだ試掘坑道を建設中であった1937年(昭和12年)12月から下り線トンネルの掘削にも着手し、門司側からは日本では3番目というシールド工法も使用して建設が進められた。

1942年(昭和17年)6月11日に最初の試運転列車が下り線トンネルを通過し、7月1日に貨物用に開通、11月15日に旅客用にも開通し、まずは単線での供用を開始した。さらに1940年(昭和15年)に上り線トンネルの着工も決定され、1944年(昭和19年)8月8日に開通し、下り線から上り線に列車を移したうえで下り線トンネルの改修工事を行って、9月9日から複線での運転が開始された(→建設)。

第二次世界大戦中は船舶不足に陥るなか、九州・本州間の連絡に重要な役割を果たした。1953年(昭和28年)6月28日には昭和28年西日本水害により水没し、復旧には2週間ほどを要した。当初から直流電化で開業した関門トンネルは、1960年代に入ると九州島内を交流電化する方針となったことから直流と交流の接続点ともなり、門司駅構内に交直デッドセクションが設けられて、そのための特徴的な車両が通過するようになった。1958年(昭和33年)から1975年(昭和50年)にかけて、関門海峡を渡る国道や高速道路、新幹線も開通したことで並行路線が実現された。1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化に際しては、九州旅客鉄道(JR九州)が承継している(→運用)。

2 地理
関門海峡は、九州の北端の福岡県北九州市と、本州の西端の山口県下関市の間にあり、西の日本海・響灘と東の瀬戸内海・周防灘を結んでいる海峡である[6]。東側の下関市壇ノ浦と北九州市門司区和布刈間が早鞆の瀬戸と呼ばれる幅約600メートル程度の海峡最狭部であり、また西側には彦島があって、彦島と九州の間は大瀬戸、彦島と本州の間は小瀬戸と呼ばれる[7]。小瀬戸は昭和初期に埋立工事が行われ、閘門で締め切られて、彦島と本州はほとんど地続きとなっている[8]。

関門海峡を横断する橋やトンネルは、山陽本線(在来線)の関門トンネルの他に、国道2号の関門トンネル、山陽新幹線の新関門トンネル、高速道路の関門橋があるが、在来線の関門トンネルのみ大瀬戸を通過しており、他の3経路はいずれも海峡がもっとも狭くなる早鞆の瀬戸を通過している[9]。

在来線の関門トンネルは、高架上の下関駅を出て本州から彦島へ渡ってトンネルに入り、弟子待(でしまつ)から大瀬戸の海底下をくぐって九州側の小森江に渡り、門司駅構内で地上に出る[10]。在来線の関門トンネルが早鞆の瀬戸ではなく大瀬戸を通過することを選んだのは、早鞆の瀬戸の方が水深が深く、急勾配が許されない鉄道のトンネルでは全長が長くなってしまうことや、既存の鉄道との接続の関係からである[11]。

周辺の鉄道路線網は、本州側を山陽本線が通り、下関駅から関門トンネルをくぐって九州側の門司駅へとつながる[12]。一方九州側は鹿児島本線が門司港駅を起点とし門司駅で山陽本線と合流して小倉駅へと通っている[12]。門司港駅は当初門司駅という名前で、門司駅は当初大里駅(だいりえき)という名前であったが、1942年に改称された[13]。

4 建設計画
4.3 建設基準
 鉄道省内に設けられた技術委員会では、トンネルの最急勾配を20パーミルとすることが適当であるとした[65]。これより勾配を緩くすると前後の取付線路の接続に困難をきたす一方で、これより勾配をきつくすると運転に必要とする機関車の数が増大して不経済となるためで、工事費や運転速度、所要両数などを勘案して決定された[65]。ただし、下り線トンネルの施工経験を踏まえて後に建設された上り線トンネルでは、施工が困難な下関側の第三紀層地帯の突破のために被覆を増す必要があるとして、最大25パーミル勾配が設定された[66]。
 トンネルの工法は、海底下を通常通りに掘っていく普通工法[注 1]を採用することになり、地質に応じて圧気工法[注 2]またはシールド工法を併用することにした[65]。これは、関門海峡は潮流が激しく船の通航も多い上に、海底が掘削の困難な岩盤となっていることもあって、海上からの作業(沈埋工法)は困難であると判断されたためである[65]。
 単線トンネルと複線トンネルを比較すると、複線トンネルは断面積が大きくなり、断面の直径に対応して海底との距離を大きくしなければならなくなるので、海底下より深い場所を通ることになり、トンネル総延長が長くなるとともに前後の既存路線への取付に影響する[69]。また施工自体も単線トンネルの方が複線トンネルに比べて容易であり、さらに完成後トンネル内で列車脱線等の事故が発生した場合に、単線トンネル2本であればもう1本のトンネルで単線運転をすることができるが、複線トンネルでは全面的に運転不能となる恐れがある[69]。これに加えて当面は単線の輸送力で十分であったことから、単線トンネルを採用することにした[65]。後に必要となった時点で追加の単線トンネルを施工して複線とすることになった[65]。また当初から電気運転[注 3]をすることが想定された[65]。

5 建設
5.2.4 電力供給

関門トンネルの工事では、シールド工法および圧気工法を採用した区間があるため、常時多量の電力を必要とし、空気圧縮機や排水ポンプが停止する事故は避けなければならなかった[147]。このため周辺の変電所や余剰電力の状況を調査して電力供給の計画を立てた[147]。

第二次世界大戦後の日本では、地域別に商用電源周波数の統一作業が進められ、九州地方では60ヘルツ電源へと統一された[148]。しかし統一作業が実施される以前は、北九州地区は50ヘルツで電力供給されており、下関側の60ヘルツと周波数の相違が存在していた[148]。そのままでは機械の運用上不便で、試掘坑道貫通後に双方の工事現場を単一配電にして電力の融通を図ることができなくなるので、下関側の変電所に周波数変換機を設置して、工事現場はすべて50ヘルツの電源に統一することにした[149]。

下関側は山口県電気局(後に中国配電)、門司側は九州電気軌道(後に九州配電)が電力供給を行った[149]。山口県電気局側では、電力は前田火力発電所から彦島変電所を経由して3,300ボルトで受電し、工事最盛期には1,000キロワットの消費を見込んだ[149]。九州電気軌道側では、当初は大里変電所と門司第二変電所からの受電を想定したが、最終的に小倉火力発電所および大門火力発電所から特別高圧送電線を経て鉄道省の小森江変電所で受電する方式を選択し[150]、大里変電所および門司第二変電所からの受電は予備電源とすることにした[151]。3,300ボルトで現場へ供給し、工事最盛期には2,000キロワットの消費を見込んだ[150]。

下関側は彦島変電所からの1回線のみであるため、停電に備えるためにディーゼルエンジンによる非常用の発電所を受電設備に併設することになり、鉄道省営の弟子待発電所とされた[150]。非常用発電所は、どうしても停電を避けなければならない設備である、排水ポンプ、エレベーター、坑内電灯に限って電力を供給できる容量で設計することになり、余力がある時に空気圧縮機やセメント注入などの設備に回すこととされた[152]。試算の結果、最小限維持する必要がある設備の電力消費は191キロワットとされたため、200キロワットの発電機を予備を含めて2機設置した[153]。ディーゼルエンジンは池貝鉄工所製、発電機および配電盤は富士電機製、付属ポンプ類は荏原製作所製であった[153]。

12 脚注
12.1 注釈
[注 1]^ 普通工法は、火薬で爆破し、あるいは掘削してトンネルを掘って、天井や壁面を仮の支柱で支えて、その後恒久的なコンクリートの覆工を行う工法である[67]。
[注 2]^ 圧気工法は、トンネルや立坑に圧縮空気を送り込んで、その圧力で湧水を排除しながら掘削を進める工法である[68]。

12.2 出典
[6]^ “関門海峡の位置”. 国土交通省九州地方整備局関門航路事務所. 2014年11月2日閲覧。
[7]^ “関門海峡”. kotobank. 2014年11月2日閲覧。
[8]^ a b 『下関駅物語』p.309
[9]^ 「土木遺産の香 第42回 世界初の海底トンネル「関門鉄道トンネル」p.58」
[10]^ a b 「鉄道関門隧道工事に就いて」p.1
[11]^ a b c d 「土木遺産の香 第42回 世界初の海底トンネル「関門鉄道トンネル」p.61」
[12]^ a b 『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 12号 九州沖縄』p.7
[13]^ 『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 12号 九州沖縄』pp.26 - 27
[65]^ a b c d e f g h 『関門隧道』pp.5 - 6
[66]^ a b 『関門隧道』pp.8 - 9
[67]^ “北九州イノベーションギャラリー トンネル掘削方法の種類”. 北九州イノベーションギャラリー. 2015年8月30日閲覧。
[68]^ “圧気工法(あっきこうほう)とは”. コトバンク. 2015年8月30日閲覧。
[69]^ a b 『関門隧道』p.37

13 参考文献
13.1 書籍
『関門隧道』運輸省下関地方施設部、1949年3月31日。
田村喜子『関門とんねる物語』毎日新聞社、1992年8月30日。ISBN 4-620-30888-9。
黒川寛『海底死闘六年 関門トンネル』関門日報社、1943年2月25日。
『日本国有鉄道百年史』5、日本国有鉄道、1972年7月28日。
『日本国有鉄道百年史』6、日本国有鉄道、1972年10月1日。
『日本国有鉄道百年史』8、日本国有鉄道、1971年12月15日。
『日本国有鉄道百年史』9、日本国有鉄道、1972年3月25日。
『日本国有鉄道百年史』11、日本国有鉄道、1973年3月31日。
『日本国有鉄道百年史』14、日本国有鉄道、1973年12月1日。
吉村恒・横山章・下河内稔・須賀武『トンネルものがたり』山海堂、2002年4月30日、第1版第3刷。ISBN 4-381-01437-5。
長船友則『山陽鉄道物語』JTBパブリッシング、2008年2月1日、初版。ISBN 978-4-533-07028-0。
斉藤哲雄『下関駅物語』近代文藝社、1995年7月10日、第2刷。ISBN 4-7733-3980-2。
古川達郎『鉄道連絡船100年の航跡』成山堂書店、2001年6月8日、二訂版。ISBN 4-425-92141-0。
弓削信夫『明治・大正・昭和 九州の鉄道おもしろ史』西日本新聞社、2014年6月12日、初版第一刷。ISBN 978-4-8167-0885-5。
青木栄一『鉄道の地理学』WAVE出版、2008年10月15日、第一版第一刷。ISBN 978-4-87290-376-8。
今尾恵介『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 12号 九州沖縄』新潮社、2009年4月18日。ISBN 978-4-10-790030-2。
『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』1、JTB、1998年10月1日。ISBN 4-533-02980-9。
『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』2、JTB、1998年10月1日。ISBN 4-533-02980-9。
須田寛『昭和の鉄道』交通新聞社、2011年4月15日。ISBN 978-4-330-20811-4。
『鉄路の闘い100年 鉄道防災物語』国鉄防災100年史編纂会、山海堂、1972年9月1日、初版。
沖田祐作『機関車表 フル・コンプリート版DVDブック』ネコ・パブリッシング、2014年3月1日、初版。
『JR貨物時刻表2011年』鉄道貨物協会、2011年3月。
『JR貨物時刻表2012年』鉄道貨物協会、2012年3月。
高松宮宣仁親王『高松宮日記』第四巻、中央公論社、1996年7月25日、627頁。

13.2 論文・雑誌記事
松村憲勇「土木遺産の香 第42回 世界初の海底トンネル「関門鉄道トンネル」 (PDF) 」 『Civil Engineering Consultant』第236巻、建設コンサルタンツ協会、2007年7月、 58 - 61頁。
広井勇「下関海峡横断鉄橋設計報告 (PDF) 」 『土木学会誌』第5巻第5号、土木学会、1919年10月、 965 - 988頁。
田辺朔郎「海底隧道に関する報告 (PDF) 」 『土木学会誌』第5巻第6号、土木学会、1919年12月、 1281 - 1293頁。
平井喜久松「関門海峡水底隧道地質調査 (PDF) 」 『土木学会誌』第7巻第4号、土木学会、1921年8月、 605 - 638頁。
大井上前雄・佐伯謙吉「関門連絡線に関する第一回調査報告 (PDF) 」 『土木学会誌』第14巻第3号、土木学会、1928年6月、 387 - 417頁。
大井上前雄「関門隧道の調査及計画に就て (PDF) 」 『土木学会誌』第15巻第7号、土木学会、1929年7月、 479 - 493頁。
釘宮磐・星野茂樹・加納倹二「鉄道関門隧道工事に就いて (PDF) 」 『土木学会誌』第32巻第1号、土木学会、1947年1月、 1 - 8頁。
高坂紫朗・坂本貞雄・小竹秀雄「丹那トンネルから関門トンネルへ」『土木学会誌』第60巻第1号、土木学会、1975年1月、 43 - 47頁。
藤田雅弘「関門トンネルと青函トンネル」『土木学会誌』第71巻第5号、土木学会、1986年5月、 12 - 15頁。
三浦基弘・前田研一「フォース鉄道橋の隠された歴史 片持梁と渡邊嘉一 (PDF) 」 『土木史研究講演集』第24巻、土木学会、2004年、 215 - 218頁。
江村康博・福元俊国「50年を経過した海底トンネル 関門トンネルの健全度調査」『トンネルと地下』第23巻第2号、土木工学社、1992年2月、 113 - 119頁。
小野田滋「関門トンネルの立坑を探る(1)」『トンネルと地下』第38巻第10号、土木工学社、2007年10月、 26 - 27頁。
小野田滋「関門トンネルの立坑を探る(2)」『トンネルと地下』第38巻第11号、土木工学社、2007年11月、 44 - 45頁。
小野田滋「関門トンネルの立坑を探る(3)」『トンネルと地下』第38巻第12号、土木工学社、2007年12月、 44 - 45頁。
吉江一雄「関門トンネル30周年」『鉄道ファン』第142号、交友社、1973年2月、 32 - 41頁。
谷口良忠「関門時代のEF10形」『鉄道ファン』第142号、交友社、1973年2月、 42 - 46頁。
門司機関区OB生「関門の思い出」『鉄道ファン』第260号、交友社、1982年12月、 86 - 88頁。
原田勝正「関門トンネルものがたり」『鉄道ジャーナル』第313号、鉄道ジャーナル社、1992年11月、 84 - 88頁。
「JR貨物EH500形が関門間で走行性能試験を実施」『鉄道ジャーナル』第456号、鉄道ジャーナル社、2004年10月、 93頁。
「関門トンネルを通過する気動車列車廃止」『鉄道ジャーナル』第469号、鉄道ジャーナル社、2005年11月、 103頁。
松久恒三「鹿児島本線及び山陽本線の電化工事概要」『鉄道ピクトリアル』第119号、電気車研究会、1961年6月、 14 - 18頁。
丹沢貞吾「関門電化と運転従事員の養成」『鉄道ピクトリアル』第324号、電気車研究会、1976年9月、 49 - 52頁。
「EF30形のお別れ運転」『鉄道ピクトリアル』第482号、電気車研究会、1987年7月、 80頁。
日本貨物鉄道(株)技術部運用車両課「JR貨物交流・交直流電気機関車の現況」『鉄道ピクトリアル』第563号、電気車研究会、1992年8月、 19 - 23頁。
久保敏「交流電気機関車 誕生の記録」『鉄道ピクトリアル』第563号、電気車研究会、1992年8月、 26 - 35頁。
杉田肇「交流電気機関車の系譜」『鉄道ピクトリアル』第563号、電気車研究会、1992年8月、 41 - 52頁。
杉田肇「EF81形電気機関車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』第760号、電気車研究会、2005年4月、 16 - 24頁。
春日雅之「JR貨物 EF81形の配置と運用」『鉄道ピクトリアル』第760号、電気車研究会、2005年4月、 42 - 45頁。
大塚孝「関門トンネル70周年と交直接続」『鉄道ピクトリアル』第876号、電気車研究会、2013年6月、 22 - 31頁。
加島篤「昭和28年西日本大水害で水没した関門鉄道トンネルについての電気工学的考察-初期の電気設備と列車脱出事件-」『北九州工業高等専門学校研究報告』第40巻、北九州工業高等専門学校、2007年1月、 29 - 38頁。
加島篤「関門鉄道トンネルをめぐる電気技術史-変電所の変遷と西日本大水害時の列車脱出事件- (PDF) 」 『北九州工業高等専門学校研究報告』第41巻、北九州工業高等専門学校、2008年1月、 25 - 34頁。
朝倉俊弘・久楽博・鶴英樹・瀧口将志「関門鉄道トンネル」『コンクリート工学』第46巻第9号、日本コンクリート工学会、2008年9月、 71 - 75頁。
川野輝信「世界初の海底トンネルのメンテナンス-関門鉄道トンネル(在来線)-福岡県・山口県」『土木施工』第47巻第12号、山海堂、2006年12月、 63 - 68頁。
石丸勇「関門トンネルの管理保守」『鉄道土木』第21巻第1号、日本鉄道施設協会、1979年1月、 54 - 59頁。
山中文雄「関門トンネル50周年を迎えて」『日本鉄道施設協会誌』第31巻第1号、日本鉄道施設協会、1993年1月、 23 - 25頁。
岩垂定男「関門トンネルの水没」『日本鉄道施設協会誌』第42巻第6号、日本鉄道施設協会、2004年6月、 2 - 4頁。
吉田朝次郎「関門トンネルの復旧排水工事」『科学朝日』第13巻第9号、朝日新聞社、1953年9月、 82 - 85頁。
石岡米彦「山陽・鹿児島本線の電化方式について」『交通技術』第13巻第10号、交通協力会、1958年9月、 13 - 17頁。
真宅正博「量産EF30形交直流電気機関車」『電気鉄道』第15巻第10号、鉄道電化協会、1961年10月、 14 - 17頁。
宮崎健一「関門トンネル内電車線設備の変遷と保全について」『電気鉄道』第37巻第4号、鉄道電化協会、1983年4月、 11 - 15頁。
兼山證「関門トンネルの保守」『新線路』第30巻第5号、鉄道現業社、1976年5月、 30 - 31頁。
小山幸則「日本のシールドトンネル覆工設計法の変遷と課題 (PDF) 」 『トンネル工学論文集』第14巻、土木学会、2004年11月、 招待論文1-8。

最終更新 2019年10月15日 (火) 10:48 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。


≪くだめぎ?≫
 戦前の開通であるから北九州50Hz・下関60Hzだが、関門トンネル工事現場は「50Hz」に統一はスゴイ。
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Posted at 2019/12/31 13:02:46

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