その結果
1979年秋、希薄燃焼型ロータリエンジンが生まれました!!(12A、13B)
12AはサバンナRX-7(1978年発売)に13Bはコスモとルーチェ(1981年発売)に搭載されることとなりました。
山本部長の掲げた「燃費40%改善」の頃から、実に68%もの大幅な向上を果していたのです。
ロータリエンジンは計画の名の通り「不滅」である事と東洋工業(当時のマツダの社名)の技術力を世界に知らしめる事ができましたが、其の影には・・・
http://rx-3.web.infoseek.co.jp/history/rotary/
当時いすゞや日産やトヨタ、メルセデスやシボレーも高性能なロ-タリ-を開発しプロトカーも製作しましたが、ロータリーのパテントの大多数を東洋工業が取得(ロータリーを開発したドイツのメーカーより買った)済だった為に実用化へと結び付けるのが難しく断念した。
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ロータリー開発の苦難2 - RX-7
ロータリー開発の苦難2
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NSU/ヴァンケルのRE公式発表の公式資料によるとDKMからKKMへの移行は円滑に進められたとある。しかし、フェリックス・ヴァンケルに知己を得た唯一のジャーナリストであるディーター・コープの話では、ヴァンケルはこの移行に猛反対したという。DKMで成功したシーリング方法が新たに遭遇する障害に危惧を感じたのだろう。
KKMの軌道回転運動ローターのアペックス・シールにかかる遠心負荷は絶えず変化し、トロコイドのくびれ部分では逆方向に働き摺動面から飛び出る事すら考えられ、その後実際に「悪魔の爪痕」と呼ばれたチャターマークとして開発者を悩ませる事になる。
ヴァンケルは「君達は、私のレース・サラブレッドの種から荷物ひきの馬を生み出した」とまで不満をもらしたという。フレーデ博士は、将来ヴァンケルとの間にすきま風が吹く危険を承知で、冷静、現実的な判断をもってKKMの設計開発に移った。公転型第1号KKM125は、1958年に完成した。
英語でrotary engineというときは、航空機用エンジンを指
す事が多い。
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しかし、いずれもシーリングの難関を突破できずに挫折に終わっている。ヴァンケルの30年にわたるガス・シーリングの知識と経験の蓄積がロータリーエンジンへの扉を開ける可能性が出て来たのだ。
フレーデは、フォン・ハイデガンプと技術部長ヴィクター・フランケンバーガーに、トロコイド型エンジンの研究開発を進言、両首脳はフレーデの企画を承認した。1954年の大半は、トロコイドの調査研究に費やされた。現在のロータリーエンジンの2ローブ繭型ハウジングと3葉おむすび形ローターを選び、実際の設計と試作にあたったのはヴァンケルREの初期開発の陰の功労者、エルンスト・ポップナー技師である。第一号エンジンの完成には2年を要した。
ポップナーのロータリー・スーパーチャージャーはヴァンケルの理想に沿った気密シーリング優先の純粋回転型だった。DKM=回転ピストン・マシーンと呼称される機構は、おむすび型ローターとともにトロコイド・ハウジングを回転するという大変複雑なものであった。ハウジングとローターは、それぞれの輪上で同方向に異なった速度(3:2)で回転し、4つのストロークの位相を形成する。
この純粋回転型ではローターの頂点にあるアペックス・シール ヨの力は常に外側に発生し荷重も一定である。
これについて、マツダの山本健一・元RE研究部長は、著書で「自転式RE」と呼んでいる。この純粋回転型の複雑さはたいへんなものであった。2重の回転子に挟まれた燃焼室に混合気を送らねばならなかったからだ。
ポップナー技師のチームが製作した自転式エンジン1号(単室容積125cc)のDKM51(設計年を表す)は1957年2月1日に回った。テストベンチ上の性能は29ps/17000~18000rpmであり、高度にチューンされたレシプロエンジンと同等と判断された。
しかし、DKMの複雑さは量産に多くの問題を抱えることが誰の目にも明らかであった。ハウジングを固定する事がRE量産への必死の改造であると主張したのはフレーデ博士とNSUグループであった。ハウジングを固定した場合、ローターは偏心(エキセントリック)シャフトを中心に衛星のような軌道をたどる。山本部長が「公転型RE」と形容したKKM=軌道回転型エンジンであり、これが現在のロータリーエンジンの原型といえる。
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1951年になり、研究室はTES(工業技術研究所)に発展する。
その頃、彼の庇護者であったケップラーはシュトゥットガルトの病院にいた。戦争犯罪裁判にかけられた彼は1951年の恩赦で釈放され、ここで療養していたのである。そのベットの隣にいたのがモーターサイクルメーカー、NSUの役員であった。ケップラーは以前から目をつけていたシーリング技術者、ヴァンケルのことを彼に話したのである。
NSUは1886年に自動車の製造を開始したメーカーで、1888年にゴットリープ・ダイムラーの会社に自動車用シャシーを供給、1906年には純NSU製の自動車を開始するなど歴史のある会社である。NSUは大戦後の1946年、モーターサイクルの生産を再開、一時は世界最多の生産を誇っ ス。
1950年半ばにはモ-ターサイクルレーシングに積極的に取り組んだ。しかし、経済復興に伴いヨーロッパのモーターサイクルの需要が急速に低下、NSUは1967年にモーターサイクル的設計の空冷エンジンを搭載した小型自動車「プリンツ」を発売するなど自動車産業に活路を求めた。
さらにNSUはロータリーエンジンという大きな賭けに出る。
ワルター・フレーデ博士はNSUの戦後のレースなどでレース技術部長を務めた人物である。 ゙はNSU社長ゲルト・フォン・ハイデカンプのもたらしたフェリックス・ヴァンケルのエンジン/コンプレッサーに興味をもった。フレーデは開発していた回転円板型バルブのレシプロ・エンジンにヴァンケルのシーリングを使ってみる事にした。
ロータリー・バルブ研究過程にヴァンケルは、より大きな可能性に到達する。”トロコイド”を使った回転型エンジンである。トロコイドとは、サイクロイドの親戚で、NSU/ヴァンケル型ロータリーエンジンの基礎となるエピトロコイド曲線の定義は、固定された円の外周に沿って転がるもうひとつの円の中に固定された点が描く軌跡である。フェリックス・ヴァンケルはトロコイド形状のハウジングを使い、吸気、圧縮、燃焼、排気の4ス gロークのエンジンを成立させる事が可能であると結論した。それまでもトロコイド型ロータリーエンジンは多種多様に考案された。ヴァンケルは唯一の著書「回転ピストン機械の分類-1963年」で整理分類し、それらは100種以上に及ぶ。
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人類の移動手段において最大の発明は車輪であろう。
産業革命で蒸気機関が発明され、これが使われる様になった。
蒸気機関はピストンの往復運動をクランクで動力に換える。車の動力としては電気自動車が幅を利かせる時期もあったが、蒸気機関から派生したレシプロエンジンが主流になり、現在に至る。ただ、発明家や技術者の中には往復運動を回転運動に変換するのではなく、純粋な回転によって動力を生み出す機関を考えるものもいた。近世における純粋回転(ロータリー)機関および機械の研究は400年以上にわたるが、彼らが直面した最大の問題は作動室の機密性を保つシーリングであった。
圧縮過給機や揚水ポンプ、流量計などの純粋回転機械は製品化されたが、 ョ力機関としての完成はフェリックス・ヴァンケルを待たなければいけなかった。
フェリックス・ヴァンケルは、1902年にドイツ南西部、シュヴァーベン地方の小都市ラールで生まれた。19歳まで学校教育を受けたが父親の死去により社会に出た為に技術などは独学であった。また、製造工業での見習いなどもしていない。彼は就職したハイデルベルグ大学の科学専門書を扱う書店の整理をしながら製図などを学んでいた。
1924年、22歳のヴァンケルはハイデルベルグの近くに研究室を開いた。彼の研究のひとつが、高圧潤滑装置の為の新しいシーリングであった。1933年までには、研究理論に基づいた回転式および摺動バルブを使ったレシプロエンジンを試作、特許を得ている。以後20年は自動車、モーターサイクル、航空機、魚雷にいたるまで多種多様なレシプロエンジンのシーリングの改良に専念した。
1924年、ヴァンケルはナチス高官であったケップラーの知己を得る。1932年に経済事件に巻き込まれ投獄された彼を救ったのもケップラーとダイムラー・ベンツ社の技術部長オット・ニーベル博士だったという。その後ヴァンケルは、ダイムラー・ベンツとBMWと契約を結び、BMWの委託で3つのローターを組み合わ ケたロータリーエンジン(試作番号DKM32)を試作し実際に運転した。
また、ヴァンケルはドイツ空軍省の支援でWVW・ヴァンケル研究所を設立した。ヴァンケル本人はナチスの思想に抵抗があったようだが、ロータリー・バルブ研究所の設立のオファーには抗えなかった。
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ロータリーエンジンは、テリトロコイド曲線と呼ばれる楕円状のハウジングの中を三角形のローターが一回転する度に、吸入・圧縮・膨張・排気の4つの動作を三辺で同時に行える効率の良さと、レシプロエンジンのようにピストンの往復運動を回転運動に変えるのではなく、回転運動をそのまま動力源として走るので動きに無駄が無くハイパワーを引き出せる。
また、レシプロエンジンの場合は2回転に1回の爆発であるのに対し、ロータリーエンジンは1回転毎に1回爆発する。しかし、この間、ローター自体はこの3分の1しか回転していない。この辺のカラクリはモーターショーの会場やMRYで出会えるロータリーの実物大模型でも見てもらえれば分かり易いのだが、管理人の力不足もあ 闌セ葉での説明はほぼ不可能。
ローターが三角形だから、3つの辺でそれぞれ吸入・圧縮・膨張・排気を繰り返している間に1回転すると言えば、ローターが3分の1しか回転していないカラクリが少しは解けるであろうか。
歴史を遡れば1960年代、乗用車市場に参入したばかりの東洋工業(現在のマツダ)が、通産省の政策による他社との合併を間逃れる為には独自の技術が必要と判断し、それをロータリーエンジンに見出そうと開発を進めたのが ォっかけで、マツダ初の4輪乗用車「R360クーペ」がデビューしてから4年後の1964年には東京モーターショーにコスモスポーツの試作車を出品していたのだから、生き残りを掛けて目覚しい技術革新があった事を伺わせる。
尚、この時、東洋工業はトヨタとの合併が想定されていたのではないかと言われているが、恐らくトヨタに東洋(TOYO)が吸収されても、TOYOTAのロゴの中にTOYOが全部残るなどと意味の分からない考えを持ったのは私だけであろうか。
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バンケルとパートナーシップを結んだNSUは、トロコイド型ロータリーエンジンの可能性に着目して開発を開始した。
もっとも、最初に完成したのはエンジンではなく、ロータリーコンプレッサーの研究を応用したバンケル型スーパーチャージャーであった。このスーパーチャージャーを装着したNSUの50ccオートバイは192.5km/hという、当時の50ccクラスの速度世界記録を樹立している。
1957年、バンケルとNSUは、試作ロータリーエンジン、タイプDKMを完成した。繭型ハウジングと三角おむすび型ローターを組み合わせた機構であった。ロータリーエンジンが発明されたのである。しかし、このタイプDKMは、ロータリーエンジンが夢ではないことを証明したが、トロコイドハウジングそのものが回転する非常に複雑な構造のエンジンであったために、実用的ではなかった。
ハウジングが固定された実用型のタイプKKMは、1年後の1958年に完成した。水冷トロコイドと油冷ローターという複雑な冷却システムを持っていたが、このタイプKKMこそが今日のバンケル型ロータリーエンジンの原型となった。
初期(1908年~1918年頃)の航空機に用いられたロータリーエンジンは、星型エンジンのクランク軸を機体に固定し Aシリンダが回転する形式のエンジンで、プロペラはシリンダにとりつけられる。
エンジン技術が未熟でエンジンが低出力、低回転であった時代には、次のようなメリットがあったため採用された。低回転のエンジンの爆発出力による振動を対策するためにフライホイールの役割をエンジンにさせることができる。発熱源のシリンダヘッドが回転することにより、ヘッドの冷却の効果がある。シリンダ内のピストンが実際は楕円運動をすることになり、滑らかに運動する。100馬力程度までのエンジンに使われた。
バルツァー(Stephen Balzer)により1890年代に自動車用エンジンが製作された。ローラン・セガン(Lauren Seguin)と彼の弟によって開発されたグノーム(ノーム:Gnome)エンジンが有名である。 -
参考となるサイト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%B3
http://asmic.com/rx-7/inf-RE.htm
F・バンケル博士
ロータリーエンジンの発明。それはフェリックス・バンケルが、17歳の夏の夜明けに見た夢から始まった。
1919年、このドイツ人青年は思いもよらない夢を見た。
「このエンジンは僕が発明した新型だ。タービンとレシプロの混血なんだ!」
朝、目覚めたときにバンケル青年は、この夢が、新しいガソリンエンジンの誕生を予知するものだと本能的に確信した。
彼は内燃機関についての基礎的な知識すら学んだことはなかったが、タービンのように回転するエンジンが、吸気、圧縮、燃焼、排気の4サイクルを成立させると直観したのである。
この直観こそ16世紀から人類が、幾度も挑戦を続けてきた、連続回転内燃機関=ロータリーエンジンの発明を実現した。
理想的な原理で滑らかに回転し、技術的な合理性にかなったエンジン。それがロータリーエンジンであった。偶然にもたらされた夢と直観はその後のバンケルの人生を決定することになった。
1924年、22歳のバンケルは、ロータリーエンジン開発 レ的とする小さな研究所を設立すると、研究開発に没頭した。第2次世界大戦中は、ロータリーエンジンを実現すれば国益になると考えたドイツ航空省や大企業の支援を得て研究を続行することができた。ロータリーエンジンの理想は国家や大企業を動かす力があった。
戦後、新たに工業技術研究所(TES)を設立したバンケルは、ロータリーエンジンとロータリーコンプレッサーの実用化に向けて、さらに研究開発を続けた。
そこへバンケルの研究に強い興味を示すオートバイ・メーカーが現れた。NSUである。当時、世界有数のオートバイ・メーカーであり、ワールドグランプリで何度もチャンピオンを獲得したモータースポーツにも熱心なメーカーであった。NSUもロータリーエ 塔Wンの理想に魅せられていたのだ。
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