夢を持った一人の男から始まったホンダの歴史

2019年5月13日

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ホンダほど日本の自動車メーカーで創業者の影響力が強く表れているメーカーはないでしょう。ホンダは本田宗一郎が創業したメーカーで、今でも宗一郎が残した多くの言葉がホンダ社内で大切にされています。自動車修理工場からスタートしたホンダは今や日本を代表するメーカーとなり自家用ジェット機を製造するまでになりました。

自動車修理工場からエンジン製造、レースの世界へ

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本田宗一郎は1906年(明治39年)に静岡県磐田郡(現在の浜松市)に生を受けます。高等小学校(現在の中学校に相当)を卒業後、東京のアート商会という自動車修理工場にでっち奉公に出ます。宗一郎はアート商会からのれん分けで浜松に支店を開店する。その後、東海精機重工業の社長に就任。1945年に終戦を迎えると旧陸軍が所有していた無線機の発電用エンジンを入手し、それを自転車に装着したまさに原動機付き自転車を製作。大ヒットとなり500基の在庫はあっという間に底をついてしまう。

宗一郎は1946年に本田技術研究所を設立し、自社開発のエンジンを開発。1947年には「Honda」の名が付いた初めてのエンジンA型が世に出ます。宗一郎は1948年には本田技研工業を設立、自転車用補助エンジンの製造を開始します。

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1953年には農機用エンジンを発売、1959年には耕耘機F150を発売します。

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そして1958年にはスーパーカブを発売。

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1959年からイギリスのマン島TTレースへの参戦を開始します。1960年には開発部門である「本田技術研究所」を設立。1961年にはマン島TTレースで初優勝、なんと125、250の2クラスで1位から5位を独占します。

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1962年に鈴鹿サーキットを完成させると、1964年には日本初のF1マシン、RA271でグランプリに参戦を開始、翌1965年の最終戦メキシコグランプリではついに優勝するに至ります。

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しかし1968年にスポット参戦でホンダF1をドライブしたジョー・シュレッサーが事故死、同年をもってホンダは第一期となるF1への参戦に区切りを付けます。

4輪車への進出

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ホンダが四輪車に進出したのは1963年になります。当時の内閣は自動車産業を整理統合させる特定産業振興臨時措置法案を国会に提出。この法案は結局廃案になりますが、もし法律が成立した場合はホンダは4輪業界への新規参入ができなくなります。ホンダはこの事態を想定して、急ピッチで4輪車を製造。軽トラックのT360とスポーツカーのS360をデビューさせて既成事実を作り、4輪自動車メーカーとして認められます。

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CVCCエンジンの開発とそしてふたたびF1、そして空へ

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ホンダの高い技術力が認められたのがアメリカで公布された大気浄化法改正法、通称マスキー法のクリアです。大気汚染を防止するためにアメリカで公布されたこの法律は当時の基準では非常に厳しいもので、どこの自動車メーカーもクリアが不可能と言われていました。しかしホンダは1972年に独自の技術でCVCC方式というエンジンを開発。マスキー法をクリアし、世界中から大きく注目されることになります。

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1982年には日本の自動車メーカーとしては初となるアメリカでの現地生産を開始。1983年にはエンジンの提供という形でF1への再参戦を開始、ネルソン・ピケ、アイルトン・セナ、アラン・プロストといった名ドライバーとのタッグにより黄金期と言われる第2期を過ごすことになります。

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2000年にはヒューマノイドロボットのアシモを発表。

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2015年からは小型ジェット機のホンダジェットの納入を開始するなど、2輪、4輪にこだわらず技術を追求するという本田宗一郎のスピリッツが息づく企業であることを感じさせ続けています。


(諸星陽一)

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