130年以上の歴史を誇る自動車の元祖、メルセデス・ベンツの歴史

2019年12月4日

20190601

1986年にカール・ベンツが「ベンツ・パテントモーターカー」という名の3輪自動車を、時期を同じくしてゴットリープ・ダイムラーが「モトキャリッジ」という名の4輪自動車を開発します。ここに自動車の歴史がスタートし、今に至ります。2人のエンジニアが同じ時期に同じコンセプトの乗り物を作り、その後2人の会社が合併します。そうして生まれた新しい会社がメルセデス・ベンツとなります。

第一次世界大戦の敗戦をきっかけに2社が合併

060102

060103

カール・ベンツの会社は「ベンツ&シー・ライニッシェ・ガスモトーレン・ファブリーク」という名、ゴットリープ・ダイムラーの会社は「ダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフト」でした。ともに精力的に自動車作りに取り組んでいましたが、ドイツは第一次世界大戦で敗戦、国内は混乱を極めます。

終戦から8年後となる1926年、2社は合併。「メルセデス・ベンツ」ブランドがスタートします。この際、会社名はダイムラー・ベンツとなり、その後しばらくはダイムラー・ベンツの社名が使われ続けます。

モータリゼーションの発達とナチスとの関係

第一次世界大戦が収束したドイツ国内で勢力を拡大してきたのが国家社会主義ドイツ労働者党、つまりナチスです。ナチスはフォルクスワーゲンにタイプ1(ビートル)を作らせたり、アウトバーンを整備したりとモータリゼーションに力を入れた政策を行いました。ダイムラー・ベンツもその影響は多大でした。物事の全てがナチスによって動いた時代ですから、当然、モータースポーツ活動にもナチスが協力したのはいうまでもありません。そして第二次世界大戦を迎え、ドイツは二度目の敗戦を経験することになります。戦時中のメルセデス・ベンツは軍需産業であったため、戦時中は攻撃対象であり、戦後は賠償金を支払う対象となりました。

「事実上無に帰した」の宣言からの復活

ドイツの終戦は日本よりも3カ月ほど早く、1945年の5月となります。終戦を迎える1カ月前、ダイムラー・ベンツの役員会は「事実上無に帰した」という宣言を出します。国内の工場という工場は空爆により壊滅的な状況となっていたからです。

060104

しかし、ダイムラー・ベンツは奇跡的な復活を遂げます。終戦翌年の1946年には戦前モデルにあたる170Vタイプの乗用車の生産を開始、1951年には完全なる新型モデルとなる220と300を世に送り出します。

060105

ベンツの歴史は長いだけでなく、その内容についても非常に興味深く、また世界中の自動車産業への影響力も大きなものとなります。通常は1回読み切りの自動車メーカーの歴史ですが、さすがに1回では書き切れません。戦後のベンツ、そしてそのクルマ作りの思想についてお届けします。


(諸星陽一)

乗るに戻る

マイページでカーライフを便利に楽しく!!

ログインするとお気に入りの保存や燃費記録など様々な管理が出来るようになります

まずは会員登録をしてはじめよう

注目タグ

最近見た車

最近見たクルマはありません。

ニュース