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2012年05月30日

ネオクラシック、ネオヒストリック考

ネオクラシック、ネオヒストリック考








昨夜は、シチューを作ってみた。
6月という夏のワードが、カレンダーの下から浮かびあがりそうな
時期にである。筆者は血圧が低い。上の方は普通で100を超えているが、
時々下がっている時は、たぶん切っているのだろう。
猛烈に眠くなったり、しんどくなる。
それでもこれは体質だし、公に補償してくれというようなみっともない
ものではない。
昨日を仕事を終えて、郵便物を見に一度家に帰ったら、ダウンしてしまった。
気が付くと暫く寝ていたのか、夕暮れが始まっていた。

さあ今夜は何を食うか。和食に飽きたが揚げ物でもない。
指先や脚先が、5月末と言うのに薄着で横になっていたから冷えている。
そこで昨日新タマ(葱)を村の市場で買っていたので、ジャガイモがあり
あとは人参と、鶏肉で良いと考えて、夕暮れのマルシェへ、出かけてみた。
食は自分の体に向かい合う、作法と儀式なのである。



きょうの話題は1980年代のクルマ考である。
「いま、、、、、がアツい」と言った切り口は、それほど責任を被らなく
なくても良い常套句なので、時々使われているのを見る。
本当に80年代ブームなのだろうか。
私は自動車発達史的には、それほど劇的な発明は無かったと思う。
しかし日本人において80年代と昭和の最終期は、面白い時代であった。
だから30年経ったいま、80年代とは何か、について求められているのだと思う。

クルマ社会的には、日本車につきまとっていた「ビンボ臭さ」が払拭された。
昭和50年代のトヨタやニッサンをたまにみかける。中に入ると狭い安物の
ビニルクロスの張られた当時の家屋を思い出してしまう。
これが悪いと言っているのではない。やはり当時の舶来ものと国産品では
物の質が異なり、生活の質に差があった。そして当時良い生活をしていた
人たちは現在高齢化して、反対に「やや困窮」くらいのレベルに落ちている。

これが日本人に多く漂う呪いの感覚でないかと、近年よく思うのである。
日本には昔から「呪の神」がいて、人が良い生活していると、そこにやって来て
僻の心境を植え付けようとする。反対に僻の対象になった人たちは引き摺り
下ろされないように、必死の抵抗を試みる。

この間からのお笑いタレントの糾弾報道を聞くに着け(私はテレビを持たないので)
事実認識の錯誤論は別にして、日本人の本質は変わらないなあと、何度も思った。
メンタリティーのことである。
メンタリティーは道徳に繋がっている部分もあるので、効果を発揮することもある。
それにしても、日本人のクルマ作りに流れていた、湿っぽさはいま、どうなったの
であろう。


ここで一曲
伊勢正三の93年のアルバムから、あの頃感たっぷりの「バルコニーの休日」
これが70年代なら「ベランダの休日」になるのかなあ。(笑)



この音楽は、最初フォークであった人がAORに行ったことを、喜んで
いるようで面白い。ここのところ良く聴くFM局で、彼の番組が始まり、気になる
ナンバーなのである。ちなみに番組名が「君と焚火とAORと」という、
一見、なんのこっちゃら?というような不可思議なタイトルなので、こういうのは
好きだなあ。

さて、80年代の国産車は、和風便器の家から洋風水洗に引っ越したような
感があり、面白かったのではないか。
このビンボ臭さと呪いの構造が、私は1980年代最大の、社会が変化した要因であり
動機だったのでないかとみている。
外国に目を向ければ、社会主義もシンクロして倒れたのである。これまたビンボ臭い
イデオロギーだったからなあ。社会主義国の便所は誰も掃除しないのですごく汚く
サービスという概念が欠如してしまっていたからである。

変な話になってきた。
ちょっと曲に逃げよう。

1987年のナンバーから、Sinitta Toy Boy



当時のボーイもおっさんになって、腹が出て糖衣ボオイになってるよ、とほほ。

こっちは日本で流行ったKayocoの1988バージョンね。
何となく当時の日本の追い付け追い越せ感が、いたいけに感じられる
でショ(笑)。これ、先日私も手に入れて、今聞いているところです。
あの頃多かった、一発屋さん。



どお、国産車の中で角松敏生や山下達郎聴いている気分、思い出して
いるのでは。

先々週に九州に行ったことは日記に書いた。
そこで門司港のネオクラシックカーフェスティバルというイベントを
見て、いろいろと思った。以前の様にストレートに感想を書くと
知り合いも複数いるので、当たり障りもあると思い、あとに伸ばした。
門司港レトロのあのスペース自体に、不自然感も少しあり、何となく
不思議なイベントであった。
違和感のような、いや、一般の来場者から見れば、ついこの間まで
走っていた、特に田舎は新陳代謝が遅いので、「なんでこんなものが」
の展示になっていたのでは、ないだろうか。

来月の第2週日曜日の「高雄サンデーミーティング」も80年代車特集
であるらしい。
高雄のようにクルマ好きだけのクローズドの集まりであれば、そこだけ
異様に盛り上がっても、空気的に正しい。だが観光地の門司港レトロ
地区で、ちょっと前の車をとくに同じ車種が何台も集まっているのは、
なんか変であった。高校時代の友人も、賛助で出している自動車関係の
店の人も「シャコタンのマーク2みたいなのばかり並んでも、、、」と
感想を洩らしていた。

ここらが、こういう系統のイベントが続くかどうかの分かれ道なのである。

クルマに対する見方が変わる時と言うのは、古くて見劣りしたものが
ある程度の年代が経つと、希少価値や歴史的意義が高まり、さらに
オリジナルの程度や、デザインの良さを再評価された時である。
建築でも、こういう価値の転換は時にある。

私は2006年にフィアットリトモ125TCを入手したときに、その年の秋に
実は「1980年代車の会」というのを、舞子の古いホテルで開いたことがある。



これも恥ずかしながら、一度きりの企画に終わった。

コミケとか、コスプレのオフ会というのが、若い世代には、価値の共有として
存在する。
ネオクラシック、ネオヒストリックというのが、今後どこまで成長する
ジャンルになるのかは未知数である。
社会性や、意義だとか、一般に受けるための説得力がどうも薄いけれど
「あの頃」は30年も経つと懐かしい。

音楽の場合はリバイバルソングという方法があるのだが、自動車はさて。
自動車は生活様式だから、畳敷きの家とか和風便器に今更戻れと言われても
どうかなあ。
覚悟を決めて私は昭和初期の家に一人で住んでいるのだけれど、ここら辺が
そこまで今の快適を諦め切れるかと言うのは、無理なのではないだろうか。

遊びのクルマだったら、もっと昔のを1台あればよいし、中途半端というのは
やっぱりその域から、なかなか出られないものなのである。
それでも、その時代に思い入れがあるのなら、生活様式を80年代風にまとめて
みるとか、人がどう言おうと、その年代のファッションでいくがよい。
ただし、他人が「かっこいいね」とか「粋だね」と思ってくれるかは別である。

するのは勝手だが、痛いって言われると、やっぱり辛いよなあ。

鍋に入れたシチュウは、いろんな材料が混ざり合っているから、美味しい
テイストを醸し出してくれるのである。火にかけた鍋にあとから具材を
放り込んで足しても、一定の時間が経つと、また美味しく食べられるのである。
春が去る前の少し寒いと思うような日に、クルマの趣味も足して楽しめるような
やり方って、作って行けないだろうかと、勝手なことばかり考えている
世の中に対して少し思った。



ブログ一覧 | 思うこと | クルマ
Posted at 2012/05/30 05:52:53

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この記事へのコメント

2012年5月30日 14:18
おっ、シチューですか(^_-)-☆

ホワイトシチューもビーフシチューも好物です♪
シチューってボリュームあるし、野菜たっぷりで健康にも良いよね!

あっ、例の・・・調べなきゃ(#^.^#)
コメントへの返答
2012年5月31日 8:41
トップバッター、有り難うございます。
この日は鶏肉のクリームです。
このところ、米が美味く感じられなかったので、
思い切ってフランスパンの夕食にしました。

調べてね♪
2012年5月30日 17:20
80年代車の会・・の写真、知ってる顔がいっぱい・・・・!(笑)

私も、今はこの会に入れそうですが・・・!?(^_^;)
コメントへの返答
2012年5月31日 8:42
暫くしたら、この写真外さないと(笑
くれいむが来そうですね。
入って下さい。
というか、あんまり集まりがなくなりましたね。
彼女の復活を待っています。
2012年5月30日 17:35
生活様式を・・・ というのが必須ですよね。

全国民に一様な生活様式を押しつけることで、規模のメリットを生かして、生活コストを下げるというのが、東京都市部を中心とした、日本のこれまでの戦略なので、自分個人にベストな生活様式が認識できていない人が多いですね。結果、車と本人のテイストが大きくずれる。
車は、否が応でも、生活の速度/リズムを規定しますから、まずは目的の生活様式を明確にして、それにあった車を選ぶのがベストと思います。キモは、年代だけでなく、地域も限定して生活様式を考えること。

ユニクロ(モンベル?)&トヨタIQ&公共交通機関も有りだと思いますし、ARスパイダー&70年代イタリアンカントリーも有りでしょうし、良い素材の服&上品な食事&60年代ランチアも有りでしょうし、ソーセージとビール&カラヤン/ベルリン&ポルシェ913(ベンツW123)とかでもよいですし。
(うちは、スパイダーの修理が長引いて、E46BMWに影響を受けてしまい、方向性がずれつつありますが)

オフミのテーマも、年代/メーカーだけでは粗い気がします。
コメントへの返答
2012年6月1日 4:19
ついついnaofumingさんのジョグジャの記事を読んでいました。
私は90年代に出張で行っていますが、当時はこんな感じで、本当に古いクルマと出会えて感動しました。http://www2.gol.com/users/kotaro-h/asia/asia2.html

ボクの持論は日本は最後の「社会主義国をよく理解した国」だと思います。
一律の通勤電車風景、同じようなカラーのクルマばかり駐車場に並んでいるのを見ると、生活様式に個性を出すのは憚られ、個性を殺すことが、生きる道だと、多くの国民が理解しているのではないでしょうか。
貧困においても積極的支援を国に求め、国の言う通りの「いうことをきいて」その代わり社会福祉を只で貰おうとする人々がゴマンと溢れています。

それは日本の喫緊のアキレス腱になりつつありますが、だってそうしろって、教育をずっと続けて来たからこうなったのでは、ないでしょうか。

答えが大分ずれてしまい済みません。
ユニクロ以降の指摘はとても面白く読ませてもらいました。
帝王カラヤンのクルマ趣味のこととか、書くテーマをいっぱい下さり有り難うございます。
オフミ考は現代の日本の縮図だと、理解しております。
ありがとうございます。

2012年5月30日 18:26
実は私の黒スピットも1980年製。
Bowさんのカーマガの企画で、(終わったけど)
ネオ・クラシックとか、ニュー・クラシックというククリで出てくる車です。

でも月日はたち、参加資格が、1970年代までとされていたクラシックカーイベントの多くで、
去年今年あたりから、1980年代前半まで。と。参加資格を緩めている傾向にあるようです。

70年代までの車の成り立ちと、80年代の車のデザインには明確な違いがありますが、
月日はそれを飛び越えて、関係ないものとして、
クラシックなクルマというカテゴリーの中へごちゃまぜに入れてしまうのでしょうね?

ほら、若い子たちには、そんなの関係ないから。(笑)
コメントへの返答
2012年6月1日 4:27
最後の一行ですね。まさしく。
拘っているのは年寄りばかりかもしれません。
目くじら立てているオッサンが、女の子がネオクラに乗って来ると「ああ好いよ良いよ」かも(笑)。
“規制緩和”なんて、こういうふうになし崩しで、拡がっていくものでしょう。
2000年代も10年代に入り、この微妙な80年90年の取り扱いをどうするかなのですが、あまり進化しなくなりましたね。特にクルマは。
コンピュータのOSも、90年代の活発さはどこへやら。
私はずっとMac党ですが、もう大幅に遅れています。
iフォンなんて、どこにあるのだろう。
使うことなさそうですね。
2012年5月30日 20:47
こんにちは

私は70年代以降の国産車が集まるイベントには、まったく興味が有りません!
族車が集まるイベントにも、まったく興味が有りません!
これって同じイベントだったりしてますよね。

70年代、80年代を旧車と呼ぶ事にも違和感を覚えます(ちっとも古くないだろうって)。


TSMは毎回、色々な車をフューチャーしていて、一回だけの日本の80年代車特集なら、あそこの人達が族車を喚ぶわけもなく安心しています。
コメントへの返答
2012年6月1日 4:34
一番古い時代のクルマを尊重される方にも来ていただき、感謝しております。
こういう意見も出て然りかと思います。
私は、イベントのパーポスが何か、であって、判り易さと面白さが前面に出ておれば、それなりに楽しめる方です。

「旧車」は日本語なので、語感だけで使われておると思います。
とくに国産車中心の集まりでしたら、80年代はアイドル歌手の時代であり、やっぱり「懐かしい」ものなのでしょう。
「懐かしい」と思うから旧車趣味(の人たち)であり、ビンテージは「ただの古い物」、それが彼らですよ(笑)。
2012年5月30日 23:26
カー雑誌にも載っていましたが、欧州では「ヤングタイマー」と称するジャンルだそうです。


私にとっては1980年代の日本車は楽しかった時代で、思い入れも強いです。

排ガス規制によるパワーダウンを引きずる中で登場した初代ソアラ(1981)は、私にとっては滅亡の危機に瀕していた地球に登場した宇宙戦艦ヤマトのようなイメージでした(笑)。 もしもこのクルマと「別冊モーターファン第1弾 ソアラのすべて」がなかったら、私は今のようなクルマ好きにはならなかったと思います。

いすゞとトヨタがどうにか守り通したDOHCエンジンはソアラ以降に色々と登場してツインカムターボも追加され、トヨタは4バルブDOHCを非スポーツ用途にも投入。 4WDはビスカスカップリングやセンターデフや、その他に妙なものも登場し、4WSも数社から続々登場。
初代カリーナED(1985)が大ヒットし、初代シーマ(1988)が社会現象に。 “AE86”レビン・トレノ(1983)もこの時代。
そして1989年に初代セルシオ(初代レクサスLS),スカイライン“R32”GT-R,初代ユーノス・ロードスターが登場して80年代のフィナーレ。
私が乗っていたセリカも1989年で、おかげで写真に紛れ込んでいます(笑)。

バンパーがそれまでの金属から黒ウレタンそしてボディ同色に変化していったのも、この年代だったと思います。
トヨタ車の内装の質感向上が群を抜いていたのも印象深かったです(やがて他社も同レベルへと収束しましたが)

パワーといいメカといい「上だけを見ていればよかった時代」で、戦後の高度経済成長期が排ガス対策という戦争の後に訪れたように思っています。
イベントで展示するなら初代ソアラの1981年のあたりで、なんとなくエリアを分割したくなるかも。
コメントへの返答
2012年6月1日 4:49
登場人物の発言コメント、ありがとうございます。
(笑)。
ヤングタイマーかあ。ヤングは大麻で捕まっちゃいけませんね。
やっぱり80年代懐かしいでしょう。
そうそう、ソアラから「別冊」が始まったのですよ。あの本はよく売れました。それから80年代は企画が当たると臨時ボーナスが出ました。CX(フジテレビ)なんて、週間視聴率が1位になると、全社員に5万円配っていました。4週連続だと、同じグループの新聞社で働くボクの給料より、高くなる訳で「これじゃ働く気がしねえ」なんて、RCサクセションの歌の様に吠えていました(爆笑)。

ベースが低かったから、80年代は楽しかった。
反対にベースが高いから、2010年代は、相対的貧困を誰もが主張したり、自分を正しいと錯誤するのかもしれません。

ナマポ規則の中で、自動車だけは未だに、絶対的贅沢と言われているのです。中古のクルマと、家用エアコンの方が高くても、エアコンオッケーで自動車はキンシなんですよねー。

シロさんの反応を見て、やっぱり80年代国産車の企画はあるなあと再確認いたしました。
「あのころ、僕らは貧乏だった」「でもクルマがあるから楽しかった」このコンセプトが大事ですね。
これでやったら、企画は通ると思います。
反対に2010年代な貧困って、
何なのでしょうね。
またコメントしてください。
楽しみにしておきます。

2012年5月31日 5:50
あいかわらずの刺激的なご考察ですね~。

ある意味「関係者」 でもありますし(笑)、ドコでダレが見ているか分からないので、このあたりの本音をズバッとは書きにくいのですが、小生の考えを少々。。。。

① こんなもん、古くもなんともないよ・・・とは尤もなご意見ではありますが、このニホン社会、そういっているうちにアッという間に「つい最近まで当たり前のように存在していたもの」が消滅していくんですよね・・・。今回のイベントのエントリー&ギャラリー車でも例えば、あれだけ一世を風靡した2代目プレリュードとか、沢山売れた筈の歴代カローラやサニー、910ブル等の非スポーツ系のモデルとか、1台もありませんでしたからね~。

② 現代社会に住む若い人間にとってこの頃のモデルは、趣味性と実用性・快適性を1台で両立させられる、なかなか「いい塩梅」のクルマなんですよね~。それを「良し」とするか、「中途半端」ととらえるかは、あとは個人の主観的な部分でしょうけども。。。

③ 族車系、旧車會系の車は、本来イベント事務局側はお引き取り願っている立場のようで、多くはギャラリー車です。

④ にもかかわらず、kotaro 様のような目の肥えた方にとってこのイベントが「微妙」であったという点、それは多分、「ネオクラシック」「ネオヒストリック」のうち「クラシック」「ヒストリック」の部分に関する解釈・筋の通った指向というのが、参加者、ギャラリー、主催者、このムーブメントを支える雑誌社のいずれにも「曖昧」だからでしょうね。1例を挙げれば、イベント受賞車の多くがモディファイやナビ/現代のオーディオ換装を行っていて、オリジナル、もしくは「同時代性」 を保った車に対する評価が案外低いところなど・・・。こういう部分が、「歴史ドラマを見てたら時代考証が明らかにおかしい」「時代劇を見てたら、空にヘリコプターが飛んでいた」 的な違和感を見る者に感じさせるのかもしれませんし、「それなら、シャコタンに弥生、ソレ・タコ・デュアルにロンサムカーボーイだって、立派な 『時代考証』 じゃん!」と主張する向きがあっても不思議ではありませんからね。。。

④ ただし東京大阪ならいざしらず、九州の地方都市でイベントを企画する際、あまりにシビアな解釈で「アレはダメ、コレはダメ」 と言っていたらヒトもクルマも集まりませんし、合法的改造であればあまりうるさく言うのも何でしょうし、もっと言えば、あのイベントの「非合法改造車でなければOKです」 「ギャラリーもまた半分参加者みたいなもんです」 的なゆるい空気は、参加した者としては肩肘張らずに楽しめたという点で、なかなか良かったですよ(笑)。
 「ゆるキャラ」流行りの当世、そこそこ時代にマッチしているからこそ、1地方都市にしてはなかなかの集客ができているのではなかろうか・・・などと考えた次第です。 長文多謝!
コメントへの返答
2012年6月1日 5:32
ありがとうございます。
戦前型の人から、実際にネオクラに乗られる方まで、大いに意見を開陳してくださいました。

1、プレリュードや910ブルは、今回の門司港には来ていませんでした。日本人の新しい物好き感覚で、より流行ったものは、より流行遅れに見えるから、それを持ち続けない。カッコ悪いから。
だからではないでしょうか。
30年前のファッションそのままで、30年通すのは、しんどいでしょう。
間が飛んでいたり、新しいオーナーが「これいいじゃん」は面白いと思うからで、私のクルマ視点はそちらに近いです。

2、エアコン、4速オートマが揃ったのが80年代。きちんと整備されていれば、いまでも充分実用になるかと思います。
80年代車1台で生活されている高齢者って、都会には割と多いのです。それは都心でなく、都会の外れにです。それを視てボクはいろんな複雑な感想を持ちます。痩せ我慢、今のクルマが大きく乗りにくい幅になったこと。あの時代の日本の繁栄等等。

4、音楽イベントが開催されていて、そこには今の人が出ていました。インターバルには80年代音楽がかかっていましたね。スペクトラム「インザスペース」のようなマニアックな曲まで。
門司港は秋がメインで、春は近年タイアップで始まったと、経緯は聞きました。

これは一つの例えですが、門司の80年代や昭和の時代、そういうのも味付けに欲しかったのかもしれません。
会場を後にして、駅舎の横に出来たカフェでジェラートを食べました。
JR貨物のビルが市の委託事業で1階が文化ホールになり、門司地区の4高校の歴史記念展示の会場になっていました。
その場所で、開催していた北九州市に長く勤めた方の撮り貯めた門司のモノクロ写真がとっても良かったのです。80年代、門司港あたりや大里と門司港の間の坂道を走る路面電車の写真を見て、ああここは良い所だったなあと、改めて昔の門司港を思い出しました。

個人的な思い出です。でも来ている人はいろんな人が居るでしょう。門司ってどんな町なの、とレトロ地区をメインに観光資源を活用することは、正しいのですが、せっかくクルマのヒストリックな部分を、相乗効果でイベントするなら、何かもうちょっと面白みが欲しかったなあと言うのが今回の感想です。あれだめこれだめ、の発想はボクにありません。実は3月に続いて今年は2回目の門司港街歩きです。
クルマ好きなら鉄道好きも多いと思います。
近くには西鉄の半流線型138型の路面電車も置いていますし、駐車場に来ているクルマ見物もしました。
鉄道博物館も近くにありますし、駅前のジャガーの展示も意欲的だったけど「メイン会場はこちら」って出てないのですよ。
私は地元出身ですが、この辺の親切さがどうかな、という感想です。

楽しければカーニバルは成功します。
こんな人だかりの多い所で、実行する人たちにもご苦労様でしたと、心より思いました。

あと個人的には井手さんとこのスタッフの了解を得て、フェラーリやアルファロメオに小学生を座らせてやったこと。
将来のクルマ好きを育てる。これが私の今の任務なのかもしれません(笑)。



2012年6月4日 2:12
こんばんわ。遅コメ失礼します。

80年代国産車、ドアミラー認可と、3ナンバー車普及策が一つの分岐点、突破口だった気がします。

「10年超車は1年車検」だった頃は、国産車は12年目が底値で、淘汰された残りが価値を認められていく感があったように思います。S30Zしかり、510ブルしかり、箱スカしかり・・・

↗おっしゃるように、80年代バカ売れした車は現存車が意外と少ないようですね。
FFファミリアや初代シティもほとんど見ません。ファッションとしてはキビシイかもしれませんね。
一世を風靡したレイトンハウスのように・・・
初代アルトやミラはたまに見ますが、こちらはフランス実用車感覚でしょうか。

現代の80年代車は、「懐かしい」と見るか、「新鮮」と見るかで向き合い方が変わりますね。
2代目セリカXXなど、今見ると「新鮮」な感じがします。(淘汰されたせいかもしれません)
バブル期直前までの、「錆びるクルマ」はどこか儚さを含んでいる気がします。

いつもながら、オチがない文になってしまいスミマセン。
コメントへの返答
2012年6月5日 7:14
ありがとうございます。
サンルーフとドアミラー認可、これも当時はニュースでした。
今自動車の規格認可ひとつで、週刊プレイボーイに記事が一項書けるでしょうか。

それから1年車検が残っていた頃は、古いクルマというレッテルを貼られ、中古車の価値が分かれていました。グリーン税制度は、痛みも無く税収を上げる。1年車検は、修理工場との付き合いが増えて、旧車乗りの覚悟を決めるとともに、工場にとっては仕事があるわけで、釣り合った考えだったかもしれません。
今の世はどこか無責任(=自己責任)をうっすら感じさせます。

今回の記事は「正しい評価とは何であるか」を問いたかった。絶対的に正しい評価などありません。相対的に、時間が経った物をどうみるか。そこがポイントです。

私たちの世代が見る80年代車は少し懐かしい。若い世代はクラシックカーの評価と違い、何だろうこの時代は?で良いのではないでしょうか。
やはり過渡期か、固まって行く前の試行錯誤期かもしれません。

それから、若い人が評価したくても、殆ど残っていない。消費の幻想が一番爆発した時期だっただけに、60年代車のように、苦労して買ったという思い入れの強い車が少ないことが、反比例しているのでは、ないでしょうか。
そこがネオクラ、ネオヒスの脆弱さだと思います。
それでもこのクルマをもう一度、世に問いたいと言うのであれば、構いません。

歌に置き換えると、たぶん、懐メロとか、フォークと言うのは、カラオケやスナックでも歌い継がれて行くと思います。
小室哲哉の作品とか、もはや宇多田ヒカルでさえ、一過性の現象に過ぎなかったのかなあと、あれだけ騒がれた少女が引退し、母の藤圭子のような、思慕や同時代性のシンボルになりえなかったと。
これがもの事の評価なのではと、私は思います。
2012年6月13日 21:51
懐かしいですね80年代。ひたすら「走る」事に拘っていました。
ゼロヨンや峠、平日でも夜通し走って、ちょっと寝て仕事行く。
そんな日々の頃の国産車達、新車は買えないから指くわえて見てた、
TWINCAMやTURBOの文字が付いたクルマ達。
とても懐かしいですねェ。
まぁ世間一般的に「クラッシックカー」と呼ばれるクルマより維持は大変だと思います。
電子部品はリペア困難、国産メーカーは部品ストックが無い。
デジタルメーターの維持や修理は大変困難だと聞いた事がありますし、
ちょっと古いインジェクションもメンテは大変なんだとか。
海外の所謂「クラッシックカー」というたぐいは、まだまだリプロも多く、
なんとかなる事が多いですよね。
ウチのチンクも、なんだかんだ言って、このネオクラッシックよりは、
安易に部品が手に入ります。

そんなネオクラッシックは、クルマ好きな若い人達には新鮮に映ると思います。
私だって、リアルタイムで知らないクルマを見てると、
「おーいいねェ」となってしまします。
自分の時計やモノサシで計ってはいけないし、そういう価値観でクルマ見ていては、
クルマ文化そのものも見えてきません。
私も昔は「国産なんて」「族車ってなー」とか思っていましたが、
この数年は、そういうのもありだと思ってます。
それもこれも、クルマ文化の一つなんですよ。
案外、この島国でヒストリックカーってのは「こうなんだ」って品良く乗っていても、
海外の本筋衆から見ると噴飯モノだったりするかも知れません。
国産軽自動車のミーティングなんか見てると、みんなDIYで流用パーツや、あれこれで
工夫しながら楽しんでらっしゃる方達も多いし、
ちょっと昔のミニカ・アミを、ものすごくカッコ良くドレスアップしてたりします。
族車もルーツは富士のGC戦やシルエットフォーミュラー、JSSといった、
モータースポーツ文化から日本固有のムーブメントになったものだし、
昔はホリデーオートのOhMy街道レーサーなんかで楽しめましたね。
日本のクルマ文化の一つです。
クルマの価値観ってのは、人それぞれですから、
いろんな意見があって当然かもしれませんが、
まず「否定」から始まっては何も見えてこないし、つまらないクルマ趣味になってしまうなって
思っている今日この頃だったりします。
私は以前から、軽自動車オーナーとクンタッチのオーナーが、
わけ隔てなく談笑してる様がホントのクルマ好きの集まりかなって思います。
クルマを古い新しいで価値を決めていては、つまらないクルマ趣味人生だなと
思って、クルマ馬鹿やってます。
コメントへの返答
2012年6月16日 10:12
お久しぶりです。元気にされていましたか。
それぞれの「80年代」、時々語り合いましょう。
かっぺでも、リトラクタブルのプレリュード乗ってれば、モテルのではという幻想。
4WDのセリカ流面形でスキーに行けば、原田知世のような彼女が出来るのではないかと、野にも山にもユーミン&サザン、まあそんなことは実際無くても、若い人はよく遊んだ時代でした。

実際新車が買えるのは、持ち家があって(特に都会では)バイト代を全部注ぎ込める、金持ちの子供だったと思います。
下宿生活で、2年生から中古車に乗ってる私の生活を、あーっという間に後輩たちが真似しました。これも面白かったなあ。やれる子とやれない子がいても、仲良く遊んでました。ガス代を割り勘にしたり。

あんまり複雑な背景とか、他人の実家のこととか、考えなくて済んだのは、私立大学という同じくらいの生活層の子弟だったからでしょうか。

さて新車のソアラが出た時の反応は面白かった。
普段一番けちけちしている子が一番最初にカタログをもらって来て、下宿に飾っていました。
僕は当時から、「関係ない」と自我流の生き方で、ランサーと、古本屋で買う古いカーグラと、クルマいじりのテキストは、カーボーイとオートメカニックです。
夢は何であったのでしょう。
初代のFFジェミニが出た時は、営業用の角2灯のDDディーゼルがすごく欲しかったし、ビニールシートが良い、と独り言っていました。
A112ジュニアも欲しかったですね。126も見に行ったし、Y10もオートデルソーレ運転させてもらいました。
これが一番上かしら。

いすゞ京都はポルシェを扱っていましたから、BMのアルピナC1に乗る人に連れられて展示会に行った時の見たクルマが944。
まだカタログ持っています。

タルボサンバとか、リトモアバルト125とか、当時の夢を後年、次々と手に入れました。
でも時々ふっと、虚しくなることがあるのです。
944だって今は買えますよね。

独りで踊っているような淋しさに時々囚われて。
そんな訳で、今は850を1台にしました。
あとは家族用の貰い物のアルトだけです。(笑

プロフィール

「やっぱり。言わんこっちゃない。「トヨタ、センチュリーを独立ブランドに クーペ開発でラグジュアリー市場拡大」https://x.com/i/trending/1977788758218219921
何シテル?   10/14 09:32
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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2016年10月、三年半かかった車体レストアが完了し戦列復帰、その後半年、また以前のよう ...
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